「おはようございます、283プロの大崎楓香です。よろしくお願いします」
「同じく二瓶琳です。よろしくお願いします」
後日。無事にというか当然というか、オーディションに合格した私たちは、ドラマの撮影現場を訪れていた。
脚本が高校を舞台にしているからか、私たちを含めたメインキャストの年齢層は若い。周囲から向けられる、値踏みするような視線がどこか煩わしくて、私はひっそりと小さく息を吐いた。そして、すぐ隣にいた琳の背中に滑り込み、後ろから抱きつく。すると、彼女にしては珍しく焦ったような声が返ってきた。
「……楓香? 大丈夫?」
「大丈夫だよ~」
あの精査するような視線が、まるで学校で日常的に浴びせられるものとよく似ているだなんて。……我ながら自意識過剰にもほどがある。
私たちが主演・出演する映像作品ということもあり、今回のドラマ撮影現場にも花柳さんが同行してくれていた。すっかり283プロのプロデューサー顔負けの働きぶりを見せる彼女だが、私が今抱えている演技上の不調を察しているせいか、琳と花柳さんの過保護ぶりは加速する一方だった。
「ふうちゃん、先に一つ言っておくね。監督や他のキャストたちには、ふうちゃんの不調なんて口が裂けても伝わらないわよ。何故なら君は、それを完璧に覆い隠してしまえるだけの技術があるから」
「……はい」
「だからね、自分が演じていてどうしても納得がいかなかったら、何回だって撮り直しを要求しなさい。より良い作品を作りたいという情熱は、ここにいる誰もが同じなのだから」
「花柳さんって、たまにすごく大人みたいなこと言いますよね」
「軽口を叩くだけの余裕はあるみたいね?」
「うん、頑張ります。自分の演技に対して妥協するつもりは、最初から一切ありませんから」
言われなくても、そんなことは分かっている。他の誰よりも、私自身が自分の表現に対して妥協することだけは許せないのだから。
「あの、佐々木くん……!」
「ん、どうかした?」
「……すみません、今のカット、もう一回やり直してもいいですか?」
「え、すごく良い感じだったと思うけど……何か引っかかるところがあった?」
「ちょっと……自分の中で考えているアプローチを試してみたいんです。少しだけ脚本のニュアンスとはズレてしまうかもしれないんですけど」
「まぁ、まずはやってみてよ。出来が良くなければ、さっきのバージョンに戻すだけだから」
「あ、あの……っ」
「どうかした?」
「……ううん、なんでもない」
「そっか」
「オッケー、カット! うん、今の間と表情、すごくいい感じじゃん。じゃあ本番もこのニュアンスで行こうか!」
「本当ですか? ありがとうございます」
このヒロインに対する、私なりの分析。
基本的には落ち着いた佇まいの女の子で、自分の感情をストレートに表に出すのが得意ではない。だからこそ、大好きな相手の名前を直接口に出して呼びかけることすら躊躇ってしまうのではないかと思ったのだ。
そもそも、このドラマはヒロインの主観と視点で進んでいく物語である。相手の男の子の心理描写や視点が提示されない構成である以上、ヒロインの心の微細な揺れ動きは、より繊細に出していかなければならない。
彼をどう思っているかはもちろん、「自分は相手からどう思われているのだろう」という不安。もし自分が踏み込むことで迷惑をかけてしまったら……と足踏みをしてしまう躊躇い。私という演者が、この「彼女」として画面越しに魅せなければならないのは、そういう些細な心の揺らぎなのだ。
撮影がいったん中断となり、キャスト陣がそれぞれ思い思いに休憩を取る中。私はスタジオの隅っこで、静かに深くため息を吐いた。
……これだけ理屈を重ねても、未だに私はこのヒロインという少女に深い部分で共感できずにいた。こうして脚本に対して自分なりのアレンジや意見を提示してみても、監督からOKが出るまではどこか自信が持てないのだ。
私にしてはあまりにも珍しすぎる、まるで地面から足が浮いてしまっているかのような、ふわふわとした心もとない感覚。私は隣に立つ琳の肩にそっと頭を預け、ゆっくりと目を閉じた。
「ちょっと。……本当に大丈夫なの?」
「……片想いって、なんなんだろうね」
「……本当に、贅沢な悩みね」
ポツリと零した私の弱音に、琳はポンポンと優しく肩を叩いてくれた。慰めとはどこか違うその手つきに目を開けると、いつの間にか花柳さんと監督が私たちの目の前の椅子に腰掛けていた。
視線を注がれているにもかかわらず、私はどうしても背筋を伸ばす気になれなかった。そんな自分のだらしなさが嫌で、さらに深く琳へ体重を預ける。
「ふうちゃん。さっきまで監督と少し話をしていたんだけどね」
「大崎さん。あなた、本気で一度『演技』の勉強をしてみる気はないかしら?」
「……演技の、勉強……ですか」
「ええ。撮影中ずっと何かを深く思い悩んでいるように見えたのが気になって、彼女にあなたのことを色々と聞かせてもらったの。……今、大崎さんはこのヒロイン役に、心からの感情移入ができていないでしょう?」
「……否定は、できません」
「誤解しないでほしいのだけれど、私はあなたの演技に何一つ不満があるわけじゃないの。むしろ逆よ。悪い部分やスキが無さすぎて、見ていて怖いくらいなの。……それはね、あなたが『何にでもなれてしまう天才』だからよ」
大人は、本当にすごい。
ほんの少し会話を交わしただけ、少しの時間を共有しただけなのに、私の抱える不完全さや本質を簡単に見透かして、こうして私の目の前に立っている。
私が彼女たちと同じくらいの年齢になった時、果たしてこんな風になれるのだろうか。とてもそうは思えないくらい、目の前の大人たちはすべてを知っているように思えた。
「あなたが納得できていないのはね、登場人物に対する自分自身のアプローチや感覚を『言語化』できていないからよ。今まで持って生まれた圧倒的なセンスと才能だけで演じてきたものを、あなた自身の言葉で論理的に説明できていないから」
「……」
「けれど、その感覚の鋭さは紛れもなく天から与えられた才能と呼ばれるものよ、大崎さん。……この先もずっと、あなたを助ける強い武器になるはずよ」
「……それは、嫌です。表現者として、自分で説明のつかない感情なんて持ちたくない。分かってもいないのに、誰かが用意した正解を私が提示するなんて……そんなの嫌です」
「あなた、高校3年生でしょう。卒業後の進路はもう考えているの?」
「いえ……このまま、アイドルとしての活動を続けようと思っています。私の生きるべき場所は、ステージの上ですから」
「なら、大学で演劇や表現を学ぶという選択肢を、一つ頭に入れておきなさい。あなたのその才能は、正しく磨けばもっと恐ろしいほど良いものになるわ。この私が保証する」
監督はそう言い残すと、爽やかにその場を立ち去っていった。
高校卒業後、専門の大学に進学して芝居や演劇を体系的に学べ、ということだろうか。……でも、本当に?
血の滲むような努力をして表現を手に入れようと真剣に学んでいる人たちの輪の中に、ほんの数歩で追いついてしまうような私が飛び込んでしまって良いのだろうか。アイドルとしてステージに立ち続けたい私が、そこに——。
「……ちなみにふうちゃん。学校の進路相談って、具体的にいつあるの?」
「来週です。アイドル活動のスケジュール調整もあるから、プロデューサーに同席してもらうつもりだったんですけど……」
「じゃあ、ちょうど良いタイミングじゃない。りんちゃんはどうするの?」
「私は最初からそのつもりです。この活動がどちらの方向へ転んだとしても、楓香が進む未来の先に、私も一緒に居たいと思っていますから」
「……なに、それ。私が途中でステージを下りるかもしれないなんて、思わないわけ?」
「まさか。だって約束したもの。もう二度とあんたを置いて行ったりしないって。それに……『まだステージに立っていたい』なんて強い目で言う人が、黙って諦めて下りていくなんて思うわけないじゃない」
……完全にぐうの音も出ない。
私は役に感情移入ができていないわけではなく、役に成り切った時のその心理状態を、自分の言葉で言語化できていないだけなのだ。
今だってヒロインを演じていて、監督も共演者のキャストたちも納得するような完璧な芝居をしているというのに、じゃあ『どうしてその表情ができたのか』を問われたら、自分でも説明ができない。
感覚だけで作品の核心を捉えてしまう私が、もし論理的な理論や学びを得たら、もっと恐ろしいほど演じられるようになる。……監督はそう言いたいのだろうか。
「まあ、あんたが最終的にどういう道を選ぶかは自由だけどね。少なくとも、私の進路は楓香がいるから決めたわけじゃないわ。じっくり悩んで考えなさい。相談に乗ってくれる大人なら、あんたの周りにいくらでもいるでしょう?」
「……ルカさんとか?」
「斑鳩さんに素直に聞けるなら、どうぞ聞いてみなさいな」
ルカさん、美琴さん、恋鐘ちゃん。
誰よりもアイドルでありたくて、今この瞬間も惜しみない努力を重ね続けている先輩たち。そっか……数え切れないほどあったはずの人生の選択肢の中から、己の意志で『今』を選び取り続けている彼女たちになら、この重い胸の内を打ち明けても良いのかもしれない。
「あ、ねえ琳。ここのシーンなんだけど……セリフを少し変えた方がいいと思うの。琳はどう思う?」
「そう思うなら、私じゃなくて監督に言いに行きなさいよ」
「というか……ここ、言葉なんて要らないんじゃないかな。私、言葉がなくても……多分、表情と間だけで魅せられると思う」
「……ふん。もう自分の中で答えが決まっているようなものじゃない」
さあね、どうだろう。
いつだって私は土壇場で悩み抜いて、最後の踏み出しの一歩がなかなか踏み出せない。そうして昔も、アイドルになることすら長いこと躊躇い続けていたのだから。
……いつだって私は、誰かに優しく背中を押してもらわなければ、前に進めない人間なのだ。
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