「お疲れ様です、プロデューサー」
「……あぁ、お疲れ」
「すみません、迂闊でしたね。あらかじめ学校側には許可を取ってありますので、その点はご心配なく」
今日は進路相談の日。
本来なら、というか一般的な高校生であれば、両親のどちらかに学校へ出向いてもらわなければならない場面だ。けれど私は、前述の通りプロデューサーに足を運んでもらっていた。
アイドルとしての活動をこれからも本気で続けていきたいこと、そして撮影現場で演技の勉強を本格的に進められたこと。それらの進路を、ステージに上がる私を最も近くで見守ってくれているプロデューサーと一緒に相談したいということ。……そのすべてを事前に両親に打ち明け、納得してもらった上で彼に来てもらったのだ。
そもそも我が家の両親は、三姉妹が揃ってアイドルとして活動していることもあり、そういった選択に対して非常に寛容だ。「楓香がどの道を選んだとしても、私たちは全力で応援するからね」と笑って言ってくれた時は、流石の私も少し目頭が熱くなりそうになった。
……さて、そんな進路相談である。
父兄でも何でもない、言ってしまえば赤の他人の男性が校内に入るという高いハードルを下げるべく、校門の前で落ち合う約束をしたのが運の尽きだった。
ただでさえ日常的に目立ってしまう私が、保護者でもない大人の男性と二人で立ち話をしている姿は、想像以上に周囲の注目を集めてしまっていた。同じ学校の生徒たちに限らず、校門に面した歩道を通り過ぎていく一般の人々にまで——「あれ、大崎楓香じゃない?」という視線と囁き声が波及していく。
「楓香、学校ではいつもこんな感じなのか?」
「そうですよ。もうすっかり慣れましたけど。……かつて一度は舞台を下りた私が、それでも諦めきれなかった要因の一つとも呼べるかもしれませんね」
「……大変だな」
「だからいつも言っているでしょう。私は学校よりも、事務所に行く時間の方が好きなんですよ」
別に学校という空間が嫌いなわけではない。けれど、この同じ時間があればもっとレッスンができたのに、新しい台本が読めたのに——そう考えてしまうくらいには、私自身が自ら交友関係を狭めている自覚はあるし、学業の方もついていけないなんてことはないのだから。……流石に、これだけ注目を浴びている中でそんな強気なセリフを口にしたりはしないけれど。
「進路について、自分なりに考えているのか?」
「どうでしょうね。本気で悩み抜いて真剣に考えている人たちからすれば、私の考えなんてふざけているように映るかもしれません」
「まぁ、現役のアイドルだからな。普通の女子高生には用意されていない選択肢が含まれている以上、悩むのは当然だ」
「だからこそ、ちゃんとプロデューサーを呼んだ理由があるんですよ。期待していますからね」
「手厳しいな……お手柔らかに頼むよ。……そうだ、一つ聞いておきたいことがあるんだが」
「なんですか?」
「『他人からの好意をまっすぐに受け取ることができなくなった』というのは……本当なのか?」
「……それ、誰から聞いたんですか?」
「さぁな。今、質問をしているのは俺だ」
……この人は、時々恐ろしいほど仕事が出来過ぎる大人だと思う。
この件に関して誰かに口止めをした覚えはないけれど、だからと言ってこのタイミング、この場所で持ち出すような話題でもないはずだ。だって今、私たちは周囲から見られているし、言葉を聞かれているかもしれないのだから。私もそれに対して、慎重に言葉を選んで答えなければならない。
「事実です。……元々、他人からの感情を受け取るのはあまり得意な方ではありませんでしたけど。なんというか……私が特定の人に向けて抱く感情の量に対して、周りから私に向けられる感情の波があまりにも大きすぎるんです。必死に自制を保とうとする私を置いてきぼりにして、どんどんと膨らんでいくそれらの愛に、私自身が耐えきれなくなってきている……というのが、花柳さんの分析であり見解です」
たとえば——千雪さんと一緒の時に、私が本当にしたいこと。
私たちはアイドルという立場上、軽々しく外でデートに出かけることはできない。それは私自身の目立ちやすい体質のせいでもあるけれど、私が現役の高校生ということもあって、互いのスケジュールを擦り合わせるのが難しいという現実的な理由もある。
だから自然と、二人で会う場所は事務所が多くなる。そして事務所にいる限り、二人きりになれる時間はどうしても限られてしまうのだ。
キスをしたいと思っても、それを実行できるほどの隙やすき間はない。かと言って、じゃあ触れ合う時間や機会が全く存在しないのかと言われたら、決してそうではない。
ほんの少し手を重ねるだけでも、欲望に素直な私は、より彼女の確かな体温を求めてしまう。もっと肌に触れていたい、声を聞いていたい。あわよくば、この手で彼女の理性を乱してしまいたい。
そう頭では望んでいるのに、望んでいるだけで行動には移せない。実行に移すには私はあまりにもまだ子供で、忙しくて——まるで付き合う直前の不器用な言い訳みたいに、千雪さんへの強い欲求を心の中に押し込めて隠してしまう。
だからこそ、私が本当にしたい行動に対して、私へと注がれる他人からの感情の方が、どんどんと自由に、そして大きく見えてしまうのだ。
「……表現者として立つ人間にとって、それが良くない状態であることは自分でも分かっているんです。私のような人間が感情を隠しきれていないなんて相当なことだ、と琳にも散々呆れられました」
「そうだな。俺が見ていても、今の楓香はどこか無理をしているように見える」
「問題は、その状態が知らぬ間に私自身を強く縛り付けている点にあります。レッスンや演技に支障が出ていること、プロデューサーも耳にしているのでしょう?」
「……あぁ。だからしばらくの間は事務所から、スケジュールの空いているアイドルと一緒に現場へ向かってくれ。レッスンに関しても、花柳さんを含めて俺たちスタッフが全面的にサポートする。楓香はどうか……一人で隠そうとなんてしないで欲しい」
「待ってください……! 私のために、皆の大切な時間を使わせるわけにはいきません」
それだけは絶対にダメだ。夢に向かって必死に努力している皆の足を、私という存在が引っ張るわけにはいかない。どうせ放っておいても私は必ず皆に追いつくのだから、周りが私に特別な気遣いなんてしなくたって——。
「楓香。283プロの誰もが、どれだけ楓香がもう一度ステージに帰ってくるのを待っていたと思っているんだ。……俺も、彼女たちも、全員が楓香のファンなんだよ」
「……」
「一人で全部を背負い込もうとなんてしないでくれ、頼むから。……今度こそ絶対に守ってみせると、俺はあの時言ったはずだぞ」
あぁ……すっかり忘れていた。
目の前のプロデューサーという人は、こちらが呆れてしまうくらいに、所属しているアイドルに対して甘くて温かい人だったのだ。仕事は完璧にこなしてしまうのに、人間としてはどこか抜け目があって。心の底から頼りにできるのに、隣を並んで歩くには少しだけ不安になるような、優しすぎる大人。
……いつだって私の背中を、まっすぐに押してくれる人。
「……ずるいなぁ、本当に」
私は一体、どれほど恵まれれば気が済むというのだろう。
「……ふ」
私たちを遠巻きに眺めていた生徒の誰かが、小さく声を上げた。
私だって、普通に笑う時くらいある。いつもなら自分が何かアクションを起こすたびに周囲が騒がしくなることを煩わしいと感じていたけれど、プロデューサーと一緒にいる今は違っていた。
そんな自分の変化がなんだか可笑しくて、私らしくて、同時に少しだけ悔しかった。
「……プロデューサー、約束ですからね。私のこと、まだまだ走らせてください」
「あぁ。楓香が『ステージに立ちたい』と望み続けてくれる限り、いくらでもな」
「私、演技のこと……もっと深く勉強してみようかなと思っています。本気で演劇の道を志している人たちから見れば、私の存在はきっと憎たらしく映ることでしょうけれど」
「……否定はできないな。何事も他の人間よりずっと早いスピードで習得してしまう楓香は、芸術というジャンルにおいてはどうしても周囲に敵を作りやすい傾向にあるからな」
「ええ。でも、それでもいいかなって思えたんです。私には琳がいて、プロデューサーがいて、千雪さんがいて、事務所の皆がいる。……もう二度と私を置いて行かないって約束してくれましたし、先を行く琳に追いつく方法は、私には全力で走り続けることしか分からないから」
次のライブはいつになるんだろう、と何度も心の中で反芻してしまうくらいに、私は今という時間が楽しくて幸せで。……それ以外のことなんて、もう何も要らないと思えるほどだった。
トントン、と叩いて教室の扉を開く。
こちらを向いて待っていた担任の先生が、私の表情を見て一瞬だけ驚いたように目を見開いた。窓ガラスにうっすらと反射する自分の顔は、驚くほど晴れやかだった。
「……大崎さん」
「先生。私、やりたいことがちゃんと決まりました」
先生の手元にあるのは、数ヶ月前に私が提出した進路調査票。
何度も呼び出されて指導を受けてもなお変わることがなかった私の答えは、白紙のままだった。
「アイドルを続けます。それから俳優業もモデルも、私に届くお仕事は全部挑戦したいです。そして、大学で演技についての専門的な学びを深めたいと考えています」
「……正直なところ、ずっと白紙で出されていたので、高校卒業後は芸能活動一本に専念されるものだと思っていました。その世界がどれほど過酷で厳しい場所であるかは、あなた自身が一番よく理解していることでしょう?」
「はい。でも、もう大丈夫です。今までは自分の中に潜む『才能』と呼ばれるものにただ引きずられて付き合ってきただけでしたけど……これからは、自分から真っ直ぐに向き合っていきます」
ただ自分の隣に転がっていただけの、才能と呼ばれるもの。
これからは、それと一緒に歩んでいく。……私は自分が『天才』なんだって、それくらい傲慢に胸を張っていいんだって、そう思えるようになったから。
先生は何も言わず、ただ優しく微笑んで私を見つめてくれた。私の選択を頭ごなしに否定したりしない人だと分かっていたからこそ、私も開口一番に自分の決意を話すことができたのだ。
「プロデューサーさんでしたね。本日はお忙しい中、ご足労いただきありがとうございました」
「いえ。私の方こそ、保護者でもない者が大崎さんの進路に口出しをしてしまい……」
「ですが、どこか憑き物が落ちたかのような今の彼女の表情を見れば分かります。本当に献身的に、温かく支えてくださっているのですね」
「……私はただ、大崎さんを信じているだけですよ。彼女なら、どれほど険しい道のりであっても、必ず最後まで走り切ってくれると」
「大崎さん、具体的な大学についてはもう調べてみたの?」
「いえ、まだです。ドラマの撮影現場で、監督さんからお声をかけていただいたのがきっかけだったので……これからユニットメンバーや事務所の皆にも相談してみるつもりです」
「それなら一度、時間がある時にでも我が校の演劇部顧問の先生を訪ねてみなさい。学生時代に演技を専門的に学ばれていた方だから、きっと色々と参考になるアドバイスがもらえると思うわ」
「分かりました、ありがとうございます。……それと、先生が私のアイドル活動をこんな風に応援してくださるのは、少し意外でした」
「ふふ、実はね、うちの子どもたちが大崎さんの大ファンなのよ。ほら、うちの2年生の……」
「あぁ……通っているとおっしゃっていましたね。娘さん、この前のライブイベントに来てくださって……すごく嬉しかったです」
「本人にも後で伝えておくわね」
「……なんだか、楓香がそういう風に大人と接している姿を見るの、すごく新鮮な気がするな」
「そうですか?」
「ルミナフラックスの二人は、二人とも怖いくらいに落ち着いていて冷静だからな。現場へ二人だけで送り出しても何の問題もないし、何より二人には花柳さんがついていてくれるだろ? 最近は特に、俺が直接付き添う機会が少なかったからさ」
「そうですねぇ……」
「とてもしっかり者の大崎さんらしい態度ですね。……あぁ、でもね、大崎さん」
「はい?」
「自分があまり興味を持てない物事に対する態度は、もう少し周囲に悟られないよう上手く隠した方がいいわよ。先生の目から見ると、結構分かりやすいから」
「……っ」
「おい、楓香……お前、ちゃんと授業受けてるんだろうな?」
「出席日数さえ足りていて、テストの点数が良ければ文句はないだろうって思っていました」
「ふふ、教師としての立場上はアレだけど、実際のところ私はそれで十分だと思うわよ。……でもね大崎さんなら、周りにそう思わせないように立ち振る舞うことだってできるでしょう?」
「それって、つまり……」
「教師として口にしてはいけないのかもしれないけれどね。授業をサボるならもっと上手く、あなたのその特技をフルに活かしてサボりなさいな」
「先生……!」
先生、本当にすごい。……というか、全部バレていたのだ。
周りに気づいてもらえるように、意図的に力を抜いていたこと。……じゃあこれからは、もっと日中の時間帯にお仕事のスケジュールを入れてもらおうかな。せっかく先生にこうして言ってもらえたのだから。
私は白紙だった進路調査票の第一希望欄に、「演劇・表現系の大学への進学」と書き足した。
第二希望は「現状のアイドル活動の継続」、第三希望は変わらず白紙のままだ。
先生からの温かい激励も、プロデューサーからのまっすぐな期待も、ファンのみんなからの歓声も。そのすべてが心地よく胸に響く今だからこそ、私は迷わず前に進むことができる。
「……プロデューサー。背中を押してくださって、ありがとうございました」
事務所へ向かう帰り道。
いつもなら後部座席に乗り込むところを、今日はプロデューサーの隣、助手席へと乗り込んだ。
車を運転している彼の横顔へまっすぐに感謝を伝えると、彼から少し照れくさそうな笑い声が返ってくる。
「よく言うよ。俺が何か言わなくたって、楓香の中で答えは最初から決まっていたんだろ?」
「違いますよ。……私は、誰かのために舞台に立ち続けたいんです。自分が楽しむためだけじゃなくて、私と一緒に楽しんでくれる人のために」
「……あぁ」
「その、一番最初の『誰か』は……きっと、プロデューサーですから」
もしも、あの過去の時のように……私の持てる才能がまた誰かを傷つけてしまうことがあったとしても。
あるいは、私自身が誰かの言葉に傷つけられることになったとしても。
私はもう二度と、被害者ぶって悲しみに閉じこもることはないし、決して一人きりなんかじゃない。
プロデューサーと、琳と、千雪さんと、283プロの愛おしい仲間たちと一緒に。
私はこれからも、輝くステージの上で光り続けていたいのだから。
プロデューサーのひみつ
「俺が一番最初に支えるって言ったのに…」