翌日。私はプロデューサーに連れられ、とある小劇場へと訪れていた。
舞台役者がメインとなる作品だから、下手な撮影スタジオを使うよりも雰囲気のある良い作品が作れるのだろう。……というか、業界に顔が利くらしい琳が自ら押さえたのかもしれない。
「あちらが、今回監督を務めてくださる——」
「初めまして、283プロダクションの……」
他の共演者やスタッフとの顔合わせのため、私は過保護なプロデューサーと共に挨拶回りをしていた。
特に私はデビュー前のド新人アイドルだ。挨拶を交わす大人たちから、私を精査し、品定めするような刺々しい視線を感じる。できるだけ私を庇おうと立ち回ってくれるプロデューサーには悪いけれど、良くも悪くも、私は昔からそういう視線には慣れすぎてしまっていた。
中学の部活動という狭い世界でしか舞台に立ったことがない私。他校の演劇部にうわさが届く程度で、世間的にはまったく無名の存在だ。
そんな正体不明の素人が突然主役級に抜擢されただけでも驚きなのに、それが"いま注目の若手女優からの強い指名"だなんて。叩き上げの役者たちからすれば、訝しむのも悔しがるのも当然のことだろう。
そんな思考を巡らせていた時——不意に、現場の空気がわずかに揺れた。
入口の方から歩いてくる、目を引く夜空のような深い髪色。
「おはようございます、二瓶琳です」
ハッキリとした、通り通る声。
けれどどこか張り詰めていて、かすかに震えているその声を聞いて、私よりも彼女の方があからさまに緊張しているのだとすぐに分かった。
あの日、舞台袖から私を見ていた時よりも、ずっと、ずっと弱々しい瞳。
観客のどよめきと、私に向けられた嘲笑。主役である私ひとりが舞台に立っても、他の部員たちは誰もついてこなかった。私一人だけをスポットライトの下に残して、そのまま幕が降りた中学最後の発表会。
台本で描かれた「雨宮玲奈」が彼女の本心を映しているのだとしたら……彼女はあの日からずっと、取り返しのつかない過去への後悔に苛まれ続けていたのだろう。
「……楓香、大丈夫か?」
「心配性ですね。平気だって、何度も言っているじゃないですか」
案じるように私を見つめてくるプロデューサー。
アイドルのメンタルケアも彼の大切な仕事の一つなのだろうけれど、それは私以外のアイドルに限った話だ。
私は、揺れる瞳でこちらを凝視している琳へと、静かに歩み寄っていく。
……よかった。私を見て逃げ出されたりしたら、流石の私も少しだけ傷ついていただろうから。
「久しぶりだね、琳」
「……楓香」
私がすっと差し出した右手を、彼女は怯えたように一瞥する。
恐る恐ると伸ばされてきた彼女の手をしっかりと握り締めると、触れた指先からひんやりとした冷たさが伝わってきた。
私と比べて、ずっと緊張しがちな彼女らしい温度。
「琳の気持ち、ちゃんと伝わってるよ。怖がらなくていい……なんて言っても無理だろうから、先に宣言しておくね」
「待って……!」
「信じてるよ。ずっと」
琳は私に嘘をつけない。
そもそも比較対象が私だという事実自体が残酷なのだが、大切な人にまで本心を隠し通すのは、等身大の女子高生らしくないと自覚しているからだろう。だからこそ——私も、彼女に嘘なんてつかない。
監督や他の共演者との挨拶を済ませてからも、私は自然と琳の隣をキープし続けた。
私から寄り添ったというよりも、お互いに吸い寄せられるようにそうなったのだと思う。視線で琳を探せば、彼女もまた自然とこちらへ歩み寄ってきてくれた。
あんな出来事があって、会わない日々がどれだけ続いても……琳の中で、私はまだ「親友」を名重ねられている。そう実感するだけで、柄にもなく心が浮き立ってしまうくらいには、私も嬉しかったのだ。
映画の撮影は、拍子抜けするほど滞りなく進んでいった。
私が特別に作り込む必要すらないくらいに、「一条葵」は私そのものだったし、「雨宮玲奈」もまた、等身大の二瓶琳そのものだった。
余談だが、監督に聞いた話では、この映画の台本は本当に琳自身が書き上げたものらしい。完成したのはもう二年も前のことだという。全く……怖いくらいに、何でも一人で背負い込みすぎる。
W主演の私たちがNGを出さないせいもあって、予定していた撮影期間は大幅に短縮されていた。映画とは言っても、尺は一時間をわずかに超える程度の小品だ。私にとっても琳にとっても、必要以上に飾り立てる必要のない、剥き出しの物語だった。
「——撮影開始! カメラ、寄って!」
監督の合図が響く。ステージの上で、かつて練習に励んでいた二人の場面。
「懐かしいな」と一瞬ノスタルジーに浸る私に向けて、「雨宮玲奈」が叫んだ。
『——いつか絶対、あんたを超えるわ、葵!』
『……うん。ずっと、一緒に舞台に立とうね』
カメラのフレーム内にいる限り、私たちはその瞬間、あの日の自分たちを投影した「雨宮玲奈」と「一条葵」になる。
憧れ、焦燥、嫉妬、そして——憎しみ。
台本に書かれたセリフのはずなのに、琳の悲痛な叫びが、鋭い刃となって私の胸に突き刺さる。
ただ一緒に舞台に立ちたかっただけの私と、その中心で胸を張れる自分になりたかった琳。
互いが抱える感情はすれ違ったまま、ただ重なり合った手だけを取って駆け出したあの日々。対照的すぎるその熱量が、少しずつ彼女の心を破綻させていく。
『——どうして……っ、どうしてまた、あんたが主役なのよ!?』
『どうしても何も……私はただ、全力を尽くしただけだよ』
今なら分かる。何の気なしに私が口にしたその言葉が、彼女たちにとってどれほど残酷で、苦しい言葉だったのか。
悪意もなければ、含みすらない純粋な全力を出すこと。私には手を抜く理由なんて存在しなかった。けれど、その無垢な言葉で傷つく人間がどれだけいるのか、当時の私は考えもしなかったのだ。
『——っ、いっつもそうやって澄ました顔で! 私の努力も知らないで簡単に手に入れて……本当は、影で笑ってるんでしょう!?』
憎しみと悲しみが、彼女の中にあった憧れを塗りつぶしていく。……私が、そうさせてしまったのだ。
演技だと頭では分かっていても、直に触れる彼女の悲痛な叫びに、胸が締め付けられるように痛む。
「カット! 一旦休憩!」
監督の声が響き、役に没入していた意識を現実へと引き戻す。
あの頃の私たちは、きっと大人ぶっていただけの、幼すぎる子供だったのだと思い知らされる。
肩を小さく震わせている琳の背中に、そっと手を添えた。
「……琳」
「……楓香?」
雨宮玲奈という役を通して、三年前に自分が犯した愚かさに苛まれ、苦しむ琳。
器用じゃないのだから、過去と現在、その両方を一度に見ようとしなくていいのに。
罪の意識に囚われていた彼女が、再びそれをなぞり直すようなこの撮影に、どれほどの覚悟で臨んだのかが痛いほど伝わってくる。
……私は、あの日何もできなかった。何もしようとしなかった。
私は彼女の手を引っ張り、セットの端へと連れていくと、半分無理やり丸椅子に座らせた。
「大丈夫?」
私の問いかけに、彼女は静かに首を横に振る。
「……大丈夫、じゃない。本当に……しんどい……」
滅多に素直な弱音なんて吐かない子だ。
そんな彼女にここまでの弱音を吐かせ、心を突き動かせるのは、きっと世界で私しかいない。
最も醜い感情に支配されていた時期の記憶。目を逸らしたくなるほど辛いはずなのに、琳は私への罪悪感と「逃げ出さない」という誓いだけで、踏みとどまっているのだ。
「だよねぇ。……私も、台本を貰った時からずっと、そう思ってるよ」
私と少しだけ似ている、月のような透明感のある瞳が、ようやく今の私をまっすぐに見つめ返した。
「私ね。……琳がいなかったら、多分今もずっと一人だった」
「天才」と呼ばれるものを持っていたとしても、それを客観的に自覚してコントロールすることなんてできない。
無意識に振りかざされたそれは、理不尽な暴力と同じくらい鋭く、誰かの心を貫いてしまう。
それを知ることができたのは……あの日、私が舞台の上に一人きりで取り残されたからだ。
そこに至る過程や順序は歪んでいたかもしれないけれど、私はあの絶望を経験して、ようやく知ることができた。
私は、あの日誰かに傷つけられたんじゃない。……私が、誰かを傷つけていたのだと。
「楓香、私……っ、ごめんなさい……!」
「……うん」
「ずっと羨ましかった……っ! 私が欲しかったものを全部持っている楓香が……! 私のことを、ずっと待ってくれていた楓香が……!」
「……伝わってるよ」
「……っ、私はただ、楓香と一緒にいられれば、それでよかったはずなのに……っ! 忘れてしまって、あなたを一人置いていって……本当に、ごめんなさい……っ!」
「……置いて行ったのは、私も同じだよ」
堪えきれなくなったように涙を溢れさせる琳を、私は強く抱き寄せた。
「衣装が濡れたら怒られるかな」とか、「周りのスタッフや共演者に見られているな」とか、頭の隅で考えることはたくさんあったけれど。
私のせいでこんなにも泣いている、愛おしい親友のためなら、何を言われたって構わないと思えた。
胸の中で、小さく何度も、確かめるように私の名前を呼ぶ琳。
……失わずにいられて、本当によかった。
なんて思うのは……さすがにナルシシズムが過ぎるかな。
件の短編映画は、蓋を開けてみれば大成功を収めた。
あの天才若手女優・二瓶琳がW主演の片方を務めたという強力な話題性も相まって、世間や業界からは「一体何者なんだ、あの新人アイドルは」という鮮烈なフォーカスが私へと注がれることになったのだ。
結果的に見ても、琳からの直接のオファーを受けて本当に良かったと言えるだろう。
さて、その映画なのだが。
本来の台本には存在しなかった、今の私たち二人のモノローグが最後に付け足されることとなった。
そこに描かれた物語が私たち二人の実話であること、和解どころか以前よりも深く心が重なり合ったこと。
そして——私たち二人が、これから同じアイドルユニットとして活動していくこと。
「改めて……二瓶琳です。よろしくお願いします」
「よろしく、琳。……何か楓香に無理難題を言われたりはしてないか?」
「扱いには慣れていますので、お気になさらず」
「本人の目の前なんですけど」
283プロダクションへと移籍する頃には、すっかり本来の調子を取り戻した様子の琳。
しかし、彼女の移籍を含めた一連の発表に対しては、世間では賛否両論が巻き起こっていた。
無理もない。若さゆえの錯覚や周囲の雑音があったとはいえ、彼女は一度「大崎楓香」という才能を舞台から追い落としかけたのだから。当の私自身は、何一つ気にしてなどいないのだけれど。
そして、私達のアイドル活動公表によって環境が変わったのは、琳を取り巻く周囲だけではなかった。
「お姉ちゃんっ!」
「あ、出た。シスコン2号」
「ちょっと琳ちゃん、2号の意味を詳しく聞いてもいいかな?」
「1号は間違いなく楓香でしょ」
「あ、それもそっか☆」
「納得しないで、甘奈」
そう。我らが283プロに所属するアイドルの大半が、私のデビューに対して大きく期待を膨らませていたのだ。
元より目を引く容姿と、魅せる・表現することに関してはプロのアイドル顔負けだったらしく、「その日」を待ち望んでいた人は予想以上に多かったらしい。だからこそ、私は今回の千載一遇の機会を逃さずに済んだのだ。
プロデューサーと事務所の居間で打ち合わせをしている最中、それはもう堂々と入ってきた甘奈。
隠すような話でもないから困りはしないけれど、少しはドアの前で躊躇ってほしかったかな。
「ユニット名とか、もう決まってるの?」
「あぁ。——『LuminaFluX(ルミナフラックス)』だ。ラテン語で光を意味する『ルミナ』と、同じく流れることを意味する『フラックス』を掛け合わせた。二人の持つ圧倒的な演技力を特色とした、演劇的なユニットコンセプトを考えていてな」
「演技力……ですか?」
「アイドルのライブであり、同時に、二人の演者が創り上げる一本の舞台。それを提示できれば、誰も真似できない唯一無二のステージになると思わないか?」
確信に満ちたプロデューサーの言葉に、私は小さく息を漏らして笑った。
そんな無茶な注文、私と琳でなければ到底受け止めきれないというのに。
「構いませんよ、それで。……『何者か』になることなら、得意ですから」
「高い目標に向けて走り続けるのも、ね」
「わぁ……! 甘奈、すっごく楽しみにしてるからね!」
「映画の件もあって、各方面からデビューライブを待ち望む声が上がっている。急で悪いんだが……本番は一ヶ月後になりそうだ」
「……一ヶ月『も』あるんですか?」
「……いいのか、琳」
「別に。やるべきことは何一つ変わりませんので」
話が一区切りついたのを見届けると、琳は静かに立ち上がった。きっと、早速自主レッスンに向かうのだろう。
「後で追いかけるね」と短く視線を投げかけると、彼女は小さく頷いて部屋を後にした。
残されたプロデューサーは、どこか戸惑ったような表情を浮かべている。
私に一ヶ月もあれば十分だと分かっているこの人は、まだ「二瓶琳」という女優の本当の凄みを知らないのだ。
「楓香。もし琳が無理なハードワークをしているようだったら、すぐに教えてくれ」
「えぇ? 私が怒られる側ですよ」
「手は抜くなよ」
「違う違う。プロデューサーさん、忘れちゃったの?」
「何をだ?」
「琳ちゃんはね——お姉ちゃんに追いつける人なんだよ」
……いや、サボりに関しては否定しないけれど。
甘奈のその言葉を聞いたプロデューサーは、ハッと悟ったように目を丸くし、それから楽しそうに口元を緩めた。
琳は自分のことを、まるで才能なんて無いかのように謙遜して言うけれど。
私からすれば、あれほど苛烈な才能に溢れていながら、ただの一度だって傲慢にならない彼女の方が……よっぽど恐ろしくて、凄いのだから。
「さてと。私も行こうかな、怒られないうちに」
「……楓香」
「はい?」
「……良かったな」
「…………はい」
彼は、限られた情報と私たちの表情だけで、そこまでの全てを読み取ってくれたらしかった。
——私と一緒に、どこまでも走っていける人なんて。
世界中で、私は琳しか知らないのだから。
今回からひみつと称してプチ設定でも書いていこうと思います。
楓香のひみつ
実はまぁまぁ中二病