来たる今日、——私たちはついにデビューの日を迎えていた。
例の映画の話題性もあって注目度は抜群だったものの、急ピッチで会場を押さえ、演出家の方々と擦り合わせを重ねてきたため、準備に潤沢な時間を割けたとは言い難い。
本日の会場は、あまり大きくはない小規模なライブハウスだ。その代わり、二曲のパフォーマンス披露にトークタイム、さらには簡単な握手会までを組み込んだイベントを一日三公演。現在の私たちの体力を考慮した上で、できる限り多くのファンに「LuminaFluX」を知ってもらうための、怒涛のファーストイベントである。
公演中の撮影も許可されているため、もしかしたら来場者がSNSに動画を投稿して拡散してくれるかもしれない。何より驚いたのは、琳のコネクションでテレビ局がこのライブの生中継と特別特集を組んでくれたことだ。もちろん正式に事務所を通した案件ではあるのだが、プロデューサーはその話を聞かされた時、滝のような冷や汗を流していた。……まあ、可哀想に。
「大崎さん……さすがに素材が良すぎますね」
「……褒めてくださっているんですよね?」
「楓香、無駄に動かないで」
「……はぁい」
現在、控室で私のメイクを担当しているのは、プロのメイクさんではなく——なぜか相棒だった。
『楓香の顔の骨格も癖も一番知っているのは私だから』と、大量のコスメ道具を持ち込んできたことを知った時は、思わず甘奈の顔が過ぎったものだ。
鏡越しにじっと私を注視する琳の並々ならぬ熱意に気圧され、私はメイクさんの感嘆とも困惑ともつかない呟きへの返答を諦めた。
自分でも最低限のメイクはするけれど、甘奈や本職のメイクさんほど器用にこなせるわけではない。何より私の本質は、甜花と同じ「省エネ・怠惰寄り」の人間なので、こうして借りてきた猫のように大人しく座っているのが一番である。
それにしても、こんな過密日程の中でこれほどクオリティの高い衣装を仕立ててくださった衣装チームの皆さんには、感謝しても足りないくらいだ。
記念すべきファーストライブ。プロデューサーに『最初はもっと大きい会場が良かったなぁ』なんて冗談めかして口を尖らせたこともあったけれど、どんなステージであろうと私がやるべきパフォーマンスが変わるわけではない。
私たち「LuminaFluX」の衣装は、例えるならシーズの「シャンドゥ・ヴォーギン」を思わせる、洗練されたアシンメトリーなクールスタイルだ。
私はユニットカラーである重厚な瑠璃紺のライダースジャケットに、黒のハイネックタンクトップ。そして私のイメージカラーである澄んだ藍白のプリーツスカート。足元はメタリックな黒のショートブーツで締められており、なんというか……プロデューサーが私を『格好よくて美しい、圧倒的な主演』として売り出したいのだとよく分かる仕上がり。
対する琳は、自身のカラーである鮮やかな濃浅葱のジャケットに、ノーカラーの白いショート丈シャツ。膝下まで流れる黒のフレアスカートに、メタリックなホワイトのブーツを合わせている。ヒールは私よりもやや低めに抑えられており、彼女の持つシャープな美貌と透明感を際立たせるシルエット。
至る所にお互いの差し色が入っており、単体で見ればかなり洗練されたデザインなのだが、本来『楽曲ではなく圧倒的な演出で魅せる』スタイルの私たちにしては、どこか華やかでファンシーな印象も受ける。
……まあ、私としては綺麗に着飾った琳を一番近くで拝めるのだから、大満足なのだけれど。
「大崎さん、二瓶さん。仕上げのアクセサリーを着けていきますね」
「……楓香って、どのタイミングでピアス開けたの?」
「あぁ……高校デビューって言ったら驚く?」
「別に。ただ、私の知らない頃の楓香のことは全部知りたいと思っただけ」
……なんだか、ちょっと面倒くさい彼女みたいな言い草である。
耳にピアスを開けたのも、長かった髪を短く切り揃えたのも、今のようなフランクな話し方になったのも……全部、私の「高校デビュー」がきっかけだ。
正しくは、富山から東京へと引っ越してきて、今の高校に転校してきた時のデビューだが。
当時の私は、気恥ずかしさを感じる暇もないほど、心に深い傷を負っていたのだと思う。中学のあの発表会での出来事からそれほど長い月日も経っていなかったし、当然と言えば当然だろう。
何度語っても飽きないくらいだが、私には「自分がどうしても目立ってしまう容姿をしている」という自覚がある。
だからこそ、東京の高校に転校して瞬く間に校内で話題になってしまった時も、大して驚きはしなかった。ただ、誰からも「高嶺の花」として腫れ物扱いされることだけが、たまらなく嫌だったのだ。
私がみんなと同じ、ただの普通の女子高生に見えるように。
そう願って、髪型も、服装も、話し方すらも全部変えたというのに。
「無駄だったなぁ、全部。……でも、こうしてアイドルという天職に出会えて、ようやく報われた気がするよ」
あの日、スポットライトの下で舞台の上に置き去りにされた過去よりも。
何の悪意も込められていない、ただの憧れや距離感から遠ざけられる日々の方が……よっぽど寂しかった。
もちろん今の私にも、友人と言える大切な子たちはいる。けれどそれは、私という人間に何のレッテルも貼らず、ただの「大崎楓香」として接してくれる子たちだけだ。私が落ち着いて息を吐ける場所を作ってくれる子、それだけ
そう考えると、アイドルとしてデビューすると決めた今。持ち前の演技力を使って「完璧なアイドル」を魅せる機会を得られたことは、過去の私の足掻きを肯定し、救い出してくれる最高の舞台と言えるのかもしれない。
元より私は、不特定多数の千の歓声よりも……ただ一人の深い愛を求めるタイプなのだから。
「……悪かったわね、私のせいで苦労させて」
「気にしてないよ、今は。……ほら、そんな悲しそうな顔しないの」
「っ、ちょっと……! メイクが乱れるでしょう!?」
少しだけ胸を痛めたような表情を浮かべた琳の頭を、私はよしよしと撫でてあげる。
「セットした直後だから触るな」と口では毒づきながらも、どこか嬉しそうに目を細める彼女。……ふっふっふ、人を甘やかすことに関しては、17年間お姉ちゃんとして生きてきた私の圧倒的勝利である。
そんな風に二人でじゃれ合っていると、控え室のドアがコンコンと軽やかに叩かれた。
慌てて体勢を整えて返事をすると、ドアが開き、聞き覚えのある声が飛び込んでくる。
「楓香、琳。準備の進み具合はどうだ?」
「プロデューサー。それと……え、千雪さん!?」
「お疲れ様、二人とも。緊張してないかな? 差し入れを持ってきたよ」
プロデューサーの後ろからひょっこりと顔を出したのは、紛れもない千雪さんだった。
ライブに来てくれるとは言っていたけれど、まさか本番前の控室にまで足を運んでくれるなんて。三公演もあるから、仕事の合間を縫って客席で観てくれるのだと思っていたのに、正真正銘、一番最初の公演の前に応援に駆けつけてくれたのだ。
うわ、どうしよう。めちゃくちゃ嬉しい。
今日も飛び切り綺麗で可愛くて、これから仕事がある人とは思えないくらいお洒落をしてきてくれて。……自惚れが許されるのなら、それはこれが私の晴れ舞台だからで。
喉まで出かかった「好きです」の言葉を、私は必死の思いで呑み込んだ。
「……っ」
「お忙しい中、わざわざありがとうございます、桑山さん」
「ううん。琳ちゃんはすごく落ち着いているね、さすがだなぁ」
「ええ、まあ。まったく緊張していないと言えば嘘になりますが」
「楓香ちゃん?」
千雪さんに名前を呼ばれ、私の身体が跳ねるように強張る。
……「ライブ本番直前という事実よりも、千雪さんに見惚れすぎて心臓が破裂しそうです」なんて、ここが事務所の居間なら言えたのに。
「……お綺麗です、今日も」
「ふふ、ありがとう。会うたびにそうやって褒めてくれて、嬉しいよ」
「本気で言ってるの、ちゃんと分かってます?」
「うん、分かってるよ。……でも、気をつけてね?」
「へ?」
「大崎楓香は、カメラやスタッフの前でそんなだらしない顔をしないの。ここ、事務所の居間じゃないのよ」
隣から、琳が冷ややかな呆れ声を投げてくる。
鏡に映った自分の顔を見れば、そこには好きな人のサプライズ訪問に骨抜きにされ、目尻を下げ切った私の姿があった。……確かに、これは私というアイドルの表情ではないな。
「楓香。お前に無理やりクール売りを強いるつもりはないが……その、女性に対して見境なく甘いところは少しどうにかしろよ?」
「プロデューサー、私のことそんな風に思ってたんですか!?」
「あんた、顔と声と基本の性格は抜群に良いんだからね」
「何が悪いのむしろ」
「女癖」
「一途だって言ってるよねぇ!?」
琳が私のことを大好きなのは痛いほど伝わってきたが……それはそれとして、私のことを何だと思っているのだろう。
これから一生モノのデビューライブが始まるというのに、相棒からの信頼が微塵も感じられない。というか、この会話はプロデューサーや千雪さんだけでなく、ライブハウスのスタッフさんや裏方の方々も聞いているのだから、根も葉もない噂を流すのは本当にやめてほしい。
「ふふ、楓香ちゃん」
「……はいっ」
「すっごく、楽しみにしてるからね。……頑張って」
ふわりと、心に咲くような柔らかい微笑みを浮かべる千雪さん。
……ああ、やっぱり私は、この人がどうしようもなく大好きなのだ。
「……見ていてください、千雪さん。これが……私たちの、最初の一歩目です」
そろそろ開演前の最終チェックの時間だ。
スタッフとの打ち合わせに入る私たちを横目に、千雪さんは関係者席へと向かっていく。
私がアイドルになりたいと思ったのは、かつて舞台の上から見渡したあの光景が忘れられなかったからだけじゃない。
——舞台を降りた空っぽな私のままでは、千雪さんの隣に胸を張って並ぶ資格がないと、自分自身で思ってしまったからだ。
最初は、ただそれだけだった。けれど……今は違う。
「行こう、琳。……あの中にいる全員の、『最推し』になりに」
「……ええ。魅せてやりましょう」
琳のひみつ
実は相棒の1番好きなところは顔