「海だー!」
「ちょっと楓香、そんな大声で叫ばないの。恥ずかしいから」
「ふーたん、まずは撮影が先だからね〜。はしゃぐのは後!」
「二人とも、まずはお着替えしておいで」
「……なんか私、結華ちゃんにも子供扱いされてませんでした?」
「気のせいよ」
夏のうだるような猛暑もすっかり過ぎ去り、季節は心地よい秋風が吹き抜ける頃へと移り変わっていた。
残暑の名残が厳しいとは言え、もう海水浴のシーズンは終わっている。観光地として有名なこの海岸にも、「景観維持および安全のため、遊泳はご遠慮ください」という真新しい看板が立てられていた。もっとも、監視員がいないだけで自己責任での遊泳自体は禁止されていないらしいけれど。
何はともあれ、私たち「LuminaFluX」の二人は、とあるファッション・カルチャー雑誌の撮影のために、この海辺へとやってきていた。
企画のテーマは「新人アイドルの素顔と魅力に迫る」。
端的に言ってしまえば、多彩な衣装を着た私たちの様々な表情をお届けするという、グラビアとインタビューを兼ねた大がかりなコーナーだ。雑誌のタイアップ企画でありながら、ページ数的には一種のミニ写真集と言っても過言ではない。
短期間で驚異的な知名度と話題性を獲得することに成功した私たちのためだからか、用意された衣装もどこか洗練されていて、非常に涼しげだった。
白いトップスにデニムパンツという、とことんカジュアルな私に対して、琳が纏っているのはシックな黒のレーススカート。
カジュアルにまとめた私と、どこかエレガントな彼女。……うん、並んだ時の対比として、我ながら完璧なビジュアルバランスだと思う。
今回はプロデューサーが別のアイドルの現場に張り付いているということで、ありがたいことに事務所からオフの先輩アイドルたちが付き添いに来てくれていた。
偶然か必然か、同行してくれたのは千雪さんと結華ちゃんの二人。……もう、これだけで今日の仕事の成功が約束されたようなものだ。温かい笑顔でこちらを見守ってくれている二人があまりにも眩しくて、今日も今日とて心の底から目が幸せである。
「ねえ琳、今日の衣装、すごく似合ってるよ」
「……ありがとう。楓香のその格好も、十分に似合っているわよ」
ファーストイベントを終えてからというもの、琳はときどき、私の耳元のピアスに視線を落とす癖がついているようだ。
何がそんなに気になるのかは分からないけれど、日によって付け替えるそれをじっと観察しては、気恥ずかしそうにすっと目をそらす。……そんなにデザインが奇抜なら、いっそ「似合わない」と言ってくれてもいいのに。
「二人ともまだ高校生だもんねぇ。普段からお化粧なんてほとんどしなくても、十分に可愛いのにね……」
メイクさんのそんな乾いた笑い声が、控え室代わりの海の家に響く。
そう言われても、私は誰かにプロのメイクをしてもらう非日常の時間が結構好きだったりする。
「私、未だに自分で上手くメイクできなくて困っちゃうんだよね。琳に基礎を教えてもらったのに」
「……妹に毎日あれだけ顔をいじられていたら、基準が定まらなくなるのも無理ないわよ。なまじ、元の素材が良いものだから尚更ね」
「妹……って、あの甘奈ちゃん?」
「そうです。朝の支度時間なんて、毎日ちょっとした戦争なんですよ」
ランニング帰りで汗をかいているところを嗅がれたくない私と、何が何でもお姉ちゃんにべったりと甘えたい末っ子。
甘奈はなぜか私を着飾ることに妙な情熱を燃やしていて、ヘアアレンジやリップの色選びなど、毎朝から張り切って洗面所に乗り込んでくるのだ。毎朝の軽い小競り合いのようになっているけれど、振り返ればこれもまた、贅沢すぎる悩みと言えるのかもしれない。
「よし、ヘアメイク完了! 二人とも、打ち合わせに行ってらっしゃい」
「……楓香、海にダイブするのはまだお預けだからね」
そんなに何度も念を押さなくても、私は子供じゃないんだから分かっている。
カメラマンや編集スタッフの待つ砂浜の特設席へ向かうと、そこには、見覚えのある鮮やかな色のジャケットを着た人物が、こちらに気づいてニッコリと微笑んでいた。
「お久しぶり。映画のクランクアップ以来だね、二人とも」
「花柳さん、 お久しぶりです」
「どうして、監督がここにいらっしゃるんですか?」
「あれ、聞いてない? 私、283プロにお願いしたの。君たちの撮影を一任させて欲しいって」
そこで私たちを待っていたのは、映画『偽りの仮面』の監督である——花柳さつきさんだった。
まだ三十代前半という若さでありながら、どこか飄々とした大人の余裕を漂わせる女性だ。あの映画の撮影があそこまでスムーズに、かつ深い納得感を持って進んだのも、彼女が私たちの生々しい意見やアドバイスを存分に汲み取り、映像に昇華してくれたからだった。
そんな大物監督が、なぜ雑誌の専属カメラマンのようにここにいるのか。
不思議に思って隣に視線を走らせると、琳は小さく頷いて、静かに口を開いた。
「花柳さんは元々、カメラマンが本業よ。あの映画の時は、私が直接オファーを出したから監督を引き受けてくれただけで……言ってみれば、こういうことね」
「りんちゃん専用の専属カメラマン、って感じかな? 実は、りんちゃんが以前舞台に立っていた頃も、この子のために色々写真を撮ったり手伝ったりしていたのよ」
「へぇ……あ、だから、今回の私たちの撮影にも?」
「そゆこと〜。君たちの持つ狂気的なまでの表現力も、ステージの上の輝きも、業界で一番よく知っている自信があるからね。今後の雑誌の撮影や、ビジュアルワークの仕事は全部私が同行するから。よろしくね、ふうちゃん」
花柳さんはそう言って、気さくに私の右手をとって力強く握手をしてくれた。彼女は私の頭を軽くポンポンと撫でる。
なんだろう、もし私に「近所の気さくで頼れるお姉さん」という存在がいたら、きっとこういう人のことを言うのだろうなと思わせる空気感がある。
その後、見学に来ていた千雪さんと結華ちゃんとも合流し、いよいよ本番の打ち合わせが始まった。
雑誌の撮影なのだから、普通は出版社の専属カメラマンがシャッターを切るものだと思っていたけれど……こうして外部のクリエイターに直接オファーすることもあるのだ。この場合は「外注」というよりかは、カメラマン側の強い希望があってこそ、であったようだが。
「気取ったポージングを狙うより、なるべく彼女たちの自然体の関係性を切り取った方が面白い誌面になると思います。表現力については私が保証しますし、現場のディレクションはすべて私に任せていただけませんか?」
「ええ、それはもちろん構いませんよ。その分、私たちはじっくりとロングインタビューに集中させていただきますから。ただ……読者層であるファンの需要というものもありますので、そのあたりは……」
「あー……うん、まあ、大丈夫です。そこは私が一番よく分かってるから、任せてください」
花柳さんと出版社の担当者さんのそんな打ち合わせのやり取りを聞きながら、私は事前に渡されていたインタビュー用のアンケート用紙に目を通す。
事前情報にあった通り、今回のテーマは「新人アイドルたちの素顔」。
舞台女優として先に世間に知られていた琳と、その琳に並び立つようにして圧倒的なパフォーマンスを発揮した私。それぞれのプロフィールと、お互いに対する印象などが質問項目として並んでいる。
だから、まあ。
出版社側が言う「ファンからの需要」というニュアンスを、私が理解していないわけではない。
けれど、花柳さんの「自然体の関係性を」という言葉の裏にある意図が、少しだけ気にかかる。
私たちLuminaFluXは、一般的な「仲良しアイドルデュオ」という枠組みよりも、もっとヒリついた「バディ」や「共犯者」としての側面が強い。だからこそ、ファンが私たちに求めているものも、きっとそういう尖った熱量のはずなのだ。
「じゃあふうちゃん。まずは、りんちゃんをエスコートして砂浜を歩いてみてくれる?」
「……はい?」
「あ、別に深くまで考えなくていいよ〜。例えば、普段妹ちゃんたちを可愛がるみたいに、りんちゃんの手を取って連れて歩いてごらん。適当に喋りながらでいいからさ」
「……分かりました、やってみます」
なぜか今回、花柳さんから指名を受けるのは私ばかりだ。
「エスコート」という、シンプルながらも少し気恥ずかしさを覚える指示を受け、私は仕方なくテラス席からサラサラとした白い砂浜へと足を踏み出した。
スポーツサンダルを履いている私とは対照的に、琳はヒールこそないものの、華奢なストラップサンダルを着用している。歩きやすさという点では圧倒的に私に軍配が上がるだろう。
案の定、ヒールの隙間に砂が入るのを警戒したのか、おっかなびっくりといった様子で砂浜に降り立つ琳。
私はそんな彼女の姿に苦笑しつつ、スッと右手を差し出した。
「……何よ、その手」
「お手をどうぞ?」
「腹立つわね。そういうキザなセリフが自然に様になっちゃうところも含めて」
「もうそれは完全にただの言い掛かりじゃない?」
「いいねぇ、いい表情だよー! そのまま歩いて歩いて!」
少しだけ不満そうに唇を尖らせながらも、琳は素直に私の差し出した手を取った。
言葉の端こそ少しトゲがあるものの、彼女が私に対して抱いている全幅の信頼と好意は、ファンに負けず劣らず本物だ。花柳さんからの「自然な二人を」というOKサインを背中に受け、私たちはカメラのレンズに向かって砂浜を進んでいく。
自分で言うのもなんだけれど、私がエスコートする側になっているのは、純粋に琳と比べて私の身長が少し高いから……というのもあるだろう。
咲耶ちゃんみたいに、「王子様然とした振る舞い」の趣味があるわけではない。いや、撮影で「やってくれ」と言われたら完璧に演じてみせられる自信はあるけれど、これはあくまで素の私たちを切り取る企画なのだ。
でも、なんだろうなぁ。
花柳さんの目に私たちはどう映っているのだろう。いや、よく考えたらイベントの時も配信の時も、私は琳の可愛さを周りにこれでもかと自慢しすぎていた気がする。だから周囲から見れば、自然とこういう「面倒見の良いお姉ちゃんと、少し気難しい相棒」という関係性に見えているのかもしれない。
……まあ、可愛いものを可愛いと素直に愛でて何が悪いという話なのだが。
「ねえ、楓香。……ちょっと、話しておきたいことがあるの」
「ん? どうしたの、急に」
「……私ね、結華さんのこと……もしかしたら、好きになってしまったかもしれないわ」
「へっ……?」
思わず、足が止まりそうになった。
まさか、あの孤高の相棒の口から「恋バナ」なんて言葉が飛び出してくるとは思わなかったからだ。
幸い、周囲にいるのは花柳さんと、遠くで機材を調整しているアシスタントの方々だけ。もちろん情報管理には気をつけなければならないけれど、信頼できる出版社のスタッフだ。そう簡単に外へ漏れる心配はない。
私は繋いだ手に少しだけ力を込め、歩幅を緩めながら彼女の言葉の続きを待った。
——その恋のきっかけが、間違いなく「あの日のレッスン」にあると分かっていたからだ。
「この間のレッスンの時?」
「……彼女のことを、心の底から信用できるなと思ったのは、確かにあの時よ。でも、それだけじゃなくて……なんというか、私、自分が思っている以上に『可愛らしいもの』に弱いみたいね」
「うん、結華ちゃんは可愛いよねぇ」
「私は、あなたに追いつくことだけに必死で……がむしゃら走り続けることしか知らなかった。あんなふうに、私の足を自然に、優しく止めてくれる人柄だなんて思っていなかったのよ」
そうだよね、と私は心の中で深く頷く。
三峰結華という女の子は、強い言葉で無理やり相手の行動を縛ったりはしない。ただ淡々と、理性的で現実的な視点を差し出してくる。
それは決して冷淡だからではなく、他人の心に必要以上に土足で踏み込まない彼女なりの優しさだ。だからこそ、その客観的な意見はいつも心地よい。
不器用で、周囲の期待を一身に背負い込みがちな琳にとって、彼女の存在はどれほど救いだったことか。私の見立ては間違っていなかったのだと、胸の奥が温かくなる。
「……すごく、落ち着けるの。彼女の隣にいると、久しぶりに深く息が吐ける気がして」
「そっか……」
「だからね。今日、結華さんと桑山さんがこうして私たちの撮影に同行してくれているのは……偶然じゃないのよ」
「え」
「私が声をかけたら、二人とも来てくれたわ。桑山さんは、あなたにベタ惚れみたいだからすぐに頷いてくれたし、結華さんも……私の頼みなら、きっと悪い気はしなかったはずよ」
「……琳。ねえ、自分の顔面の良さ、もう少し自覚した方がいいんじゃない?」
「あなたよりはマシよ」
おっと、まさかそこを綺麗に切り返されるとは思わなかった。
結華ちゃんだって、無茶なお願いなら簡単に引き受けてはくれないはずだ。けれど、琳のひたむきな熱意と、あの整った美貌で見つめられたら、流石の結華ちゃんだって悪い気はしないだろう。
……でも、待って。
それが本当なら——。
「……千雪さんが今日ここに来てくれたのも、琳が誘ってくれたからなの?」
「最近のあなたが、あまりにも分かりやすくおかしな様子だったからよ。何か、私に言えない事情でもあるんじゃない?」
「うーん……本当は、とっくにプロデューサーに相談しなきゃいけないようなことなんだけれどね」
話は、ライブイベントの翌日まで遡る。
楓香のひみつ③
プライベートで絶対に海なんて行けないから大はしゃぎした