「楓香ー、おはよー」
「おはよう。なんだか今日、いつも以上に見られてるから、あんまり近づかない方がいいかも」
「らしくて好きだけど、ちょっとくらい自覚しような」
「……あ。ライブ?」
「そー。ほら、私もイベント行ったじゃん。SNSに観に行ったの投稿したら、他校の友達からめっちゃメッセ来てさ」
ライブイベントがあった日の翌日。その日はいつも以上に視線を浴びていることに気が付いて、私は友人に距離を取るように伝えたのだが、私をただの女子高生として扱ってくれる彼女には通じず。ほらと見せられた彼女のツイスタには、それまでの投稿とは比べ物にならない数の反応が寄せられていた。投稿の文面が私と彼女に交友関係があることを記しているからか、羨ましいだとか、紹介して欲しいだとか、そういうものが見られる。確かに撮影OKだったし中継もしていたけれど、会場自体のキャパは大きくなかったから、正直思っていたより反響があってびっくりした。
「……ごめんね」
「いやあ、ごめんは私じゃない? 前にツーショ上げてたし。消す?」
「うん? いいよ、思い出でしょ。それに、その私はアイドルじゃないから」
「……人たらしめ」
「明らか盗撮は事務所で対処するけどね。友達が私との思い出に残すために一緒に写真撮ろうって言ってくれるのに、それを断るつもりはないよ」
教室にいるクラスメイトや、廊下からこちらを覗いている生徒の手にスマホがあることに気が付いて、私はわざとらしく大きな声で言った。ただの女子高生相手でも盗撮は犯罪である。私を見る視線は今まで以上に好奇のそれな気がして、ひっそりと私は息を吐く。好かれていること自体は嬉しいけれど、不特定多数からの好意を受け取るのはあまり得意ではなかった。
結局、その日から私は今まで以上の人に声を掛けられる生活が始まった。
他の学年の子だったり、すでに一度告白してきた子だったり。男女問わずに声を掛けられるし、その人の性格次第で断る言葉を探さなくてはいけないから、すごく大変で、すごく疲れてしまって。
休み時間の度にのらりくらりと躱して妹達のところへ逃げても、甜花は目立ちたくなくて私から全力で逃げるし、甘奈に甘えても『完璧なお姉ちゃんのギャップ』として周囲に注目されてしまうから逆効果。じゃあ友人とどこか静かな場所に逃げようかと思っても、ついて来られるから休息もままならない。友人が追い払ってくれても、しばらくすると探し出した誰かがまたやってくるという悪循環。……この時ばかりは、アイドルになったことを唯一後悔した。
『好きです』
『前から綺麗だと思ってて』
『こんな美人と付き合えたら』
そんな、そこにいるのが私じゃなくても成立するような月並みの言葉に辟易していた。千人が私のことを好きでも、私は千雪さんだけを愛しているし、私が欲しいのもあの人だけだ。他人の言葉を要らないと言えるほど強くはないが、それで自分に不調が表れているのが分かった。具体的な体調不良とかではないんだけど、ダンスのキレがわずかに減っていたり、上手いこと演技に感情を込められなかったり。
琳からの指摘が今だったというだけで、きっと放っておいてもすぐに気付かれていただろう。あるいは、彼女なりの定期観察とでも言うべきか。相棒である彼女には何も隠せない。私が、琳のことに気が付くように。
「なるほどね、通りで……」
「どうかした?」
「いえ。最近、桑山さんへのアプローチが増えている自覚はある?」
「……そう、かなぁ」
「楓香。悪いことは言わないから、ちゃんと言葉にしなさい。お互いに両想いなんでしょう?」
「それは……っ」
言い淀む私。自分でも何が原因なのか、解決策は何か、最初から分かっていた。分かっては、いるんだけどね。
「確かにまだ学生の身だけれどね。誰も、協力しないなんて言ってないわ」
「……」
「プロデューサーも、公の場では隠せと言っているだけで、我慢しろだなんて一度も言ってないでしょう」
琳の言うことは最もだ。私は、私に好意を向けてくれる人達のその思いが苦しくなって、その反面で千雪さんへの想いは止められない。あの人が欲しくて、でも私はまだ学生だからと理由をつけて、千雪さんを悪者にはしたくなくて。
ぐちゃぐちゃと、言い訳ばかり探している。増えていく好意から千雪さんを守れる自信のない弱い私が、あの人に好意を向ける人達への拭えない嫉妬に苛まれていたのだ。
「りんちゃん、ふうちゃん。いったん休憩しようか」
「ええ。すみません、私のせいです」
「気にしないで。どうせ、ふうちゃんのその精神力は、どっかで柔らかくしないとって思ってたから」
花柳さんの声が聞こえる。琳に手を引かれるまま、私は千雪さんと結華ちゃんの待つテラス席へと戻った。やわらかい笑みを浮かべて私を待っている彼女。ノースリーブから覗く白い肌に、眩暈がしたような気がした。好きだ、やっぱり。蓋なんて出来るわけがないんだ。私は千雪さんの5歳も下で、私がうだうだ悩んでいるうちに、彼女がもし他の人に手なんて出されたら。嫌だ。
「……ふうちゃん」
「はい」
「誰も何も言わないし、売りもしないよ。大人のふりばっか上手くなってもさ、ふうちゃんの心を守れなきゃ意味がないからね」
花柳さんはそう言って、アシスタントを連れて海の家へと引っ込んで行った。琳も、何かを察したように結華ちゃんの手を取る。立ち尽くす私、驚く結華ちゃん。
「結華さん。少し、私と歩きませんか?」
「いいけど……撮影の休憩なんだから、休んでてもいいんじゃない?」
「あなたと居たいんです。駄目ですか」
「……ずるいねぇ」
「ありがとうございます」
ちらりと一瞥して、結華ちゃんを連れた琳はもう一度砂浜に向かっていく。私への気遣い半分、自分にとっても好都合だと思っている節もあることだろう。花柳さんにも相棒にも背中を押されて、なお逃げ腰になるつもりはない。私は千雪さんの隣に座った。
「お疲れ様。ここから見ていたけれど、2人とも様になってたね」
「それは何よりです。千雪さんも、すごく綺麗ですよ」
「ありがとう。甘奈ちゃんと選んだの、お姉ちゃん好きだろうからって。どうかな?」
「似合ってます。一番先に、私が見たかったくらい」
白いワンピースの裾が風に揺れる。まるで一つの絵画みたいに美しくて、私の奥に眠っていた独占欲が顔を出す。花柳さんであんなこと言うからだ。もう、いいよね。
「千雪さん」
「どうしたの?」
「……好きです。あなたが私を、ただの大崎楓香として見てくれること。あなたの笑顔も、私を呼ぶ声も、全部。嬉しくて、好きなんです」
言葉が次から次へと溢れていく。ずっと胸の中で留めていた彼女への想いが、明確に私の意思で流れ出した。真っ直ぐな告白に、千雪さんの頬がどんどん赤くなっていく。目を合わせる私から逃げて行こうとする。駄目だよ。やっと、通じ合えるんだから。
「……さっき、我慢し過ぎだって言われました。他がどうかは知らないけど、少なくとも、千雪さんを不安にさせるくらいにはそうだったんだと思います」
「楓香ちゃん……」
「好きです、千雪さん。愛してる。私は、あなたが思うよりずっとあなたのことが好きなんです」
「……ずるいよ」
駄々をこねるように、私はただせき止めていた想いを吐き出すばかりだ。そんな私を余所に、彼女は瞳から静かに涙を零す。え、どうしよう。私、待たせ過ぎた? 泣かせるつもりなんてなかったのに。
「甜花ちゃんと甘奈ちゃんに向ける笑顔。他の子たちに向ける優しさ。全部、独り占め出来ればいいのにって……大人げないこと、ずっと思ってたの」
少し震えた声。嫉妬と独占欲を滲ませた言葉に、胸がギュウっと締め付けられる。抱きしめたいという衝動を必死に抑えて、千雪さんの言葉を待った。
「……私も好きだよ、楓香ちゃん」
「はい。知ってます」
「子供みたいにはしゃぐ姿も、大人になるために背伸びしてるところも。全部、可愛いよ」
改めて好きの言葉を貰うと、言葉にして交わしていないだけの約束(卒業までは、という自分勝手な自制)なんて、やっぱりしなければ良かったと思った。もっと早くこうしていれば、千雪さんのことを不安にさせることも、私が誰かの好意を正面から受け取れなくなるようなこともなかったかもしれない。
でも、それら全てはタラレバだ。
私は千雪さんを抱き寄せる。間にある椅子とテーブルが邪魔だと思った。どうしようかと悩む隙もなく、彼女は私に体重を預けてくれた。多分、何よりもこれが答えだ。
「……千雪さん、お待たせしました。誰よりも大切にするし、絶対に離したりしません。だから、私と付き合ってくれませんか」
顔は見れなくても。
「うん。楓香ちゃんじゃなきゃ、やだよ」
涙の滲む声がそう言うから。彼女の体温が伝わってくるから。胸いっぱいに広がる愛情をどう返せばいいのか悩んでしまう。きっと、今の私は世界で一番贅沢な人間だ。
「……すみません。撮影が再開するまで、このままで」
「うん……私も」
砂浜に反射する太陽光が、痛いくらいに眩しい。けれど、目の前の彼女がくれる暖かさと比べればなんて事はなくて。
聞こえる誰かの話し声も、寄せては返す波の音も、全てが遠い世界のように感じた。今、この場所にいるのは、私達2人だけ。そう思わされる。
「……好きです」
「ふふ。言葉にするの、好き?」
「そうかも。だって前、千雪さんは私のこと信じてくれなかったから」
「うん。ちゃんと伝えてくれたら、実感できるから」
「……それは、言わなかった私への不満ですか?」
「そうだって言ったら、どうする?」
肯定された。いいのかな。私は多分、どこでもずっと好きだと伝え続けると思う。さすがに弁えるつもりはあるけれど、照れた表情の千雪さんをいつでも見れる権利の取得にはいくら払ったらいいのか。これから先、私が与えられるもので返すことは出来るのだろうか。彼女のそういうところが、ずるい。
「……楓香ちゃん、そろそろ」
「そうですね。琳も、戻って来たみたい」
砂浜からこちらに戻ってくる2人。その距離が少しずつ近づいていることに気がついて、私は千雪さんを離した。体を起こしながらポツリと、静かな声が話し始める。
「さっきね、結華ちゃんとお話してた時、琳ちゃんのお話をいっぱい聞いたの」
「へえ。どんな内容でした?」
「レッスン中の横顔だとか、甘えてくれるようになったのかなとか。嬉しそうに話してくれたよ」
「それは……」
「うん。微笑ましいでしょう?」
にっこりと、女神の微笑みを湛えた彼女。彼女だって、それに対する表現の言葉はいくつも知っているはずなのに、あえてその一言で終わらせた。少しずつ、出会ったばかりの頃の私達のように、ゆっくりとその間を埋めていく2人。その様子を微笑ましいと彼女が思える理由は、紛れもなく私との関係が進んだから。
「ふうちゃん、お取込み中のとこごめんね~」
「あ、はい!」
「今の表情撮らせて欲しくてさ、出来る?」
今の表情とは。自覚もないのに作れるかとの問いは、ある種の信頼とも言えるだろう。でも、その問いかけ方をされたら、私に断る選択肢はない。何より出来ないだなんて思いたくないのだ。
「……っ」
「さすがだね。それじゃ、そのまま」
正面に立つ千雪さんが、頬を赤らめながら目を見開く。花柳さんが見た私の表情は、千雪さんへの愛しさを噛み締める表情じゃないかと思って意識してみたけれど、まさか本当にそれとは。だとしたら相変わらず彼女が関わると私はポンコツになるということ? いやでも待って、カメラマンが抑えたくなるほどの表情って、何。
「桑山さん、ちょっとこのままふうちゃんの顔、引き出すの手伝ってくれないかな?」
「私ですか……?」
「うん、君にしか引き出せないものがある。分かるでしょ?」
「待ってください、それはつまり……?」
「ふうちゃん、ファンからの需要はどこまで理解してる?」
「需要、ですか?」
私の自己認識では、ステージ上とそれ以外でのギャップだと思う。自分でも分かっているのだが、私はクールな人間じゃない。めちゃくちゃスキンシップを取るとか、そういうコミュニケーションが得意なわけではないんだけれど、少なくともそう呼ばれるような立ち振る舞いを意識なんて出来ない。言い淀んだ私に、花柳さんは笑って言う。
「それだよ。ギャップがあるのはもうファンも分かってることだし、もっと気取らないふうちゃんを見たいんだ」
「えぇ……?」
「妹ちゃんたちが理想かな。ね、桑山さん?」
「そうですね。ちょっと子供みたいな顔してる感じ……」
「そゆこと。だから、ふうちゃんはこの後も、りんちゃんと無邪気に遊んでてくれていいよ~」
首を傾げる私に、2人の大人は穏やかに笑うだけだ。その時、後ろから頭を誰かに撫でられる。慣れていない乱雑な手付きは、人の感情の機微に良く気がつく相棒のものだ。振り返れば、いつになく穏やかな表情が私を見ていた。
「おめでとう、楓香。あんたの顔を見てれば分かるわ」
そういう琳だって。真っ赤な顔の結華ちゃんに何をしていたのか。
「……うん。なんか、背伸びしたって大人にはなれないんだって、知れて良かった。ならなくて、良いから」
誰も、私に早く大人になれなんて言ってない。言ったところでなれるわけでもないし、そう振る舞うのが上手くたって可愛げがないだけ。焦ったところで年の差が縮まるわけでも、24時間が短くなるわけでもない。ただ、今ここで千雪さんに想いを伝えられたのは、きっと良いことだと信じている。私の精神がこれ以上擦れてしまう前に、琳が気づいてくれて良かった。
「ありがとう、琳。持つべきものは親友だね」
「……褒めても何も出ないわよ」
「あれあれ、りんたんひょっとして照れてます?」
「結華さんっ」
「いや〜、ごめんごめん。君らのそんな顔、初めて見たからさ」
「……どんな?」
「ね、千雪姉さん!」
「ふふ。うん、そうだね」
「え、本当にどんな顔してるんですか!」
「もう……あんたのせいで私までからかわれたじゃない」
「絶対琳のせいですぅ」
わーわーと、子供のように騒ぐ私達。千雪さんも結華ちゃんも、煩わしいとも思っていなそうな表情でこちらを見ていた。花柳さんの撮りたい表情とやらがどんなものか分からないけれど、少なくとも、その撮影が始まる前より良いものを見せられるだろう。
これが終わって事務所に戻った時、ちゃんとプロデューサーに報告しよう。私と千雪さんが付き合うことになったこと、それから、そのおかげで良い仕事が出来そうなこと。
三峰のひみつ
面食い