真面目に誠実に、けれどそれなりに融通を利かせた人生を歩んできたつもりだった。
そもそも人並みの能力を持って生まれてきたと信じていたし、特に大きな挫折というものを味わったことなどなかった。
確かに飛び抜けて優れてはいない。
けれど、明確に劣っている訳でもないし、なんなら優秀な部類であると思っていた。
だから、そういった自己認識が幻想や妄想の類だったなどと、あの時までは、いや、暫くの間は認められなかったものだ。
「お前みたいな奴がいると迷惑なんだよ」
「使えない癖に出しゃばるな」
「お前なんて一生負け犬だ。何処ぞで勝手にくたばってくれ」
食い扶持を得るためだけに割り切ってついた仕事で運悪く巡り合わせた男の言葉だ。
こう言ってはなんだが、こんな罵倒を衆目の前で堂々と、口汚く発せられる感性を持つ男を俺は見下している。
たかだか声と態度が大きいだけの癖に、よくもそこまで他人を見下せるものだと感心すらしていたものだ。
自身の思い込みを世界の常識と叫び、少しでも自分が劣っていると感じれば陰湿に詰る。
でっぷりと脂を蓄えた腹を揺らして餌を待つ豚のように喚き散らすその姿は、見ていて哀れですらあった。
だが、どうやら哀れであったのは俺の方だったようだ。
無能の烙印を押され、小間使い以下の畜生のような扱いを受けて、時には育ての親まで持ち出して馬鹿にされた。
手を出されても暴力で返す事はつまらぬ事だと自分を律し、この手の者はいずれ勝手に堕ちていくものだと言い聞かせた。
そうして気がついたら、何も持たない真の無能者になっていた。
何のことはない。
尊厳を傷つけてくる無礼者を相手に立ち向かうこともせず、好きにさせていればいずれは自滅するだろうと自分を慰め続けた結果、あの粗暴な男より先に自分が身を持ち崩したというだけの話だったのだ。
つまらぬ。
なんともつまらない男に成り下がった。
棲家も職も失った俺に残されたのは、僅かな蓄えと仕事で培った市井の中で生きるのには役に立つことない無駄な知識。
ああ、諦めという名の教訓もか。
最早、かつての『普通』の俺はどこにも居ない。
「故に、お前は誰より輝いて見えた」
食い繋ぐために始めた傭兵稼業は、明日の命ですらどうでも良いと割り切れた俺にとり天職だったのだろう。
忌々しい前職の知識が多少は活かせる仕事でなければ、何も持たない自分がこなせる事などないだろうという打算もある。
魔女の討伐。
この依頼は、何処ぞの貴族が己の子息に箔をつける為のものだ。
噂によれば、勇者に惚れた青二才がお目当ての女に近付く口実に親に強請ったというのが真相だそうだが、当時の俺にそんなことはどうでも良かった。
決起会という名目でお前を舞台に立たせたこと。
この点だけが、魔女の放った魔法に運悪く巻き込まれて儚く散っていった彼が最期に行った奇跡であると俺は信じている。
幼さと成熟した大人の色香を併せ持った美しくも可憐な少女が目の前に立った時、俺は死んで生まれ変わったのだ。
想像もしなかった天啓に何度も瞬きをしたのを俺は生涯において忘れはしない。
「その話は何度も聞いたよ。そんなに私の容姿が気に入っていたとは思わなかったけれど」
無論、お前の美しさは天上の女神もかくやといったところだが、何度も言うように当時の俺は人生を投げていた。
そんな男が美しいばかりの女に惹かれると思うか?
俺がお前に惚れたのは、その瞳に宿した諦観と相反する覇気に満ちた佇まいだ。
何者でもなくなってしまった俺が、お前の側に侍りたいと願うのは、何処までも強く気高いお前が、俺と同じように何かを諦めていたからだ。
そして、その諦観すら呑み込んで己と定義する強靭な精神が所作に滲み出ているが故に、お前は気高く美しいのだ。
故にお前を主人と定めた。
この身は元とはいえ騎士なのだから、勇者を主と呼んでも何の問題もなかろうよ。
「褒めてくれているんだろうけど、心外だね。私は諦めが悪いと評判なんだが」
俺とお前の仲だろう。今更取り繕うな。
どうやら今は違うようだが、当時のお前は確かに諦めていたよ。
何に、とまでは分からんが。
ああ、勿論ここまで惚れ込んだのだ。お前の心の内が多少変わろうと、俺の愛は変わらない。心配しなくていいとも。
「・・・・・・その顔で、よくもそんな台詞が吐けるものだね」
そんな事を気にしているのか。
現代では確かに珍しいかもしれんが、男が女に変わるなど、神話の時代ならありふれた話だろうに。
もとよりお前の側に立つのに男である必要性はないだろう?
いや、むしろ同性となった今、以前よりお前の側を離れる理由がなくなっているのではないか。
この際だから告白するが、お前を抱きたい衝動を抑えるのに苦労する事が多々あった。
お前の方が強者であるとは言え、男の情欲を不躾に向けられるのは、お前にとってもさぞ煩わしいことだろう。
こう考えると、あの魔女の悪あがきも捨てたものではなかったか。
「何でそうなるんだ君は」
呆れたように額に手を当てる姿も様になっているが、ふむ。・・・・・・ああ、成程。
戦力の低下を心配しているのか?
それなら何の問題もないだろう。
多少の時間が掛かるのは否めないが、直ぐに男であった頃の力程度は取り戻せるだろうよ。
鍛錬の質を見直して、この身体に最適化すれば良い。
武器は、ああ、かつてのような鈍重なものは使えんか。
非力を補うならば、手槍か投げ物か。
魔力の質も変化しているようだし、これを機に魔法のひとつでも覚えてみるのも面白い。
「だから、そうじゃないんだよなあ」
▶︎
少し前までは見上げていたのに、今は視線が同じ高さ。
むしろ向こうが少し小さいか。
うんうんと頭を揺らして思考の海に飛び込んだ少女に背を向けて、私は思わず溜め息を吐いた。
「女の子同士で、どうやって愛し合えっていうんだよ」
彼が彼女になってしまった事は仕方ない。
あの魔女は手強い相手だった。
この私が不意を突かれる程度にはお互いの力が拮抗していて、だからあの状況で中途半端に練られた魔女の魔法が、私を庇った彼の命を奪わなかったことはそれ自体が奇跡と呼んでいい出来事だ。
そんなことより問題なのは、彼女が彼に戻る気があるように見えないということ。
多分、自分の性別なんて本気でどうでもいいと思っているんだろう。
私だって本当は彼がそれでいいと断じているのなら、そのままでも構わないとは思う。
けれど、自覚してしまった恋心と愛は異性と育むものという固定観念がその決断に待ったをかける。
私だって、彼の腕の中で眠ってみたいし、その、恥ずかしいけれど、一度でいいから抱かれてみたい。
「これだけ好きにさせておいて、狡いじゃないか」
聞き慣れない鈴を転がすような声で、聞き慣れた堅苦しい言葉遣いをする少女を受け入れる事ができるだろうか。
私はまだ答えを出せずにいる。
【補足】
・勇者ちゃん
百合の花が美しい事をご存知でない?
・TS娘
愛の前では性別なんてあってないようなものなの。
基本的に自己中なので相手がどう思うかは考慮しない。
・貴族の令息
百合の間に挟まりそうな男の存在は、それが例え二人を引き合わせた功労者であったとしても許されなんだ。すまない。
・ブラック上司
口と態度と性格は最悪だが、仕事に関しては人一倍情熱を注いでいた。
TS娘ちゃんを虐めているつもりは毛頭なく、本人は職務に対する意識を育んでやっているつもりだった。
それはそれとしてシンプルに作者がこの手の人が大っ嫌いなので物語の外で惨めに転落してて欲しい。救いはないと思え。