帰る場所は、ひとつじゃない   作:藤原康政

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第3話「誰が、敵なのか」

 

 

エミリアの靴音が、アスファルトを短く叩いた。

 

正面に、十数人。誰もが手のひらの板をこちらへ向けている。板の面に嵌まった丸い目が、一つ残らずエミリアを追っていた。

 

振り向けば、背後にもいつの間にか人が回り込んでいる。逃げ場を探す間もなく、隙間が埋まっていく。

 

ラムが半歩、横に並び、視線だけで周囲を確かめた。

 

「昨日より増えていますね。移動を」

 

「……ねえ、ラム。今日、私たち何度も場所を変えたわよね」

 

足は止めなかった。

 

「はい」

 

「それで、私たちを知ってる人は減った?」

 

ラムが、板の列を端まで数えた。

 

「……増えました」

 

「動いても増えたの」

 

エミリアはレンズの列を、端から端まで見た。

 

「だったら、増えたぶんだけ、その中にスバルを知ってる人がいるかもしれない」

 

「エミリア様」

 

レムの声がした。呼びかけだけで、続きはなかった。

 

「隠れてたら、誰にも聞けないもの」

 

ラムが息を吐く。

 

「……理屈は通っています」

 

エミリアは人だかりの前へ出た。半円の前列が、わずかに後ずさる。

 

レムが半歩遅れて続き、ベアトリスがその陰に身を寄せた。

 

「私はここにいる」

 

---

 

エミリアは、列の端に立っていた一人の前で足を止めた。

 

足を止めた分だけ、背後の人垣が距離を詰めた。

 

二十代くらいの青年だった。リュックの肩紐を握ったまま、板を持つ手が中途半端な高さで止まっている。ここまで四人を追ってきた顔ぶれの中には、いなかった顔だ。

 

「あなた」

 

「……え、俺?」

 

「どうして、私たちがここにいるって知ってたの?」

 

「え、なんすか。SNSでバズってたんで、来ただけっすよ」

 

ベアトリスがエミリアの脇から顔を出した。

 

「もっと分かるように、ちゃんと喋るのよ」

 

青年の視線が、初めて下へ落ちる。

 

「……うわ、人形みたい」

 

「勝手にベティーを人形扱いするんじゃないのよ」

 

青年が半歩下がった。

 

「口悪っ」

 

「その、えすえぬえす、っていうのは何なの」

 

「いや、SNSはSNSでしょ」

 

「知らないの。教えて」

 

エミリアはまっすぐに青年を見ていた。青年のほうが、先に目をそらす。

 

「……あー、っていうか、これ」

 

板の面を、こちらへ向けた。

 

---

 

差し出された板が、光っていた。

 

そこに、街路が映っている。夕方の光。走るエミリア。ベアトリスを抱えて追うレム。振り返るラム。

 

「……なにこれ」

 

「これ、昨日の——」

 

レムの語尾が途切れた。

 

「見られていたのですか」

 

ラムの声に、青年が肩をすくめる。

 

「誰かが撮ったんでしょ。バズって、コメントに場所書いてあったから来た」

 

「待ってください」

 

レムが板へ一歩近づいた。

 

「これ、姿を写すものだと思っていました」

 

「は?」

 

「写した人が、持っているだけのものだと」

 

「持ってるけど。持ってて、出すんだよ」

 

「……出す」

 

「出すっしょ、普通」

 

噛み合わないまま、青年の指が画面を滑った。街路が別の街路に変わり、また戻る。

 

ベアトリスは、画面を覗き込んだまま動かない。まばたきの間隔が、少しずつ長くなっていく。

 

「……エミリア。よく見るのよ」

 

「なあに」

 

「そこに映っているのは、今のベティー達じゃないのよ」

 

指が、板の縁をなぞった。

 

「昨日のベティー達なのよ」

 

エミリアは、光る板の面から目を離せずにいた。夕方の自分が、そこで走っている。走り終えると、また最初から走り出す。

 

「……昨日の私が、まだいるの」

 

「いや、いないでしょ」

 

「じゃあ、これは何なの」

 

「何って、動画」

 

答えになっていない。青年にとっては、それで答えらしかった。

 

ラムが顔を上げた。

 

「これを、他の者も見られるの?」

 

「そりゃ」

 

「ここにいない者も?」

 

「ネット繋がってれば」

 

「……昨日、この場所にいなかった者が、昨日のラム達を見た」

 

「そうそう」

 

「それで、今日ここへ来た」

 

「あ、そういうこと」

 

ラムの視線が、ゆっくりと周囲を一周した。十数台の板が、こちらを向いている。

 

見えているのは、この十数台だけだ。

 

「消せないの」

 

「撮った奴が消しても、保存してる奴がいるし」

 

「……保存」

 

「あー、なんて言えばいいんだろ。増えんだよ、勝手に」

 

エミリアが、青年へ顔を向けた。

 

「じゃあ、ここにいない人にも、私の声は届くの?」

 

「まあ、届くっちゃ届くけど」

 

「どこまで」

 

「どこまでって言われても。そんなの分かんないっすよ」

 

「……分からないくらい、遠くまで」

 

その言葉を、エミリアは二度、口の中で繰り返した。

 

ベアトリスが、板から一歩下がった。

 

「気持ちが悪いのよ」

 

「え、なんで」

 

「見えない場所から、ベティーだけが見られているかしら」

 

「そんな深く考えなくても」

 

「考えるに決まっているのよ」

 

もう画面を見ようとしない。エミリアの背へ、身体半分を隠す。

 

青年が、板をそちらへ向けかけて、止めた。少し考えてから、下ろす。

 

「……あー。今のは、撮らない」

 

誰も、それには答えなかった。四人の間隔が、いつの間にか半歩ずつ縮まっている。

 

レムだけが、板の面を見つめたままだった。

 

やがて、青年へ向き直った。

 

「あの」

 

「はい」

 

「じゃあ、その板で、スバルくんも探せますか?」

 

青年が、少し考える。

 

「……人探しの投稿とかは、まあ、あるっすよ」

 

レムが振り返った。

 

「エミリア様」

 

エミリアは、もう歩き出していた。

 

「——聞いてください!」

 

---

 

ざわめきが止んだ。

 

エミリアは人だかりの中心に立ち、息を吸った。

 

「私、エミリアです」

 

「この子はベアトリス。こっちがレムとラム」

 

呼ばれた名前の順に、レンズが動いた。

 

「私たち、人を探してるの。ナツキ・スバルっていう人」

 

「黒い髪で、目つきが悪くて、でも、すごーく優しい人なの」

 

エミリアは頭を下げた。

 

「お願いします。誰か、その人を知りませんか」

 

下げた頭が、なかなか上がらない。

 

群衆が静まり返る。

 

掲げられた板の列が、ゆっくりとせり上がった。隙間から覗いていた顔が、また一段減る。

 

シャッター音だけが、ばらばらと鳴った。

 

袖が、引かれた。

 

「……見つかるかしら」

 

「見つかるかもしれない。こんなに目があるんだもの」

 

---

 

その静けさを、声が破った。

 

「はい、今の撮れました。今の、伸びると思う」

 

前列に、板を縦に構えた男が立っていた。二十代。視線は板の面と四人の間を、忙しく行き来している。

 

「……勝手に撮ってんの?」

 

コンビニの袋を提げた若い女が、眉を寄せていた。

 

「公共の場だし」

 

「そういう問題じゃないでしょ」

 

男は画面から目を離さない。

 

「あ、伸びてる」

 

エミリアは、ラムの方へ声を落とした。

 

「……何が起きてるの?」

 

「分かりません」

 

ラムの目は、その手元にあった。

 

「ただ、あの板の向こうで、急に人が増えたようですね」

 

「五百いった」

 

「……五百」

 

「今、見てる人の数」

 

ラムは動かなかった。

 

「……エミリア様」

 

「うん」

 

「思惑通りです」

 

エミリアは、増えていく板の列を、端から端まで見た。

 

「……通りすぎてるね」

 

---

 

人が増えていた。

 

三十。数えるのをやめる頃には、五十を超えている。

 

歩道の幅が、端から削られていく。車道との境に立っていた者が押し出され、慌てて戻る。横道の入口にも、いつの間にか人影が立っていた。信号を渡ってきた列が、そのままこちらへ流れ込む。後ろが厚くなるたび、前が一歩ずつ近づいた。

 

「エミリアだ」

 

「ほんとにいる」

 

「エミリアさーん、こっち向いて」

 

名乗ったばかりの名前が、話したこともない相手の口から聞こえてくる。呼ばれるたび、エミリアはそちらを見た。見るたび、知らない顔だった。

 

掲げられた板の数だけ、丸い目がある。後ろから来た者が、前の肩越しに腕を伸ばした。板の向こうの数字が増える。増えたぶんだけ、肩と肩の隙間が減っていく。

 

四人の間隔が、また縮まった。ラムがエミリアの半歩前へ出る。レムがベアトリスの肩へ手を置く。背中と背中が触れる距離まで来て、ようやく四方の全部が見えるようになった。

 

板を構えた男の画面の端を、細かい文字が下から上へ流れ続けている。

 

> ヤラセ乙

> 外国人?

> この銀髪、今朝警察から逃げたって言われてたやつじゃん

> 通報しろ

> 場所どこ

> 東口出て、コンビニの角

> 特定完了

> かわいそう

> 保護してやれよ

> 誰か飯食わせてやれ

> てかスバルって誰

 

「三千いった。やば」

 

男が、流れる文字を目で追った。

 

「お、特定早い。もう場所出てるね」

 

エミリアが振り向く。

 

「……場所が、出てる?」

 

「今から来る人いるってさ」

 

ラムが黙った。エミリアの前へ、半歩、位置をずらす。

 

「……追われていたのではありませんね」

 

「え」

 

「朝から、何度場所を変えても先回りされました」

 

「ラム達より先に、居場所の方が伝わっていたんです」

 

ベアトリスがレムの服を握った。

 

「……気味が悪いのよ」

 

「ベアトリス様」

 

「目の前の連中なら、睨み返せるかしら」

 

顔は上げない。

 

「でも、この向こうにいる奴らは、ベティーからは見えないのよ」

 

人垣の隙間から、若い女が遠慮がちに前へ出てきた。

 

「あの……何も食べてないでしょ。服、動画と同じだし」

 

袋の口を開き、三角の包みとペットボトルを取り出す。

 

「変な意味じゃないから」

 

レムは両手で受け取り、深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

若い女が目をそらす。

 

「……うん」

 

---

 

配信者が、じりじりと距離を詰めてきた。板を構えたまま。

 

「ねえ、そこの銀髪の人。エミリアさんだっけ」

 

「はい」

 

「その耳、どうやってくっつけてんの。近くで撮らせてよ」

 

「……くっつけてないの」

 

「うんうん。じゃあ、そのままで」

 

さらに一歩。レンズが、顔の三十センチ手前まで来る。

 

反対側からも、別の板が伸びてきた。

 

ベアトリスが、その間に割り込んだ。レムが、もう半歩、二人の背後に詰めていた。

 

「離れなさい」

 

男がレンズを下げた。

 

「お、いいね君」

 

「……何よ」

 

「その髪、どうなってんの。ウィッグ? 一回触らせて」

 

「触るなと言っているのよ」

 

「触ってないじゃん、まだ」

 

伸びかけた手の前に、リュックの青年が入った。

 

「——やめろって」

 

「なんで」

 

「嫌がってんだろ」

 

「嫌なら嫌ってそう言えばいいじゃん。言ってるならやめるし」

 

「言ってただろ今」

 

男が、少し考えた。

 

「まあ、俺が撮らなくても他の奴が撮るし」

 

言い終える前に、視線はもう板の面へ戻っていた。

 

「……お前」

 

エミリアが、二人の間に入る。

 

「ねえ。あなた」

 

「はい?」

 

「あなた、何がしたいの?」

 

「え」

 

「私たちを助けたいの? それとも、困らせたいの?」

 

配信者が口を開いた。

 

音にならない。

 

「……いや、そういうんじゃなくて」

 

「じゃあ、なあに」

 

配信者がレンズを上げ直した。

 

「……別に。撮ってるだけだよ」

 

少し離れた場所で、通勤鞄を提げた五十代の男が、板を耳に当てて喋っていた。

 

「——ええ、東口の、コンビニの角です。人が集まってて、小さい子もいて。はい。はい」

 

その隣に立つ中年の女が、四人の方を見ていた。目が合うと、眉を下げる。

 

「ごめんなさいね。でも、平日の朝に、あんな小さい子が」

 

「見過ごしたら、こっちが後悔するから」

 

遠くで、サイレンが鳴った。

 

---

 

サイレンは二つに分かれ、近づき、人垣の外側で止まった。

 

赤い光が、板を掲げる腕を順に舐めていく。パトカーが二台。制服が四人、降りてきた。

 

先頭は、若い女性巡査だった。その後ろに年配の巡査。残る二人は、見覚えのない顔だ。

 

「……また会いましたね」

 

「……はい」

 

「無事だったんですね。よかった」

 

「え」

 

「今朝、あのあと姿が見えなくなったので。ずっと気になってました」

 

「……ありがとう、ございます」

 

女性巡査が頷く。頷き終えたところで、顔つきが変わった。

 

「ただ、このままにはできません」

 

「どうして」

 

背後で人が押され、悲鳴のような笑い声が上がった。女性巡査の目が、一度そちらへ流れる。

 

「通報が、この一時間で十数件」

 

「子供が心配だと。人が集まって迷惑だと。不審者がいると」

 

一度、言葉を切る。

 

「——あなた方を心配する通報も、混じっています」

 

「もう、こちらが何もしないという選択肢がないんです」

 

年配の巡査が手帳を開いた。開いたページは、書きかけのまま止まっている。

 

「朝から、変わりは」

 

「……ありません」

 

「身分証。連絡先」

 

「何も」

 

「泊まる場所」

 

「ありません」

 

ペンが、紙の上で止まった。

 

「すいません、通ってくださーい。立ち止まらないで」

 

制服の一人が、車道側へはみ出していく群衆を押し戻していた。掲げられた腕が、その頭の上を越えて伸びてくる。

 

年配の巡査が、女性巡査の方へ顔を寄せる。声が落ちた。

 

「朝と同じだ。何もない。子供が一人」

 

「……ここでは無理だ」

 

---

 

女性巡査が、四人へ向き直った。

 

「移動します」

 

「え」

 

「署でも、近くの施設でもいい。ここにいる限り、人は増えます」

 

「話は後で聞きます。食事も、休む場所も出せます」

 

「……レム」

 

レムは、エミリアとベアトリスの位置を一度確かめてから答えた。

 

「……悪い話ではないと思います」

 

「戻れる保証もありません」

 

ラムの声は低い。

 

「うん。でも、ここにいたら、この人たちも困る」

 

エミリアは女性巡査へ向き直った。

 

「分かりました。行きます」

 

女性巡査が息を吐いた。下がりかけた肩が、すぐ戻る。

 

「行きましょう。離れないで」

 

袖が引かれた。

 

「……離すな、かしら」

 

「うん。離さない」

 

年配の巡査が、群衆へ向き直った。

 

「道を空けてください、下がって」

 

前の列が、いったん退がった。声の届く範囲だけ、アスファルトが見える。

 

道は、保たなかった。

 

後ろから来た者は、何が起きているのかを知らない。前が空いたことだけが分かる。空いた分だけ、詰める。

 

「え、なに、終わり?」

 

「前見えないんだけど」

 

しぶしぶ退がった前列の背中を、事情を知らない後列が押し戻していく。板を構えた男が、横歩きでついてきた。板は下ろさない。

 

四人が、パトカーの方へ歩き出す。

 

レムは、ベアトリスの半歩後ろについた。人の腕が伸びてくるたび、その手首の高さを目で追う。伸びる。引っ込む。また伸びる。

 

ラムがレムへ顔を寄せ、囁いた。

 

「レム」

 

「はい」

 

「使うな」

 

「……分かっています」

 

---

 

群衆が動いた。

 

「行っちゃう!」

「見えねー、前どいて!」

 

後方が押した。前列が、ぐっと出る。

 

空いたはずの道に、人が詰まった。

 

規制線はない。警官は四人。

 

「下がって! 危ないから下がってください!」

 

声は、後ろまで届かない。届いた者は退がる。届かない者が押す。押された者には、退がる場所がない。

 

人の壁が崩れた。

 

誰かが、前のめりに押し出された。その膝が、ベアトリスに当たる。

 

「——ッ」

 

小さな身体が傾いだ。

 

女性巡査が、とっさに腕を伸ばす。

 

人影が重なった。背中と背中の間から、光る板が突き出される。制服も、肩も、顔も、その向こうへ隠れた。

 

レムの目に映ったのは、隙間から入り込んでくる指先だけだった。誰の手なのか、どこから伸びているのかは、見えない。

 

その先に、傾いだベアトリスがいた。

 

「触らないでくださいっ」

 

伸びてきた手首を、レムの手が掴み、外側へ払った。

 

身体が、後ろへ跳ぶ。

 

一メートル。二メートル。

 

アスファルトを、背中が滑る音。

 

静寂。

 

シャッター音だけが鳴り続けている。

 

「……え?」

 

「今の、何」

 

「警察、殴った?」

 

一斉に、すべてのレンズが向いた。

 

人影が割れる。

 

倒れているのが誰か、レムの目に入った。

 

「……あ」

 

---

 

年配の巡査が駆け寄った。女性巡査は肩を押さえ、肘をついて身を起こす。制服の背中が、白く擦り切れていた。

 

「大丈夫か」

 

歯を食いしばる音がした。

 

「……動けます」

 

年配の巡査が無線に手をかける。

 

「本部。東口前、警察官一名負傷。応援願います」

 

「待って! レムは、守ろうとしただけで——」

 

女性巡査が、片膝をついたまま顔を上げた。

 

「分かりました」

 

「え」

 

「話は必ず聞きます。だから、動かないでください」

 

声は上がらなかった。責める言葉もなかった。

 

「全員、両手を見えるところに出してください」

 

「レム」

 

「姉様」

 

「手を上げなさい」

 

レムの手が、震えながら上がった。

 

「待ってください! いきなり殴ったんじゃありません!」

 

若い女が、人垣から飛び出していた。

 

「下がって」

 

「押されたんです、あの子が! 倒れそうになって、それで!」

 

「俺も見てました。証言します。名前も連絡先も出します」

 

青年が、自分の板へ目を落とす。

 

「……動画、あります。最初から」

 

配信者は、撮り続けたまま板の面へ喋っていた。

 

「……やば。これ、やばいって」

 

中年の女が青ざめて立っている。隣の男の袖を掴んだまま、何も言わない。

 

サイレンが増えた。二台。三台。

 

人垣が厚くなる。前の列と後ろの列の境目が、もう分からない。

 

ベアトリスは、エミリアの腕を掴んだまま震えていた。

 

エミリアが目を閉じる。

 

「……スバル」

 

---

 

人垣の外から、声がした。

 

「——エミリア!」

 

エミリアの肩が跳ねた。

 

「エミリアーーッ!!」

 

レムが顔を上げる。

 

ラムが振り返る。

 

最後に、ベアトリスが。

 

「…………スバル?」

 

人垣が、外側から押し分けられた。

 

「うわ、押すなよ」

「どいて! どいてください!」

 

黒いパーカー。汗だく。肩で息をしている。片手に握った板の画面には、この場のざわめきが、そのまま流れていた。

 

「……スバル」

 

「スバル!」

 

駆け寄ろうとする。

 

「動かないで!」

 

エミリアが、止まった。

 

スバルも、駆け寄らない。

 

両手を、ゆっくり上げる。警官から見える高さまで。

 

「待ってください! その四人、俺の知り合いです!」

 

一斉に、レンズがスバルを向いた。

 

「……あなたは?」

 

スバルが口を開く。

 

一度、周囲を見た。

 

それから、エミリアを見た。

 

「ナツキ・スバルです」

 

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