日本が異世界転移しました。そして国家分裂しました。 作:適当でいいです
同日 ハンセス大陸 セフール帝国
日本から西、かつてユーラシア大陸が存在した広大な大地より、さらに奥まった場所に『セフール帝国』と呼ばれる国家があった。
帝国という大仰な名を冠してはいるものの、それは過去の栄光の残滓にすぎず、度重する戦乱や国力の衰退によって現在の規模は大きく縮小していた。
そして、このセフール帝国の首都空港にも、日本から食料や資源の買い付けにやって来た商社マンたちの姿があった。
日本を代表するトップ商社の一つ、『大島物産』の社員たちだ。
彼らは、シュクシュラ国でカカオやコーヒーなどの利権を追っている如月商事の面々よりも、はるかに切迫した、焦燥に満ちた面持ちでタラップを降りる。
シュクシュラ国で調達しようとしている南国作物のカカオやコーヒー豆は、あくまで「嗜好品」の域を出ない。極論を言えば、それらが手に入らなくても人間が餓死することはなかった。
しかし、大島物産の男たちが命がけで買い付けなければならないのは、そんな贅沢品ではない。
――『小麦』と『大豆』。人間の生存そのものに直結する、必要不可欠な主食の買い付けだった。
確かに、北海道の国土は広い。移転当初の北海道単独の食料自給率は200%を優に超えており、数字の上では余裕しゃくしゃくに見えた。
だが、その平穏の裏には構造的な爆弾が仕込まれていた。クーデターによって崩壊した本土から政府の亡命とともに北海道へ逃れてきた日本人は、万単位の数にのぼる。
しかも、その避難民の大半は都市部のホワイトカラーや学生といった、農業などの一次産業とは無縁の属性の者たちだった。
それだけならまだ余裕で耐えられたかもしれない。本当の地獄は、その先にある。
北海道を支えるベテラン農家たちも、着実に歳をとっていく。そのうえ、広大な大農場を維持・運営するのに欠かせない大型農業機械の交換部品やトラクター用の燃料は、そのほとんどが帝国企業のシェアに依存していた。
帝国物価が上がり補給が細る中で経営が圧迫されれば、農家は価格を上げざるを得ない。だが、生活に余裕のない層が値上がりに文句を言い、その不満はネットや陳情を通じて政府へと突き刺さる。矢面に立たされるのは、いつだって肩身の狭い思いをする農家たちだった。
果たして、過酷な労働と割に合わないプレッシャーに晒された環境を見て、次代を担う若者たちが「農業に魅力を感じる」だろうか?
「……できれば、デスクワークの仕事がいいんですが」
職業斡旋所の窓口で、若い世代が口を揃えて吐き出す言葉はいつもそれだった。
その結果として進んだのは、働き手のない農場の相次ぐ閉鎖と、耕作放棄地の拡大だった。
気づけば、北海道の食料自給率は安全圏を割り込み、ついに『100%』を切る寸前まで急速に落ち込んでいたのだ。
海外進出や帝国とのいびつな交易に、あれほど慎重だった日本政府が、プライドを投げ捨ててまでシュクシュラ国にまで食指を伸ばし、泥臭い農地開拓に手を出さざるを得なかった本当の理由――それは、迫り来る「飢餓の足音」を食い止めるための、あまりに現実的な生存戦略に他ならなかった。
「はあ……」
タラップを降りた空港のロビーで、佐山は重いため息を吐き出した。
シュクシュラ国へ赴任した如月商事のチームとは規模が違う。主食である小麦や大豆の調達という国家の存亡をかけた任務ゆえに、今回のプロジェクトは「数名の現地要員」などというレベルではなかった。商社内に新しい部署が丸ごと一つ新設され、数十人規模の大規模なチームとしてセフール帝国へ送り込まれていたのだ。
新設されたセフール支社への配属を告げられた佐山が頭を抱えているのは、そのプレッシャーの重さだけではない。
シュクシュラ国の一件で徹底されたように、日本側は「奴隷や非正規の強制労働に依存した農場」からの買い付けを人道上・コンプライアンス上の理由から明確に拒絶している。つまり、セフール帝国においても、正当な報酬と労働環境が保証された農場から調達するか、あるいはゼロから自前で開拓しなければならない。そのあまりの無理難題さに、私は途方に暮れていた。
だが、社内での実務計画自体は、すでに上の人間によって非公式に決定されていた。
幸いにして、帝国の大手商社から「奴隷制度を一切導入していないクリーンな農場」のリストと情報を購入済みだったのだ。あとは現地に赴き、その優良な農家たちと直接買い付けの契約を結ぶだけ――一見すると、話はスムーズに進むように思えた。
しかし、その計画の裏には、取り返しのつかない致命的な問題が一つだけ隠されていた。
「……ここから、日本が必要とする莫大なボリュームの食料を丸ごと買い付けたら、どうなる?」
私は冷めきった水の入った紙コップを見つめながら、背筋が凍るような現実を口にする。
「……間違いなく、セフール帝国側の国民に回る分の食料が決定的に不足するぞ」
日本を救うために、このセフール帝国の市場から根こそぎ主食を買い漁る。それはすなわち、「日本人の生存のために、現地の帝国市民たちには飢え死ねと言い放つ」と同義だった。
倫理的な搾取(奴隷労働)を拒絶してクリーンな調達を目指したはずが、今度はマクロな規模で「他国の飢餓と略奪」に加担させられるという、あまりにグロテスクなジレンマ。
私たちが手にする温かい食事の裏側で、このセフール帝国の一般市民たちがどのような地獄を見ることになるのか――商社マンとしての冷徹な算盤と、消し去れない良心の呵責が、私の胸を重く締め付けていくのだった。
「佐山くん、それは早計だね」
不意に背後からかけられた声に、私はハッと顔を上げる。声をかけてきたのは、今回のセフール支社でトップを務める支社長の福部さんだった。
「まだ必要量はそう多くない。今すぐ現地を干上がらせるような買い占めはしないさ。当面の目的は、あくまで国内の予備備蓄を安全圏まで引き戻すことだ。この先、他の交易ルートや別国家からも分散して調達できれば、このセフール帝国一国に過度な負担をかけずに済む」
「……そうなってくれればいいんですけどね」
福部さんの理路整然とした言葉に、私は苦笑いを返すより他になかった。理屈の上ではその通りだが、国家の命運を賭けた買い付けがそんなに綺麗にコントロールできる保証などどこにもない。
私たちは空港から伸びるローカル線へと乗り込んだ。
本来なら、農作地は都心のすぐ周辺にも広がっているのだが、アクセス抜群の好立地な土地はすでに帝国の資本ががっちりと囲い込んでいる。入手した情報によれば、日本が狙うべき「手つかずの優良農場」を探すには、もっと奥深い内陸部まで足を伸ばす必要があった。
それにしても――と、私は駅のホームへと視線を移して、車体の異様なデザインに思わず絶句した。
「……支社長、この列車……いかつすぎませんか?」
それは鉄道というよりも、まるで装甲列車のようだった。先頭車両の前面には、かつての古い蒸気機関車で見られたような鋭い楔形状の巨大な金属突起が、無骨に突き出している。
気になって近くにいた駅員に尋ねてみると、その人はごく当たり前といった調子で教えてくれた。
「ああ、これですか? これは野生動物との衝突事故対策なんですよ。万が一、線路に飛び出してきた大型の動物を撥ね飛ばしても、車両が脱線しないように線路脇へ力づくで押し退けるためのものですから」
「そ、そうなんですね……」
言われてみれば、その重厚な金属突起のあちこちに、何か硬いものと激突したような大きな凹みや、下半分の鉄板にはおどろおどろしい汚れやサビがこびりついているのが見える。
舗装された線路の上ですら、文字通りの「怪物」たちが牙を剥く世界。
――私たちは今、文明の庇護がどこまで届くか分からない、本当の意味でのフロンティアに足を踏み入れているのだと、改めて冷たい現実を突きつけられるのだった。