日本が異世界転移しました。そして国家分裂しました。 作:適当でいいです
同日 シュクシュラ国 ズーン市
夕食後、私は自宅のデスクに向かい、端末でネットサーフィンに興じていた。
日本国内(北海道)にいた頃は、検閲や通信制限の都合で「帝国側」のサーバーへはほとんどアクセスが遮断されていたため、画面に流れる情報はどれも新鮮で刺激的なものばかりだった。
私が真っ先に貪るように読み漁ったのは、合衆帝国に名を連ねる大手企業の『決算情報』だった。
財務諸表の数値を追っていくうちに、私はある奇妙な共通点――いや、明確な偏りに思い至ることになる。
どの企業も、売上規模に対して『研究開発費(R&D)』が異様なほど少ないのだ。
最初は首をかしげたが、彼らの置かれた状況を冷静に考えれば、それも至極当然の帰結だった。
過酷な異世界へと突如国家ごと放り出されたというのに、見栄えのいい新デザインの家電製品や、無駄な付加価値のついた新モデルなどを悠長に開発している余裕など、どこにもあるはずがない。
彼らが直面していた課題は、もっと根源的で切実なものだ。
――「今ある製品の生産ラインを、この原材料も乏しい異世界でどうやって維持・再現するか」。
新機能の開発という『未来への投資』をバッサリと切り捨て、企業リソースのすべてを「既存技術の維持と現地適応」だけに振り向けている。
だからこそ、彼らの製品は質実剛健で安価な反面、どこか「数十年前の日本の家電」のような無骨さと古臭さを残しているのだ。
――なるほど。冷徹な合理主義の裏側で、彼らもまた、必死で生き残るために余裕のない綱渡りを続けているらしい。
「……まあ、そもそも企業活動が崩壊寸前に追い込まれている今の日本よりは、よっぽどマシな状況だな」
画面に躍る数字を見つめながら、私はぽつりと呟いた。
転移から20年が経過した現在も、日本企業の経済活動は苦しい状況が続いている。資源や補給の枯渇もさることながら、それ以上に深刻だったのが『かつての海外資産がすべて吹き飛んだ』ことだった。
とりわけ壊滅的だったのが金融資産だ。
転移前、多くの個人投資家や企業がアメリカ株や米国債、あるいは世界中の外貨建て資産に投資していた巨額の資金は、異世界への転移と同時に文字通り「ただの紙屑」へと変わってしまった。
かつて名を馳せた資産家やカリスマ投資家の中にも、この一夜にして起きた金融崩壊によって路頭に迷い、貧困層へと急転落した者が無数に存在する。そして本国の日本政府は、今なおこの超突発的かつ天文学的な負債処理と補償問題に追われ、身動きが取れなくなっていた。
端末の記録を辿ると、合衆帝国側も当然、まったく同じ地獄を味わっていたことがわかる。
――だが、彼ら(軍事政権)が取った打開策は、極めて強権的かつ圧倒的に洗練されていた。
彼らは国家主導で『海外資産配当権』という新たな金融権利を制定したのだ。
先ほど聞いた、海外進出企業が中央軍に支払う「上納金」――その一部を基金として積み立て、かつて海外資産を失った投資家たちへ「配当」として長期的に還元していくシステムを作り上げたのである。
完全な補償には時間がかかるものの、見捨てずに着実な解決策を提示したことで国民の暴動を防ぎ、歩みを進めている。
さらには、この「配当権」そのものを自由に売買できる専用の二次市場まで開設されていた。まとまった現金が今すぐ欲しい投資家は、この市場で権利を売却して資金調達ができるというわけだ。
「失われた資産を、新たな海外開拓の利益と結びつけて流動化させる、か……」
法的な力技と市場原理を掛け合わせた見事な金融政策に、私は唸らざるを得なかった。
綺麗事に固執して過去の遺産処理で身動きが取れなくなっている日本政府と、なりふり構わぬ新制度で未来の利益を現在に引き戻している合衆帝国。
これが本当に社会安定化に機能するのかは今も帝国内で議論されており、分からないらしい。
しかしこの不完全ながらも前進し続ける金融・経済戦略の差こそが、両国の復興スピードの決定的な違いとなって現れているのだと、私はまざまざと思い知らされたのだった。
この構造において裏を返すと――私たち日本が保持している数少ない外交交渉のカードこそが、この『研究分野』に他ならなかった。
転移直後、北海道への政府機能移転と亡命に合わせて、日本国内からは数多くの頭脳労働者が北へと移住してきた。その中には、大学教授や国立研究所の関係者、各種メーカーのトップ研究者たちも大勢含まれている。
未知の異世界の探求や、現地資源を使った泥臭い製造技術のコピー・再現という面では数歩後れを取っているかもしれない。だが、かつての日本が長年培ってきた「基礎研究分野」の蓄積にかけては、今なお合衆帝国に対して圧倒的な優位性を保っているはずだった。
「……だが、これは本当に最後の最後で切るべき交渉カードだな」
画面から目を離し、私は一人でぽつりと呟いた。
専門的で具体的な記事やニュースは見つからなかったので想像になるが、本州側に遺された高度な研究施設は、ほぼ休眠状態へと追い込まれているに違いない。
『AI・スパコン研究?核融合の研究?そんなもの後回しにしろ! そんな未来の技術に貴重な電力を食わせる余裕がどこにある! 今はかつての輸入部品を一つでも多くコピーするのが最優先だ!』
上層部からそう怒鳴られ、研究を凍結されている帝国の研究者たちの姿が目に浮かぶようだった。
目先の生存と効率を追求するあまり、未来の種まき(基礎研究)を完全に捨て去った合衆帝国。
対して、貧困と混乱に喘ぎながらも、未来の鍵となる「知恵と人材」を抱え込んでいる北海道の日本国。
両国の歪んだパワーバランスの正体が見えてきたことで、今後の対等な交渉への糸口が、かすかに脳裏に浮かび上がり始めていた。
今度は、金融や経済の枠を広げて「政治関係」の情報を漁ってみた。
やはり生粋の軍事政権というべきか、合衆帝国のシビル・コントロールは完全に死んでおり、一般国民に選挙権も被選挙権も一切存在しない。だが、だからこそ――彼らは、我が国が長年頭を悩ませ続けている「ある大きな問題」を、驚くほど暴力的な手際でクリアしていた。
それが、『残留外国人の処遇』だ。
思い返せば、北海道側の日本には、旅行や仕事で当時の日本国内に滞在していた無数の外国人が、文字通り巻き添えの形で異世界へと転移してきていた。
しかし、彼らの法的地位や処遇は、20年経った今でも宙に浮いたままだった。もちろん「日本に国籍を移して帰化する自由」の扉は開かれているが、その条件はもともと厳格なうえ、ただの観光客であれば特別な高度技能なんて持っていないことがほとんどだ。福祉の適用をどうするか、不法滞在扱いにするのかといった議論だけで、議会は何年も空転を続けている。
では、合衆帝国はどう対処したのか?
答えはシンプルだった。――『全員まとめて、選挙・被選挙権なし!』
理由は拍子抜けするほど明快だった。
曰く、「非常時の国家運営に、福祉だの人権だの多様性だのを持ち込まれると、ただの足手まといになるだけだから」だという。
国籍がどこであろうと、生きていたければ労働力として機能しろ。そう言わんばかりの徹底した実利主義。
民主主義の理想や人道的な配慮に縛られ、身動きが取れなくなっている北海道の日本政府の苦悩を尻目に、合衆帝国は「強権と独裁」という最も手っ取り早い手段で、国家の摩擦コストを極限まで削ぎ落としていたのだ。