日本が異世界転移しました。そして国家分裂しました。 作:適当でいいです
同日 セフール帝国 モリトス領
長い停滞を抜け、ついに日本本国から「河川ボートを用いた支流輸送案」の正式な決裁が下りた。何度も行政の理想論に足止めを食らっていた緊縛状態がようやく解けたことに、オフィスの一同は文字通り大きな溜息を吐き出して息を突いた。
――だが、安堵も束の間。
その決裁文書の末尾を読み進めた私たちの目は、点になった。そこには、またしても本国の役人特有の『悪気のないお花畑な要求』が仕込まれていたのだ。
「……おい、嘘だろ」
文書を覗き込んだ同僚が、乾いた声を漏らす。
『一、建設資材および人員の輸送は、合衆帝国側資本との癒着を避けるため、極力セフール河の水運のみを用いて独自に遂行すること』
「……まあ、中型船なら本流までなら直接乗り込めると判明している。河川輸送用の中継拠点の建設なら問題は無い。そこまではいい」
「問題は、その次だ……」
同僚が指し示した行には、一番頭の痛い文言が並んでいた。
『一、現地でのライフライン確保に関しても、合衆帝国資本の関与を一切排除し……』
そこまで読んだところで、同僚はガタリと椅子に深く身体を預け、もう続きを読む気力すら失ったように天井を仰いだ。
顔を覆うその姿は、先ほどまで「やったぞ」と喜んでいた人間のそれではなかった。
帝国領の真っ只中で、帝国の庇護とインフラなしにどうやってライフラインを整えろと言うのか。現地資本や帝国企業の協力が不可欠なこの地で「帝国資本を一切使うな」などと言い出すのは、もはや嫌がらせを通り越してただの現実逃避だった。
安全な北海道の執務室で、綺麗事のコンプライアンスとイデオロギーだけをこねくり回すお上の連中。
現場の苦労などハナから頭に無い、その無責任な条件付きの承認に、私は改めてこのサバイバルな商売の厳しさを痛感させられるのだった。
そもそも、このモリトス領の生活用水は、合衆帝国が管理する小規模な浄水場から買い取る形で供給されている。現地住民のように川水を直接飲むなぞ現代人の胃腸が耐えられるわけがない。
電気に関しても、線路脇を並行して走るか細い送電線から引いているのが現状だ。しかも野生動物が支柱をへし折ったり電線を噛みちぎったりして頻繁に停電するため、各帝国企業は自前で自家発電機を導入して凌いでいる。もちろん、私たちがオフィスで使っている発電機も、帝国企業から購入したものだ。
ガスに至っては、最初から開通すらしていない。あの頼りない電線すらあのザマなのだから、地下にガス管を通すなんて夢のまた夢だった。
――つまり、私たちの生活と業務の基盤は、すでに何から何まで「帝国資本のインフラ」に依存しきっているのだ。
この惨状を分かってか分からずか・・・
『現在は開拓の初期段階であるため、一時的な現地インフラの利用はやむを得ない。ただし、今後は帝国資本に頼らない自前のインフラ網を構築できるよう、至急手はずを整えられたし』
「……ハッ」
文書を読み終えた同僚が、自棄っぱちのような鼻笑いを漏らす。
「支社長。だったら、本国への嫌がらせに超豪華な『完全自前の自家発電プラントと大規模浄水施設』でも作ってやって、目ん玉が飛び出るような金額の領収書を送りつけてやりましょうか?」
「それをやったら、真っ先に予算オーバーで私たちの首が飛ぶよ」
福部さんが肩をすくめて返すも、私の心境は同僚とまったく同じだった。
現地を見ようともせず、安全な場所で綺麗な机上の空論をこねくり回す本国のお偉方。
彼らが突きつけてくる無謀な要求と、この泥臭い現地のリアルとのギャップに、私は深い溜息を吐き出すのだった。
午後になり、緊急の全体会議が始まった。
本来なら水上輸送計画の詰めで済むはずだったのだが、本国からの余計な指示のせいで、急遽「インフラ計画」まで並行して立ち上げねばならなくなったのだ。そのための対策チームが編成されたが、実態は手隙の待機メンバーを寄せ集めただけの突撃隊だった。
一方で、輸送計画そのものは一気に前進していた。
昼休みの時間に支社長がモリトス男爵のもとへ足を運び、直接この河川水運の許可を取り付けてきてくれたのだ。よほど男爵から気に入られているらしく、本来はアポを取るためだけの訪問だったはずが、その場でトントン拍子に商談がまとまり、予算の範囲内で完全な承認を得て帰ってきたのだった。
「――だが、課題はある」
会議室のスクリーンに川の地図を映しながら、支社長が切り出す。
「事前調査によると、圧倒的に漕ぎ手の数が足りない。現地で舟を出している領民たちは、あくまで農業や家業の合間に自分たちの荷物を運んでいるだけだ。うちの物資を恒常的に運ばせるだけの余裕はない」
「となると、近隣の街や他の領地から労務者を募集することになりますか?」
「ああ、そうなるな。……だが、そこで頼りになるのが、今回投入を予定している『無人ボート』だ」
支社長が示してきた設計案に、参加者から「おお」と小さな歓声が上がった。
無人化とは言っても、宇宙衛星を使った惑星規模のGPSのような過剰で高価な装備は一切不要だ。周囲の障害物や浅瀬を感知する簡易センサーと、出発地と集積地との相対位置さえ把握できる低コストな制御システムで十分に事足りる。
万が一、川のモンスターに襲われて沈められたとしても、無人であれば人命が失われるリスクはゼロだ。さらに、万が一の沈没時に燃料漏れで環境汚染を引き起こすリスク(前回の二の舞)を避けるため、動力には運搬量こそ控えめだがクリーンな『バッテリー型電動モーター方式』を採用する。
人手不足の解消、人命の安全確保、そして環境規制のクリア。
三拍子揃った完璧なソリューションに、会議室の空気は一気に前向きな熱を帯び始めていた。
「うーす、お疲れ様でーす」
長引いた会議を終えて空気の入れ替えがてらに支社の建物を出ると、通りで作業を終えた帝国鉄道保安企業の社員たちが、軽い手つきで挨拶を投げてきた。まだ陽が高いというのに、彼らはもう撤収の準備を整えている。
「……いいっすねえ、帝国の労働環境」
隣を歩く若手社員が、羨望と溜息の混じった声を漏らした。
合衆帝国の企業文化は、私たちが知る日本のそれとは根本から異なっていた。
彼らの勤務体系は、原則として『1日6時間労働』だ。私たちが夜の8時や9時までオフィスに残り、泥のように疲れて帰路に就く頃、近所のコンビニや商店で弁当や惣菜が影も形もなく売り切れている理由はこれだった。彼らは夕方の4時ごろには仕事を終えて帰宅し、毎日列車で運ばれてくる新鮮な食料を早々に買い込んでしまうのだ。
なぜ、これほどまでにホワイトな制度が定着しているのか?
理由は企業によって様々らしいが、目の前の鉄道保安会社における理由は至極明快――『社員の安全管理』だった。
大型モンスターすら平然と徘徊しかねないこの過酷な異世界で、陽が落ちてから森林地帯や線路脇で作業をさせることなど、企業にとってリスク以外の何物でもない。いくら小規模とはいえ開拓された駅周辺であっても油断は禁物で、日没後の帰宅途中に襲われて命を落とす危険性すらあるのだ。
貴重な労働力を無駄死にさせないため、朝は9時半スタート、夕方は4時完全撤収。それが、この地における帝国企業の「生存スタイル」だった。
「……まじで、支社長が言ってた『帝国への亡命』、アリかもしれないっすね」
夕陽を浴びながら気楽そうに呟く後輩の言葉に、私は返す言葉を見つけられず、黙って口をつぐんだ。
――人権や福祉ではなく、ただ「損失を避けるための合理性」によって作られたホワイトな職場。
対して、綺麗事と道徳を掲げながら、現場の人間を夜遅くまで疲弊させ続ける本国(日本)。
どちらが人間にとって「マシ」な世界なのか。
若手の無邪気な一言の中に潜む恐ろしいほどのリアリティに、私は冷たいものを感じずにはいられなかった。