日本が異世界転移しました。そして国家分裂しました。 作:適当でいいです
翌日 セフール帝国 モリトス領
私たちが向かったのは、雑多でどこか泥臭い活気に満ちたモリトス領の首都的な街、「モリトール」だった。
列車が発着する駅から車に揺られることおよそ2時間。辿り着いた中心街の一角に、目指す『ギルド役所』の堂々とした建物が鎮座していた。
ここは一般的なファンタジーに出てくるような冒険者ギルド単体の施設ではない。冒険者カウンターの隣には商人ギルド、その向かいには鍛冶屋ギルドや農民ギルドといった具合に、あらゆる職種の組合が一堂に入居しているのだ。
「……要するに、市役所の産業課とハローワークを足して二で割ったような場所だな」
私の今日の目的は、このギルド役所の求人板に「農作物(物資)の水上運搬員」の募集を出すことだった。
「すみません、こちらの内容で求人の掲載をお願いしたいのですが」
私がカウンター越しに書類を提出すると、応対してくれた受付の美人なお姉さんは、書類に目を通した瞬間にその美しい顔を大きく引きつらせた。
「は、はい……って、えええっ!? 『1日2.3セク』ですか!? 2.3ミリセクの書き間違いではなくて!?」
お姉さんは信じられないといった様子で、何度も書類と私の顔を交互に見つめ直す。
無理もない反応だった。
この「セク」という単位は、遥か彼方――モンゴルとフィリピンほども離れたシュクシュラ国で使われている通貨「ゴフ」と比べても、為替レート自体は概ね近い(1セク=約0.8ゴフ)。だが、このモリトス領のローカルな物価基準からすれば、「2.3セク」という日当は一般平民の手にする日給のおよそ500倍という、空前絶後の超・破格な金額なのだ。
当然、受付のお姉さんは空求人や悪質な悪戯を疑ったのだろう。だが、書類の末尾には領主であるモリトス男爵の公式な判と署名がしっかりと刻まれている。
――なぜこんな狂った求人額になったのか?
理由は、日本政府が抱える『コンプライアンスの呪縛』にあった。
本国の日本政府としては、有権者や野党に対して「我が国は異世界でも決して奴隷労働や搾取を行っていない」とポーズを取り続ける必要がある。そのため、転移前の「地球時代における海外進出レベルの労働基準」をそのまま現在の異世界事業にも無理やり適用し、強烈に引きずらせていたのだ。
『クリーン調達指針』に明記された【労働者には正当な対価を提示せよ】という項目に従い、日本国内の感覚(日当2000円程度)で予算を組んで現地通貨に換算した結果――現地の経済環境を根底からバグらせる「夢の超高額求人」が爆誕生してしまったというわけだ。
呆然とする受付嬢の前で、私は「まあ、集まらないよりはいいか」と苦笑いを浮かべるしかなかった。
「ねえ、ユッキーさぁん♡ また新しいドレスが欲しいな♡」
「そうかい。何セクだい?」
「1セクもするのぉ」
「いいよ、いいよ。買ってあげよう。でも今日は、それで僕をもてなしてくれるんだよね?」
まだ陽が高いというのに、路上で堂々とイチャつく男女がいた。
健康的で浅黒く、どこか神秘的な雰囲気を纏った現地の美女に対して、男の方は黒髪黒目の明らかにアジア系――日本人だ。
二人が交わしている言葉は現地の言語だったが、私の耳に装着された帝国製翻訳アプリが拾い上げた翻訳文の精度と、そのデレデレとした空気感からして、意味はだいたい合っているのだろう。
――ここでもまた、圧倒的な『通貨の暴力』が凶悪な牙を剥いていた。
前述の通り、この街での1日の平均日給は日本円にしてわずか4円程度だ。これほどの経済格差が存在する世界で、金を持つ者がこうした『買春』や愛人関係に走らないはずがなかった。
こんな辺鄙な街に居るのは、本国の人の目を避けるためか、あるいは鉄道関係者の休日だからなのだろう。
ちなみに「1セク」はおよそ1000円程度。現地民にとっては、実に250日分の給料に相当する超高級ドレスということになる。
「あ、どうも。え~と……どこの業者の人ですか? 律儀にスーツなんか着て、こんなところに居るなんて」
私たちに気づいた男は、悪びれもしずにすっと一礼し、慣れた日本語で話しかけてきた。
「いえ、仕事でちょっと」
「そうですか。大変ですねえ」
男の左手薬指には、シルバーの結婚指輪がキラリと光っている。
一方で、寄り添う現地女性の指に指輪はない。
「そちらの方は……奥様でしょうか? お綺麗な方ですね」
「え? いいえ、現地妻ですよ。ね~?」
「ね~♡」
二人は何ら罪悪感もなく、嬉しそうに笑い合った。
現地妻って・・・時代錯誤な言葉に放心する。しかもそれを堂々と白昼に公言する神経を疑う。
「あなた・・・奥さんが居るのに・・・」
「いやいや、ちゃんと『制度』に登録してますから。あ、もしかして『それでも!』っていうタイプの人ですか?堅い事言わないでくださいよ~。」
――二人のバカップルと別れ(唖然とする私たちを置いていく形であったが)、私たちは重い足取りで拠点に戻った。
そして胸に引っかかった胸騒ぎを確かめるべく、すぐさま帝国のネット回線を通じて現地の法律データベースを精査してみたのだ。
すると――画面には、信じがたい法律の条文が躍り出てきた。
『海外現地婚姻制度』
合衆帝国では、現地妻や現地夫を持つ自由が法的に認められていたのだ。
だが、決して無秩序な無法地帯というわけではない。制度として確立されている以上、婚姻届に類似した『海外現地婚姻届』なる公的書類が存在する。
そしてこの制度を利用できるのは、【必ず合衆帝国国籍の配偶者が存在する人物】のみに限られていた。さらに当然ながら、本国で婚姻関係にある帝国人の配偶者同士が互いに署名捺印した『海外現地婚姻への許諾証明書』の提出が絶対条件となっている。
「な、なんてものを作り出してやがる……」
画面を見つめたまま、私は絶句した。
「なお、正規に登録された現地婚姻者は、離婚時に5〜10%の財産分与を受ける権利を有する。……また、本制度未登録の国民による非合法買春行為は一律で帝国刑法により厳罰に処す・・・」
かつての地球時代、昭和や平成初期の日本企業において、東南アジアなどで買春や現地妻を作っていたというルポや風俗記事を読んだ記憶がある。
だが、合衆帝国がやっていることは次元が違っていた。
不法な買春を厳罰で取り締まる一方で、それを国家の管理下に置き、本国妻の合意と現地妻への最低限の財産権(補償)をセットにして『制度化』してしまっているのだ。
言ったら悪いが――帝国は、人間の醜い欲望すらもシステムに組み込み、国家の摩擦コストを削る形でどこか『洗練させてしまっている』ように見えた。
そして――この恐ろしい構造は、決して他人事では済まされない。
かつて地球時代、日本人だって同じように海外で現地妻を囲い、買春に興じていた時代が実際にあったのだ。人間の根底にある倫理観や欲望のタガなんてものが、たかだか数十年程度の教育で劇的に変わるなどとは到底考えにくい。
もし、将来的に日本本国(北海道)がこの異世界への本格的な海外進出を果たせばどうなるか。
待っているのは、かつての東南アジアなんて目じゃないレベルの、圧倒的で暴力的すぎる『通貨価値の格差』だ。
帝国は、自国民の醜い欲望を綺麗事で覆い隠すことを諦めている。その代わりに、明確な制度と厳重な刑法という名の『牧場の柵』を張り巡らせ、自国民が動いても良い敷地の範囲を冷徹にコントロールしているのだ。野放しにして無法地帯化させるよりは、最初から枠組みを作って国家の管理下に置いた方が、結果として生じる摩擦コストを最小限に抑えられるからだ。
「……現状、あらゆる政策が後手に回り続けている我が国が、同じ状況に叩き落とされたとき……」
私はパソコンの画面を見つめたまま、暗い部屋で一人呟いた。
綺麗事と道徳論だけを掲げ、現実の泥から目を背け続ける本国の政府。
彼らに、この圧倒的な格差と欲望の嵐が吹き荒れた時、帝国のように冷酷かつ合理的に自国民をコントロールする『柵』を築くことができるだろうか?
私の今の答は――否だ。
上手く動けるどころか、なんの制度的防壁も持たないまま現地に解き放たれた日本人が引き起こす混迷と混乱に、ただ手をこまねいて自滅していく未来しか浮かばなかった。
画面から発せられる青白い光を浴びながら、私は時代の変化に置いていかれる自国の脆さに、深い寒気を覚えるのだった。