日本が異世界転移しました。そして国家分裂しました。 作:適当でいいです
翌日 シュクシュラ国 ズーン市
井上一佐は早朝から、帝国軍医指揮官との緊急通信ラインを繋いでいた。
気まずさと申し訳なさを押し殺しながら、本国からの「未監査・不認可につき使用不可」という決定と、バーター取引を辞退せざるを得ない旨を告げる。
『……そうですか。では、別の方向で処理を考えるしかないですね』
画面の向こうの軍医は、怒るでもなく、呆れるでもなく、至極落ち着いた声で返してきた。
そのあまりに平然とした態度に、井上一佐は一瞬、期待を抱いてしまう。……我々の思いもよらないような、日本の法規を迂回する“ウルトラC”の解決策でも提案してくれるのだろうか、と。
だが、軍医の口から飛び出したのは、予想を遥かに超える冷酷な言葉だった。
『……出禁(ディスアロウ)、になりますかね』
「……はい?」
井上一佐の思考が一瞬フリーズする。
『話は単純です。我が方との感染症対策のデータ連携が成り立たない。結果として日本人エリアに感染症が蔓延するおそれがある。現在、あなた方日本人は、我がズーン市の“帝国製”の住宅設備に住み、帝国市民と同じアパートや住宅地で生活しているわけです。当然、病院や衛生インフラも共有している』
軍医は端末のデータを手元で操作しながら、感情の籠もらないトーンで言葉を重ねる。
『そして、日本国政府は手続き上の都合により、現場での感染症防衛を事実上放棄した。……表現は悪いですが、我が方として、そのような公衆衛生上の危険因子となった集団をこのまま放置することは不可能です。あなたも衛生管理医学を修められた軍医であれば、この判断に何の誤りもないことはお分かりいただけますよね?』
出禁――。
それはつまり、こういうことだ。
『お前たちの開拓体制もリスク管理もあまりに未熟で足手まといであり、自国民の脅威になるから、今すぐ荷物をまとめて日本へ帰れ』――と。
「っ……」
自国のお役所仕事を守った結果、異世界のパートナーから『公衆衛生上の脅威』と認定され、国家プロジェクトそのものを叩き出されそうになっている。
井上一佐は喉の奥がカラカラに乾き切り、声すら出せないまま、画面の向こうの冷ややかな軍医の視線を受け止めるしかなかった。
この通信の現場には、当然ながら防衛省から派遣された官僚チームの瀬田や大木たちも同席していた。
モニター越しに突きつけられた『出禁』という最悪の宣告に顔を蒼白にしながらも、彼らは容易には引き下がれず、必死の思いで苦しい対抗案を口にする。
「……な、なんとか我が国の検便検査キットによる共同検査で、初期スクリーニングを実施するというのは……!」
瀬田が身を乗り出して食い下がる。だが、帝国軍医は眉ひとつ動かさずに冷ややかに言葉を返した。
『検査キットの在庫がまだ残っているのは結構ですが……では、陽性と判定された患者はどう治療するおつもりで? まさか我が軍に対し、先ほど拒否された抗生物質と点滴を“帝国の強権で独断専行したことにしろ”とでも?』
「くっ……! で、では、陽性者は即座に“隔離”するというのはどうでしょう!?」
大木が悲鳴に近い声を上げる。それに対しても、軍医の追撃は容赦がなかった。
『隔離、ですか。一体どこに隔離するおつもりです? まさか劣悪な野営テントに患者を放り込むとでも? ……我がズーン市の市民や帝国民がそれを見れば「日本人は病人を人道的に扱わず放置している」と激しい反感を抱くことになります。そしてその一部は我が国に対しても「なぜ元同胞を野ざらしにするのか!?」という反感になりかねません。そのような人道上の批判を招く運用をズーン市管理区域内で許可することはできません』
「っ……!」
ぐうの音も出ない正論。
「検査して放置するのか?」「劣悪な環境で人道違反をする気か?」――。
厚労省の顔色を伺って対等な取引(物々交換)を蹴り飛ばしたツケが、すべて自分たちの首を絞める刃となって返ってくる。
日本側の官僚たちが思いつくような「おざなりな時間稼ぎ」や「現場を無視した保身策」など、帝国の軍医にとっては鼻で笑うような穴だらけの稚拙な案に過ぎなかったのだ。
万策尽きた瀬田と大木は、蒼白な顔のまま言葉を失い、ただ冷たい通信画面を見つめ返すことしかできなかった。
「だめだ……取り付く島もない……」
瀬田は頭を抱え、掠れた声で漏らした。
悔しいが、帝国軍医の言っていることは何から何まで客観的な事実と合理的な根拠に基づいている。だからこそ、こちらからは何一つ反論ができないのだ。
『海外農地がどうしても欲しい』と頭を下げ、帝国の開拓地に後から割り込ませてもらったのは日本側だ。その日本が、まともな医療管理もできずに現地へ病原菌を撒き散らす存在になろうとしている。だから安全のために排除する――。
正直、どこをどう切り取っても、これを『帝国の横暴』と批判することなど、ズーン臨時駐屯地の自衛隊幹部にも派遣官僚にも到底不可能だった。
「本国へ、追加の医療物資の緊急支給を要請しろ」
万策尽きた瀬田たちは、すでに本国へ向けて打診を出していた。
平時の承認や予算の判断には何ヶ月もかけるトロい政府だが――なぜか、この緊急要請に対してだけは【即日】で回答が返ってきた。
『すでに国内の生産ラインならびに流通在庫は使い切っている。緊急備蓄分は存在するが、これは国内の『大規模災害用』として規定されているため、海外派遣先への転用として手を付けるわけにはいかない』
――画面に表示された本国からの冷酷な電文。
「……ハッ、やはり大アホだな」
井上一佐が乾いた苦笑いを漏らす。
平時の判断は亀のように遅いくせに、責任を回避するための「お断り」だけは光の速さで返してくる。
目の前の現場で起ころうとしているパンデミックリスクという『災害』を無視し、規程の文字に縛られて備蓄の鍵を握りしめている本国の姿に、誰もが深い脱力感を覚えるのだった。