日本が異世界転移しました。そして国家分裂しました。 作:適当でいいです
同日 シュクシュラ国 ズーン市
静まり返った夜の駐屯地司令室。
医療を統括する井上一佐は、ズーン臨時駐屯地の基地司令官である桃木陸将補と向き合い、サシの緊急会議を行っていた。
「……はっきり申し上げます、司令。このプロジェクトは失敗です」
井上一佐は感情を殺した声で告げる。
「新規開拓地ゆえ、一時的に医療物資やインフラを帝国側に頼らざるを得ないこと自体は、まだ理解できます。ですが――その頼みの綱である物資を、本国が自国の硬直した基準で一方的に突っぱね、何の代替案も出さずに現場へ丸投げしたのです。もはや、この体制のまま運用を維持するのは不可能です」
「そうだな……。もはやこれ以上のプロジェクト維持は困難だろう」
桃木陸将補は腕を組み、深く重い溜息を漏らした。
「私からも、防衛省ならびに統合幕僚監部へ撤収の進言を出しておこう。……ちなみに井上、一番早く在庫が切れそうな消耗品で、最短であと何ヶ月保つ?」
「……5ヶ月から6ヶ月、といったところです」
井上一佐の回答に、桃木は苦い顔を噛み潰した。
「撤収作業そのものを進めるだけなら、時間的には十分すぎる猶予だ。……だが、最大の問題は『本国(政府・防衛省)が決断を下すまでに要する時間』だな」
「はい。ですから司令――本国へ提出する報告書には、この数字を正直に書かない方が賢明です。『在庫の猶予は最短で残り3ヶ月』と記載しておきましょう」
井上一佐の提案に、桃木は力なく苦笑した。
「……なるほどな。残り5ヶ月あると正直に言えば、今の政権は無駄な議論で平然と4ヶ月を使い潰してくるからな……最短3か月の最悪推定、楽観的に見て5~6カ月と調整しよう。」
「ええ。3ヶ月と尻に火をつけなければ、国が最悪なケースで3か月を議論に費やしても十分に時間が残ります。」
――悪い方向への絶対的な信頼が、現場の自衛官たちの間で着々と積み上がり続ける日本政府。
味方であるはずの本国をダマし、尻を叩かなければ撤収の手続きすら満足に進められないという事実に、二人はただただ虚しさを噛みしめるのだった。
翌週 シュクシュラ国 ズーン市
ズーン市から上げられた撤収の報告書は瞬く間に本国へと届き、国会ではすでに緊急の審議入りを果たしていた。ここまでのプロセス自体は、現場の懸念に反して驚くほどスムーズだった。
だが――ここで経済学の教科書にも出てくる『サンクコスト効果』という名の悪夢が、牙を剥いて立ちはだかる。
すでに現地には300名の民間人と、2000名規模の陸上自衛隊、さらには沿岸部を固める海自の旧式小型護衛艦(臨時編成)まで投入されているのだ。そこに投じられた費用と国家の威信は、天文学的な額に達している。
それを今さら、すべて投げ出して放棄するというのか――? その重すぎる事実が、議員たちの足を引っ張っていた。
議会の空気自体は、感染症の蔓延という国家規模リスクを前にして「撤収やむなし」の方向へと傾きつつある。
そこに至る判断基準に与野党の異論はない。最大の問題は、たった一つ――『一体、誰がこの政治的責任を取るのか』という一点にしがみついていることだった。
「そもそも、この事業は『海外農地がどうしても欲しい』と言い出した農林水産省の要望から始まったものです! 完全に政策の失敗であり、農水大臣の引責辞任が不可欠だ!」
野党議員の激しい追及に対し、農水大臣は顔色一つ変えずにやり返す。
「いいえ。現地の農業開拓そのものは順調に成果を出しており、今回問題視されているのはあくまで『感染症対策』の不備です。すなわち、現場の必要とする未承認医薬品の輸入・使用を頑なに許可しなかった厚生労働省にこそ、最大の責任があると考えます」
「っ……! 当方の措置は、薬機法に基づく規則上、どう考えても仕方のないことだ!」
厚労大臣が必死になって机を叩き、官僚から渡されたメモを読み上げる。それに対し、追及する側はさらに冷徹な刃を突きつけた。
「――では、なぜその未承認薬について、津軽海峡を通じたサンプル輸入の手続きや、緊急承認に向けた特例検査を進めた形跡が一切ないのでしょうか? 省内の保身のために、現地へ放り出した民間人や自衛官が見殺しにされるのを指をくわえて見逃すつもりだったのですか!?」
議場は怒号と罵声の渦へと飲み込まれていく。
現場の人間が「残り3ヶ月の命運」を賭けて必死に撤収の算段をつけているというのに、本国の政治家たちは「誰の首を差し出させるか」のイス取りゲームに狂奔しているのだった。
この国会中継を息を詰めて見守っているのは、井上一佐や桃木陸将補たち幹部だけではない。
もはや駐屯地のあらゆる場所で、テレビや端末の画面を隊員たちが食い入るように見つめていた。
なにせ、札幌の国会のくだらない不毛な議論の流れの中で、いつ『正式な撤収のGOサイン』が出るかまったく分からないのだ。自分の命と未来がかかっている以上、注視しないわけがなかった。
一方、私たちが切り開いてきた農業開拓現場にも、全作業中止の指示が飛んでいた。
私や主任をはじめとする如月商事の開拓関係者たちもアパートでの自宅待機を命じられ、リモートワークで本国との業務連絡をこなしつつ、この国会中継を眺めている。
借り上げているアパートの窓からふと外を見下ろすと、自動運転専用道路(トラックルート)を、いつもより遥かに多くの大型トラックが絶え間なく走り抜けていくのが見えた。
現地で知り合った帝国企業の知人に通信で聞いてみたところ、あの車列は『医薬品』と『環境薬剤』の緊急輸送部隊だという。
「……日本側の医薬品が3ヶ月で底を突き、感染源になる。最悪の場合、この帝国が作り上げたズーン市が感染地帯へと化すリスク……か」
画面の中で責任を擦り付け合っている日本の政治家たちをよそに、帝国側はすでに「最悪のシナリオ」を完璧に織り込んで動いていたのだ。自国市民の医療体制をバックアップするため、通常の2倍以上の医療物資を現地へ集積する計画が始動している。
それだけではない。
日本側が撤退し、無人となって放棄された沼地が、途端に蚊や肉食バエ、寄生虫の爆発的な発生源になることまで計算に入れているのだ。あの広大なエリア一帯を長期間にわたって徹底消毒するための化学薬品も、あのトラック群によって着々と運び込まれているらしい。
呆れるほどの危機管理スピード。
そして、それを支える圧倒的な物量とロジスティクス能力。
「……ハハッ」
私は窓枠に肘をつき、絶え間なく続く帝国のトラックの車列を見下ろしながら、乾いた笑いを漏らすしかなかった。
(……ああ。第二次世界大戦の折、太平洋の戦場で圧倒的な物量と補給力を叩きつけられた旧日本軍の兵士たちは……きっと、こんな気分でアメリカ軍を見ていたんだろうな……)
自国の政府と行政機構に対する深い失望と、目の前にある合衆帝国の超合理的な巨大な力。
その埋めようのない隔絶に、胸の奥が冷たく冷え切っていくのを感じていた。