日本が異世界転移しました。そして国家分裂しました。 作:適当でいいです
同日 シュクシュラ国
日本の南に位置するだけあって、空気はむっとするような熱帯気候に包まれていた。
だからこそ、我が社がどうしてもこの国から仕入れたい魅力的な作物が山ほどある。そんな交渉のため、私たちが最初に向かったのはシュクシュラ国政府の置かれた宮殿――ではなく、かつての宮殿を改築した『中央行政庁舎』だった。
「そういえば主任。この国って、もともとは『王国』じゃなかったでしたっけ?」
タクシーの窓から外を眺めながら、私はふと疑問を口にした。
「ああ。だが、数年前に王家が内部から打倒されて、今は『共和国制』になったそうだな」
聞けば、その政変の裏に合衆帝国がガッツリ絡んでいる……と思いきや、実はほとんど関係なかったらしい。
というのも、合衆帝国側は驚くほどに『徹底した放任主義』を貫いている。現地民の自治には必要以上に干渉しないし、面倒な統治もしないというスタンスだ。
自衛軍の理念(?)は極めてシンプルだった。
『この国で俺たちが欲しいのは、今日明日の胃袋を満たす「食料」だけだ。現地の政治的支配だの、お友達作りの人望だの、そんな面倒な植民地経営は一切要らん』
文字通りの、圧倒的すぎる現物主義。
余計な占領統治をしない代わりに、ただひたすら作物を効率よく買い付け(あるいは強奪し)ていくスタイルのせいで、シュクシュラ国の旧来の支配層(王家や貴族)は経済的・政治的にすっかり求心力を失い、勝手に足元から崩壊して共和国へ移行してしまったというのだから皮肉な話である。
「……要するに、侵略された挙句に自分たちで勝手に革命を起こして体制を変えたってことですか」
「そういうことだな。帝国側は『勝手に民主化してくれて助かるわ』くらいにしか思ってないだろうが」
タクシーが大きな門の前でピタリと停まる。
理念も大義名分もなく、ただ「生存のためのカロリーと経済」だけで世界を回していく合衆帝国という怪物と、その余波で生まれ変わった熱帯の共和国。
そんな狂った世界の一端で、私は自分のカバンに入った鉄貨の重みを確認しつつ、重い足取りで政府庁舎へと向かったのだった。
空港の出口を抜けると、会社が手配してくれていた現地通訳の男性が待っていた。
名刺には「セセト」とある。今年で31歳を迎える、働き盛りの男性だ。
もちろん、言葉が通じないこの異世界において、現地と日本の両方の言語を解する通訳は文字通りの「生命線」であり、超がつくほどの貴重な存在だ。当然、彼の職業も現地のハイクラス高給取りにしっかり分類されている。
「どうも、初めまして。ようこそシュクシュラ国へ!」
「こちらこそ、よろしく頼む」
ニコニコと人懐っこい笑顔を浮かべ、セセトさんは力強く私たちと握手を交わした。
その後、彼は手際よく一台の車を捕まえ、私たちを後部座席へと誘導する。停まった車の車体には、なぜかデカデカと『アジェン商会』という見慣れた日本語がペイントされていた。
訝しがる私に、セセトさんは流暢な日本語で説明してくれた。
「あ、これですか? これは帝国の企業ではなく、私たちシュクシュラ人が立ち上げたローカル企業ですよ」
聞けば、アジェン商会はもともと地方の農村を馬車でトコトコと回り、農作物や飼料を細々と運ぶ小さな商会だったらしい。
だが、合衆帝国がやって来てからは、帝国軍を相手に売買契約を結んで大儲け……とはいかず、帝国側が現地に近代的な農業機械や専門人員を大量に送り込んできたことで、圧倒的な技術と効率の差の前に、あっさりと契約を打ち切られてしまったという。
しかし、そこは帝国側も一枚岩というか、外交的(あるいは治安維持的)な配慮があったのか。
契約解除の際、ちゃんとした取り決めに基づいた「多額の慰労・補償金」が支払われた。セセトさんを雇ったアジェン商会の社長は、その元手を使ってこのタクシー会社を立ち上げ、今や街の一大インフラにまで成長させたのだそうだ。
「安易な略奪をする初期の段階を過ぎれば、向こうもそれなりに手厚くもてなしてくれるんですよ。……まあ、本当の背景には帝国側の『人手不足と資本不足』があるんでしょうけどね。それを上手に『善意のオブラート』に包んで、お互いウィンウィンってことにしているんです」
セセトさんはからからと笑いながら、アクセルを踏み込んだ。
荒々しい略奪から始まり、やがて冷徹な経済合理性と「手厚い補償(という名の懐柔策)」による秩序の構築へ――。
異世界という狂った舞台の上で繰り広げられる、あまりにもリアルで、どこか泥臭い資本主義の縮図を目の当たりにしながら、私たちは揺れる車内でシュクシュラ国の中枢へと進んでいったのだった。
空港の敷地をひとたび出ると、地面からアスファルトの黒さは綺麗さっぱり消え去り、むき出しの砂利道が続いていた。
深く刻まれた車の轍(わだち)にタイヤを取られ、タクシーの車体は縦に横にと激しく振り回される。
「ははは、これも海外赴任の醍醐味ってやつさ!」
助手席で、主任は揺られながら豪快に笑ってみせた。
……笑い事ではない。
思えば、これこそが合衆帝国という国家の本質だった。奴らの行動原理は「放任」か「善意のバラマキ」に見えて、その実すべては『自分たちの利益になるかどうか』の一点で割り切られている。
だから、自分たちの物流に関係のない現地の生活インフラなど、整備するコストすら微塵もかけない。どれほど劣悪な道であろうと、舗装など端からやる気がないのだ。
じゃあ、帝国人たちはどこを走っているのかといえば――答えは『有料道路』だ。
車がすれ違うのがやっとのボロい農道のすぐ隣を、帝国専用の有料道路が走っている。あちらはきれいにアスファルトで舗装され、重機や大型トラックがどれだけ往来しようともびくともしない。定期的なメンテナンスも完璧に行き届いた、文字通りの高速道路だ。
本来なら、私たちもそちらの快適な有料道路を通って目的地へ向かうことが可能だった。
しかし、今回はあえてそのルートを選ばなかった。
「私たち商社マンの仕事は、デスクに座って書類を眺めることじゃない。現場の空気を肌で感じることだ」
主任が窓の外の景色に目を向けながら言った通り、ガタガタ揺れるこの泥臭い農道こそが、今回の最大の調査現場だった。
窓の外には、熱帯の太陽を浴びて青々と広がる現地の農場風景がどこまでも続いている。走りながら作物の実り具合や、農民たちの表情を直接観察するだけでも、立派な買い付けのデータになるのだ。
「……まあ、乗り心地の悪さで胃が裏返りそうになるのだけは勘弁してほしいですが」
揺れる車内で私は小さく呟きながら、手元のノートに現地の農地の様子をメモし始めた。
異世界ビジネスの最前線――その荒波に、私たちは今、確実に足を踏み入れていた。
「あの……セセトさんは、合衆帝国に対してどう思っているんですか?」
ガタガタと激しく揺れる車内で、私は舌を噛まないように慎重に言葉を選びながら尋ねた。
「そうですね……意外と怒られるかもしれませんが、私はそんなに悪くないと思っていますよ」
ああ、やっぱりあの入国管理官の青年と同じか――。そう思いかけた矢先、セセトさんの口から飛び出したのは、私の予想を遥かに超える重大な背景だった。
「日本の皆様はご存じないかもしれませんが……帝国がやって来る前のシュクシュラがどういう状況だったか、分かりますか?」
ルームミラー越しに見えるセセトさんの表情は、少しだけ真剣味を帯びていた。
「この国は、周囲の3カ国と結託しては裏切り、10年に1回は必ず血みどろの戦争をやり合っていたんです。そして、その度に一番割を食い、戦場に放り出されて命を落としていたのは、いつだって私たち農民や平民でした」
ぐっと息を呑む私をよそに、セセトさんは静かに続けた。
「ですが、あの『戦争犯罪国』である帝国軍がこの大陸に駐留するようになってから、周囲の国々は迂闊に手出しができなくなりました。帝国は自分たちの食料(利権)を荒らされるのを極端に嫌いますからね。結果として、この国から無駄な戦争が綺麗になくなったんです」
あ――。
その瞬間、私は心の底から冷や汗を流した。これほどマズい状況はない。
商売をする上では、現地民が「帝国に恨みを持っている」方が、同情や交渉のテーブルに引き出しやすいかも、というシナリオも考えてはいた。だが、現実は違った。シュクシュラの人々にとって、合衆帝国は「かつての終わらない地獄の戦争から自分たちを救い、さらに安定した仕事と富を与えてくれた存在」として、民意がかなりそちらに傾いていたのだ。
外交の建前では「戦争犯罪国」を嫌う日本国。
しかし、現地の実態は、その「犯罪国」がもたらした圧倒的なパックス(平和と秩序)の恩恵にどっぷりと浸かっていた。
「……こりゃあ、向こうの政府や農家との買い付け交渉、甘く見てると足元をすくわれるな」
窓の外に広がるのどかな熱帯の農地を見つめながら、私は自分の商社マンとしての甘さを猛烈に反省し始めたのだった。