日本が異世界転移しました。そして国家分裂しました。 作:適当でいいです
同日 シュクシュラ国 ハースン市
タクシーに揺られることおよそ1時間。
私たちは『ハースン』と呼ばれる街に到着した。ここは、文字通り合衆帝国の人間のためだけに整備された専用居住エリアだ。
先ほどまで窓の外に見えていた現地のあばら家たちとは打って変わり、そこには見慣れた大手住宅メーカーが建てたような一軒家や、綺麗に区画整理されたアパート、マンションの群れが並んでいた。
道も当然のように黒々としたアスファルト舗装に変わり、先ほどまでの激しい縦揺れが嘘のように消え去る。乗り心地の差はまさに天と地ほどもあった。
「――すまねえが、俺はここまでだ」
バックミラー越しに運転手が言った言葉を、セセトさんがすかさず通訳する。
特に物々しい検問があるわけではない。しかし、市内には帝国の制服を着た警官が常駐し、パトカーが目を光らせて巡回している。
私たちには通過サイン付きのパスポートがある。通訳のセセトさんも、事前に会社経由で厳格な入市許可を取得済みだ。
だが、この現地の運転手は、その許可が下りなかった。
もしこのまま無許可で市内に踏み込み、警官に見つかろうものなら――パトカーで強制的に誘導され、市外へポイと追い出されることになる。
もちろん、不法侵入の記録くらいは残るのだろうが、このシュクシュラ国にはそもそも厳密な戸籍制度なんてものはない。だから、日本のような「前科」として人生を縛り付ける記録すら、そもそもまともに取れないのだ。
捕まったからといって、映画に出てくるような拷問や暴行を受けるわけでもない。
おそらく向こうの基準では、『そんな面倒なことにリソースや時間を割く暇はないし、そもそも必要性がない』という判断なのだろう。
怒りでも悪意でもなく、ただの――徹底した「無関心」。
「じゃあ、私はここで。お二人とも、お仕事頑張ってくださいね」
運転手はあっけらかんと言い残すと、Uターンして去っていった。
衛生的で、見慣れた景色が広がるハースン市。しかしその裏側には、血の通わない冷徹な合理主義と、見えない壁がしっかりとそびえ立っている。
私たちはその「安全で快適な檻」へと、いよいよ足を踏み入れたのだった。
「話には聞いていましたけど、思っていたよりは血も涙もないってわけじゃないんですね。……でも、どうしてそこまで厳しく入域を制限しているんですか?」
ハースン市の整然としたアスファルトを歩きながら、私は隣を歩くセセトさんに疑問を投げかけた。
「それはもちろん、盗み対策ですよ」
セセトさんは当然のように答え、苦笑いを浮かべた。
「日本の皆様にとっては『少し値の張る日用品』のレベルでも、外の人間から見れば文字通りの『超高額商品』になりますからね。下手をすれば、路地裏で帝国人を襲って衣服を丸ごとはぎ取って売り飛ばすような連中だって出てきます。現に、街の闇市では帝国人の古着が高級品としてよく出回っていますよ」
「うっ……」
私は思わず、自分が着ているスーツの袖をキュッと引き締めた。
確かに、先ほどのレートのバグを思い出せば、私たちが着ている服や持っている鞄そのものが、向こうの人間にとっては「一攫千金の宝の山」に見えてもおかしくない。
帝国警察が厳重に目を光らせているのも、冷徹な差別というよりは、この「凄まじすぎる経済格差が生む犯罪」を物理的にシャットアウトするための防衛策なのだと納得せざるを得なかった。
「綺麗で安全な居住区の裏側は、結局のところ『桁違いの富を持つ人間たちの要塞』ってわけか……」
窓ガラスに映る自分の姿を見ながら、私たちは近代的な街並みの中心へと歩みを進めたのだった。
すっかり日も傾き、朱色に染まった空の下で、私たちは会社が用意してくれたアパートへと足を踏み入れた。とりあえずの仮の拠点である。
部屋の間取りは、どこにでもあるごく普通の1LDKだった。
「まあ、日本の学生向けアパートよりはマシか……」
どっと押し寄せる疲労感を誤魔化すように、私はソファーに倒れ込み、スーツのネクタイを緩めた。
そして、ふと思い出してポケットからスマートフォンを取り出し、画面をタップする。
この帝国人が暮らすハースン市内には、しっかりとWi-Fiや有線回線が通っている。通信網のシステム自体は日本本土のものと変わらないため、ネットに繋ぎさえすれば、日本国内のニュースや帝国内の情勢をリアルタイムで確認することはできた。
だが――問題は「国外のニュース」だった。
一歩外の世界に出たとたん、入ってくる情報は激減する。
入ってくるのは「どこそこでモンスターが暴れた」「隣国との間でまた小競り合いが起きた」といった、中世特有の不確定な噂話や伝聞ばかり。しかも、戦争が起きるハードルが異様に低いため、ほんの数日で地域の勢力図や情勢がコロコロと変わってしまう。
おまけに、現地に赴任している特派員はごく一部の地域に限定されており、交通手段も限られている。そんな状況で、正確な海外情報など報道できるはずもなかった。
「……なるほどな」
セセトさんから聞いた「帝国軍が来る前の凄まじい泥沼の戦争の歴史」や「農民たちの本音」を、日本のデスクに座っていた頃の私たちは知らなかった。
ネットがどれだけ発達していこうとも、生きた一次情報がなければ、人間はここまで見事に足をすくわれる。
長旅の疲労がドッと押し寄せてきたため、私は近くのコンビニで買ってきた弁当の包みを開くことにした。
「……おいおい、地元じゃ1200円もしていたこれが、こっちじゃ890円なのかよ」
値札シールを見比べて、私は思わずため息をつく。
ハースン市はもともと空港を防衛するための陸上自衛軍駐留地だが、周辺には豊かな農地や牧場が広がり、新鮮な野菜や家畜の飼育が盛んだ。おまけに食品加工工場も充実しているため、現地生産・現地消費のラインがしっかり整っている。
だが、それ以上に納得がいかないのは日本の価格設定だ。
考えてみれば当然だった。シュクシュラ国で作られた作物が、まず一度『合衆帝国』に渡り、そこからさらに海を越えて『日本国』へと輸出される。その過程で、中間マージンをガッツリ抜く巨大な商社や業者が何重にも挟まっているのだ。
国境を2回も通れば、そりゃあ同じ商品でも値段が跳ね上がるわけである。
「中間マージンの暴力ってやつか。……まあ、俺たちもその『中抜き』で飯を食ってる身だから、他人のことは言えないんだが」
割り箸をパキッと割って、私はレンジで温まった弁当を口に運んだ。
窓の外には、ハースン市の整然とした街灯の光が静かに広がっている。明日はついに本格的な買い付けの商談だ。
胃袋に染みる現地の味を噛み締めながら、私は明日への英気を養うべく、早めにベッドにもぐり込むのだった。
弁当の最後の一口を飲み込もうとしたその時、ガタリと玄関の方で小さな音がした。
どうやら、郵便受けに何かが投函されたらしい。
首を傾げながら扉を開けてみると、そこには一枚の派手なパンフレットが入っていた。
『中央自衛軍は、多様なキャリアコースであなたの才能を見つけて伸ばします!』
「……あーあ、勧誘のチラシか。ふーん、こっちの世界でも自衛官集めは大変なんだな」
ぼそっと呟きながら、私はそれをテーブルの上に放り投げた。
本土から遠く離れた国外拠点だらけの合衆帝国において、慢性的な人手不足は想像に難くない。自衛軍がこうして常時、必死に勧誘を行っているのも無理はない話だった。
そもそも、こちらの世界で分裂・独立した『元日本』の政治体制は、日本とは似て非なるものへと大改造されていた。
最大の特徴は『道州制』の全面導入だ。
帝国本土はいくつかの州に分割され、それぞれの州が独自の自治権と自前の資金で『州軍』を結成している。一方で、国全体の防衛や国外での作戦、治安維持などを担当するのが『中央軍』という二段構えの体制になっている。
そして、これこそが――北海道に残った「本来の日本政府」が、この合衆帝国側から特定の州をスムーズに引き抜けずにいる最大の理由の一つだった。
仮に、ある州が帝国の統治に愛想を尽かし、「やっぱり本家の日本国に合流します」と手を挙げたとしよう。しかし、そこで必ずこんな大問題が発生する。
『じゃあ、ウチの州が今まで自分たちの財布から大金を出して育て、装備を整えたこの「州軍」の所有権と維持費は一体どうなるんだ? アンタたちが丸ごとタダで引き取るって言うのか?』
かといって、そこだけ特別扱いの資金援助や便宜を図ろうものなら、今度は自分たちの自衛隊から「ひいきだ」「不公平だ」と猛反発を買うことになる。
独立と再統合のハードルは、綺麗事や民族の絆だけでは絶対に越えられない「銭と武力のパズル」でガチガチに固められていた。
「この面倒くさすぎる地方分権の泥沼を防波堤にしたってわけか……」
私はパンフレットの裏面にある「充実の福利厚生!」という文字を横目で見ながら、苦笑交じりに電気を消した。
政治のしがらみも、経済の格差も、明日相手にする農産物買い付けの交渉も、すべてはこの広大で歪な世界の延長線上にある。
思考を切り上げるようにベッドに身を沈め、私は明日という本番に向けて、重い瞼を閉じるのだった。