日本が異世界転移しました。そして国家分裂しました。 作:適当でいいです
同日 シュクシュラ国 首都・バーシェン
ガタガタと音を立てる不整地を、タクシーは慎重に進んでいく。
道の両脇には、一定間隔でポツリポツリと光を反射する蛍光標識が立っていた。聞けばそれも合衆帝国が設置したものらしい。夜間でも道迷いを防ぐための、もっとも低コストで確実な手段として採用されたのだろう。電気が通じていないこのエリアで、街灯など作れるはずもなかった。
私たちは、その蛍光標識とタクシーのヘッドライトの明かりだけを頼りに、闇夜の首都を進んでいく。
「あ、あれですね」
セセトさんの声に促されて前を見ると、闇の中に突如として開けた平原と、その底を埋め尽くすように広がる人工的な建物の群れが見えてきた。
すっかり夜の帳が下りているため、細かい街の様子までは分からない。しかし、どうやらここが目的地であるシュクシュラ国の首都・バーシェンらしい。
「じゃあ、私はここまでですね。明日、また迎えに来ます」
「はい、ありがとうございます。セセトさんもお疲れ様でした」
ハースン市から一緒に行動してきたセセトさんとは、ここで別行動となる。
それもそのはず、この先に広がるのは『合衆帝国占有地』――つまり、実質的な軍の施設そのものだった。シュクシュラ国民であるセセトさんは、これ以上立ち入ることができないのだ。
バーシェンは一応この国の首都ではあるものの、合衆帝国側は現地のために大規模なインフラ工事などほとんど行っていない。そのため、外交や商談でやって来る帝国人たちが、現地の衛生レベルの低い環境で暮らすのはリスクが高すぎる。
結果として、治安維持を名目にした陸上自衛軍の前哨基地の中に、外部と遮断された宿泊施設が無理やり作り上げられていた。
水は施設内の浄化プラントで処理し、ガスや電気に至っては、一番近いハースン市の基地から大型のタンク車やバッテリー車を定期的に乗り付けてやり繰りしているという。
だからこそ、あとで手元に届く宿泊費の領収書には、こうしてしっかりと別枠の項目が記載されることになる。
『水道使用料金、ガス使用料金、電気使用料金』――。
文字通り、一滴、一ジュール単位で帝国本土から運ばれてきた生命維持コスト。
門限の厳しい前哨基地のゲートをくぐりながら、私は明日から始まる本格的な商談の重みに、早くも胃がキリキリと痛み出すのを覚えるのだった。
チェックインを済ませて通された宿泊所は、外見こそ見慣れた日本のビジネスホテルそのものだった。
堂々とそびえ立つ8階建てのコンクリート建築は、この基地の中で間違いなく一番の「高層ビル」だった。ホテル従業員は2階に住み込みになっているらしい。
長旅で疲れ果てた体をベッドに預けたいところだが、その前にまずは腹ごしらえだ。
「……ふう。契約には『食事付き』って書いてあったっけな。どんな現地メシが食えるか、ちょっと楽しみではあるんだが」
期待半分、不安半分で食堂(というかプレハブの共用スペース)に降りていった私を待っていたのは――およそ「豪華な郷土料理」とは程遠い代物だった。
「……って、これほどとは……」
テーブルの上に並んでいたのは、湯気の立つ料理ではなく、無機質なデザインの真空パックと、無骨なスチール製の缶詰が数個ぽつんと置かれているだけ。
触ってみれば、どこか懐かしいような、それでいて絶望的に食欲をそそらないパッケージ。
――これ、完全にレーション(戦闘糧食)じゃないか。
ガスも電気もハースン市からタンク車で運んでくるようなこの極限環境で、一般の食材の買い出しルートも調理にそれらを使う余裕もあるわけがなかった。つまり、私たちが食べる夕食は、もれなくそこの自衛軍が仕入れたレーションの備蓄からお裾分け(あるいは半強制的な調達)されたものに他ならない。
「……明日からの商談の前に、すでに胃袋が野戦に突入させられてるぞ、これ」
缶切りで無理やり蓋を開けながら、私は遠い目をして冷めた白米(もちろんパック)を口に運ぶのだった。
パックの白米をかき込みながら、私は向かいに座る主任とトホホといった顔で見合わせた。
「……良かったな、田中。今回の辞令が、万が一にもこのバーシェン勤務じゃなくて」
「本当ですよ……。ズーン市でしたっけ? ハースン市と同じく、あそこはまだ綺麗にインフラが整備された帝国居住エリア内ですからね……」
もし本気で「明日からこの首都バーシェン支社勤務ね」などと言われたら、私はその場で辞表を叩きつけるか、さもなくば「今すぐ赴任手当を倍額に引き上げろ」と人事部に直談判の国際電話をかけていたに違いない。
バッテリー車で電気を運び、レーションで命をつなぐような前哨基地の片隅で、毎日このご飯を食べる生活など絶対に御免被りたかった。
「まあ、俺たちがここに来たのはあくまで、新しい取引先候補である首都の農業当局に顔を売りに行って、コネを作っておくためだ。腰を据えて暮らすわけじゃない」
主任の言葉に、私は深くうなずきながらお茶をすする。
明日はついに、その「農業当局」の役人たちとの初顔合わせだ。
レーション特有の保存食の味を噛み締めながら、私は明日から始まる本格的な商談に向け、気持ちをしっかりと引き締めるのだった。
翌日 シュクシュラ国 首都・バーシェン市
翌朝――シュクシュラ国の首都・バーシェン市。
朝からまたもや無機質な朝食レーションを無理やり胃に流し込み、私たちは手早く身支度を整えた。出発の前に、まずは経費精算用のホテルの領収書を受け取る。
「ふぅ……。相変わらず、帝国絡みの物価設定は頭がおかしいな」
レシートに目を落とした主任が、深い溜息をついた。
その金額――『1泊 28,000円。プラス各種光熱費 2,200円』。
下水道も電気も通っていない中世の首都の片隅で、軍が持ってきたバッテリーとタンク車のおかげで辛うじて「ビジネスホテル並みの環境」を維持しているとはいえ、この値段は流石にボッタクリではないか。
泥臭いインフラ維持コストの全額が、そのまま宿泊客の財布に直撃する仕組みらしい。
「やあ、おはようございます! 昨夜はぐっすりとお眠りいただけましたか?」
領収書をポケットにしまいながらホテルの出入り口に向かうと、なぜか迷彩服に身を包んだ一人の自衛軍人が、満面の笑みで突っ立っていた。その手には、いかにも怪しげな『募金箱』がガシャガシャと音を立てている。
長々とこんな中世の泥世界で、ちゃんとした現代水準の部屋に泊まれたのはいい思い出になっただろ? だから少しばかり恩返しをしていけ――と、全身でそんな無言の圧力をかけてきているのは明白だった。
要するに、実質的な「カンパ(上納金)」の強制徴収である。
(ここで変に「日本人です(帝国人じゃないです)」なんて顔をしようものなら、本来の創設目的に入っていない部外者だと思われて、さらに面倒な寄付金をふんだくられかねん……!)
私は素早く思考を巡らせ、財布の奥から『50ミリゴフ(0.05ゴフ)』の硬貨を取り出し、カランと募金箱に落とした。
一瞬、箱の中で小銭が跳ねる音とともに、その場の空気がわずかに凍りつく。
額面としては「お気持ち程度(というかケチ)」の金額だったが、軍人は一瞬だけ目をパチクリさせると、次の瞬間にはプロの笑顔へと見事に立ち戻った。
「ありがとうございます! 皆様の安全とサービス向上のために邁進いたします! お気をつけて!」
めちゃくちゃ清々しいまでの手のひら返しだった。
「……さて、行くか」
私たちは苦笑いを浮かべながら前哨基地のゲートをくぐり、いよいよ本番となる首都の農業当局との顔合わせ場所へと歩き出すのだった。