日本が異世界転移しました。そして国家分裂しました。 作:適当でいいです
同日 シュクシュラ国 バーシェン市
宮殿庁舎の重苦しい空気から逃れるように前哨基地ホテルへと戻ってきたものの、室内に漂う空気はさらに重く澱んでいた。
「主任、奴隷なんてまずいですよ……! 日本の本社にそのまま報告したら、それだけでコンプライアンス的に大炎上どころか、プロジェクト自体が吹っ飛びますって!」
私はソファに倒れ込みながら、絞り出すような声で言った。対する主任も、ネクタイを緩めながら苦い顔をして頭を抱えている。
「いや、分かっている。だが、これまでの帝国企業からの農産物輸入の際だって、厳格な『現地労働監査』のクリア証明がちゃんと添付されていたはずだ。書類上はすべてパスしていることになっているんだぞ」
「まさか、全員グルになって、目先の金と物資欲しさに書類を偽装してるって言うんですか……?」
「確証はない。だが、憶測で動くわけにもいかない。まずはシュクシュラ国内で活動している他の帝国系企業に、実際のところを詳しく聞き込みに行こう。……おい、さっきのグージュルとの会話、ちゃんと録音してあるよな?」
「もちろんです。スマホのボイスレコーダーにバッチリ収めてますよ」
私たちはすぐに荷物からデバイスを取り出し、録音データに不備がないか確認し始めた。
そう、問題はまさにそこにあった。
これまで日本が輸入してきたすべての作物には、きちんとした監査証明がついていた。しかし、その監査内容の「中身」は驚くほどスカスカだったのだ。
提出されていたのは、広大な「農場規模」と、それに紐づく「従業員数」、そして当たり障りのない「雇用形態」や「国籍別労務費」が記された乾燥したデータだけ。
帝国側は「これ以上の詳細な内部監査は企業秘密に抵触する」と頑なに拒み、買い手である日本側も、それ以上深く詮索することは許されていなかった。
そもそも、現在の地球の外側に広がるこの世界において、奴隷制度自体は珍しくも何ともない。むしろ世界のほとんどの国家が奴隷を容認している。
そんな中で、道徳的に奴隷を猛烈に忌避しているのは、実質的に日本国くらいのものだった。
そのため誰からも国際的な経済制裁など受けやしないのだから、やろうと思えば平然と奴隷を使って生産コストを極限まで削ることは構造上は可能だ。
――だが、ここで一つの強烈な矛盾が頭をよぎる。
昨日セセトさんが言っていた言葉を思い出す。
「帝国の農地で作られる作物は質がケタ違いで、個人の農家じゃ太刀打ちできないから、みんな喜んで土地を売って『従業員』になりたがる」
「その方がよっぽど安全で儲かる」
もし、帝国企業農場の労働者が人権を持たないただの「使い捨ての農奴」なのだとしたら、なぜ現地の農民たちは自発的に土地を売り払い、そちら側に流れていくというのだろうか?
「奴隷制」と「高収入な労働環境」――。
この二つのピースが、どうにも綺麗にかみ合わない。
「主任……。もしこの国で『農奴』が使われているとして、セセトさんが言ってた『農民たちの高収入化』や『自発的な就労』って、一体どう説明がつくんです……?」
私の問いかけに、主任は腕を組んだまま、険しい顔で窓の外の薄暗い首都の街並みを見つめるのだった。
2日後 シュクシュラ国 ハースン市
首都バーシェンを後にし、私たちはインフラの通ったハースン市へと引き返していた。
帝国企業に突撃したところで、紋切り型のコンプライアンス回答しか得られないのは考え直せば自明の理だ。ならばアプローチの相手を変えるしかない。ターゲットは、現場の労働者たちだった。
不審がられないよう細心の注意を払いながら、私は現地の農民たちに地道なヒアリングを行った。そして、そこで得られた点と点を繋ぎ合わせた時、この国を駆動する歪な経済ロジスティクスの全貌が嫌でも見えてきた。
「……そういうことか。田中のリサーチと現場の証言を統合すると、この仕組みの骨格が見えてくる」
ホテルの薄暗いラウンジの一隅で、主任はグラスを傾けながら、冷ややかに呟いた。
「まず、帝国企業は現地の『農奴』を自社の従業員として直接雇用する。法的身分こそ奴隷のままだが、ステータス上は『無期雇用者』に横滑りさせるわけだ。彼らが自発的にその道を選んで泥水をすする理由は一つしかない。『この雇用枠からはじき出されれば、生殺与奪を握る奴隷商会の底なし沼のような過酷な待遇に逆戻りする』という、身の毛もよだつ恐怖がインセンティブになっているからだ」
「裏を返せば、現地通貨ベースで多少の『高給・高待遇』を払ったところで、日本と帝国市場の高単価な購買力に換算すれば、原価などあってないようなものでしょうね。利ザヤの厚みは、文字通り桁違いに厚い……」
私は小さく息を吐き出し、冷めかけた現地産コーヒーに目を落とした。
構造は、冷徹なまでにシンプルだった。
ただ、日本側の官僚機構や商社の事前調査部隊が「帝国の公式監査証明」という美しい免罪符を盲信し、現場のボトムアップな実態調査という「泥臭い手間」をコストカットしたこと。あるいは、帝国が敷いた(実際は日本が勝手に自分で築き上げた)鉄壁の情報統制の前に気圧されて踏み込めなかったこと。その怠惰とコンプライアンスの機能不全が、この巧妙な人身搾取の構図を完璧に見えなくさせていたのだ。
「……さて、田中。この不都合な真実を前にして、我々は商社マンとしてどう動くべきか。このまま何も見なかったことにして稟議を通すか、それとも――」
ハースン市の整然とした街並みの裏側で、私たちが踏み込んでしまった巨大な利権の歯車が、禍々しく音を立てて回り続けていた。
「……真似するしかないのでは?」
私は乾いた喉から、絞り出すようにそう答えた。
「――どういうことだ、田中」
主任のグラスがピタリと止まる。私はデスクに手をつき、冷徹な現実を口にした。
「もしここで『現地の奴隷制度が解体されなければ契約できない』などと正論をかざしたとします。一体、カカオの輸入が何年先になることか……。それどころか、私たちが人権問題を盾に取ったとき、帝国側がどう出るか分かりません」
主任は眉間を揉みほぐしながら、重々しく言った。
「……ああ。一番厄介なのは、帝国が『奴隷制度は便利だから積極的に加担します』なんて野暮な理由で動いていないことだな。連中はただ、『我が社が発行した監査報告に疑義を唱えるというなら、我が国との貿易そのものを見直さざるを得ませんね』と、あくまで事務的かつ法的な正当性の下に、国家間の利権を盾に突きつけてくる可能性が高い。実際に奴隷価格ではなく現地の人件費ベースのさらに上乗せで動いているから虚偽報告とも言えない・・・」
正義や人道支援というカードを切った瞬間、商社のビジネスは国家レベルの外交トラブルへと爆発的に跳ね上がる。綺麗事では、巨大なサプライチェーンの歯車など微動だにしない。
主任は重く息を吐き出すと、手元のグラスをテーブルに置いた。
「そうだな……。確かに、それはあまりに痛い。痛すぎるな」
否定しきれない現実の重みが、ホテルのラウンジの空気をずっしりと押し潰していく。
利益を追求する商社マンとしての冷徹な判断と、倫理観の狭間で、私たちの選択肢は音を立てて狭まっていくのだった。