日本が異世界転移しました。そして国家分裂しました。 作:適当でいいです
翌週 シュクシュラ国 ハースン市
帝国と現地の歪な奴隷制度の実態をまとめた極秘レポートを本社に打電してから、すでに一週間が経過していた。こんな重大な倫理的リスクとコンプライアンスの爆弾を、現地支社の平社員と主任の裁量だけで抱え込めるわけがない。上が頭を悩ませているのは当然の事だった。
連絡を待つ間の気晴らしも兼ねて、私は再び市内の市場や区画を歩いて回る。
改めて痛感させられるのは、この世界における「情報の圧倒的な飢餓状態」だった。
日本政府が帝国を「戦争犯罪国」として全面的な制裁・認定を下して以来、両国間の公的なデータラインはほぼ途絶え、現地に関する生きた情報は急激に細っていた。
現在、手に入る数少ない情報といえば、帝国側が半ば垂れ流すように発信している電波情報――テレビやラジオの電波がせいぜいだった。
次のソースとなる衛星写真にしても、民間用の高精度なものはほとんど存在しない。大半の観測リソースは自衛隊の防衛監視や気象庁の災害予測に割り振られており、民間の商社が自由な定点観測に使える代物ではなかった。
書籍や新聞の類いに至っては言わずもがなだ。互いに相手国の産品を交易禁止品に指定している以上、紙の流通も頼りない。
つまり、民間の経済活動において、現地のエビデンスをアップデートする手段はほぼゼロに等しい。
安全なデスクの上でお膳立てされたリサーチなど存在せず、私たちは文字通り、異世界の泥臭い地平を自分の足で切り開いていくしかなかったのだ。
ハースン市内の書店で手に入れた紙の地図を頼りに、私は足を進めていた。
日本国内で流通している個人用や社用の端末では、帝国のインフラ網に紐づくローカルアプリをインストールすることすらできない。そのため、現在地を確認する手段は必然的にアナログな紙媒体にしかならなかった。
「……今更だけどさ。国を挙げてあれだけ帝国を拒絶しているくせに、俺たちのやっていることは結局、帝国頼みすぎないか?」
歩きながら、私は思わずため息を吐き出す。
今回のカカオ買い付けだってそうだ。自分たちでゼロから開拓したわけではなく、帝国が血と汗を流して切り開き、インフラを通した市場に、後からちゃっかり相乗りしてきたに過ぎない。
空港の入国審査だって、パスポートに押された帝国のスタンプがあったからこそ、面倒な詮索を一切受けずに短時間で通過できたのだ。反発しながらも、その巨大な利便性の恩恵をちゃっかり享受しているというこの矛盾。
そんな自嘲を抱えながら大通りを曲がった時、開け放たれた大衆酒場のテラス席から威勢のいい声が飛び込んできた。
「「「いぇ~い、乾杯っ!」」」
時計を見れば、まだ昼前だというのに、すでに盛大な酒盛りが始まっていた。
だが、そのテーブルを囲む男たちの姿は、どう見ても日本人ではなかった。それどころか、人間の耳とは違うものが頭から生えていたり、豊かな尻尾が揺れていたりする者も混じっている。――噂に聞いていた『獣人』というやつだ。
(農民たちから仕入れた情報のピースが、ここで綺麗に噛み合う……)
あの男たちは、かつてこの地の土地を所有していた『元・地主』たちに違いない。
帝国企業のやり口は巧妙だった。労働者である農奴たちは監査回避のために「非正規の無期雇用者」に落とし込むが、もともと「土地所有権」を持っていた地主に対しては、全く異なるアプローチを取る。
彼らを「管理職候補の正社員」として正式に引き抜くのだ。ただし、所有していた農地の規模が一定の基準より小さい場合は、その対象から外されてしまうらしいが。
帝国が提示した選択肢はこうだ。
――『今まで通りの土地利用代を現金で受け取って細々と暮らすか、我が社の一員として働き給与を稼ぐか、あるいはこれまで通り自分ですべての経営リスクを背負って生きるか?』
豪農と呼ばれるほどの大地主や、古い権威にしがみつく貴族であれば、プライドにかけても土地代だけを受け取って関わらない道を選ぶだろう。その方が面倒も少ない。
しかし、数名の小作人を雇っていた程度の「中途半端な地主」たちにとっては話が違う。自分で経営リスクを背負うより、帝国企業の管理職として安定した給与を貰う方が、よほど生活の質が向上してしまうのだ。
どちらを選ぼうと、由緒ある伝統(と言う名のしがらみ)や旧来のシュクシュラ国の特権階層が牛耳る行政に管理されるより、合理主義の帝国企業に組み込まれた方が圧倒的に楽であることに変わりはない。
そして今、昼間からジョッキを掲げて陽気に騒いでいる数名の男たちは、着ている作業着のロゴからして『水口農場』という帝国系企業の社員だった。
しかも、ハースン市内の滞在許可証を首から下げているということは、彼らはすでに「管理職としての価値」を認められ、システムの中に組み込まれた元・現地地主たちに他ならなかった。
(……自発的にシステムの一部と化した旧既得権益層か)
私は紙の地図をズボンのポケットにしまい込み、酒場の前を何食わぬ顔で通り過ぎるのだった。
足を延ばして街の反対側まで歩いてみる。そこには整然と区画された工業団地が広がっていた。立ち並ぶ巨大な工場の敷地内には、見覚えのあるシルエットの機体が何機も並んでいる。
それは、先日の空港でも見かけた『小型プロペラ機』だった。
この世界には、現代地球におけるF-15やF-35のような、超音速で空を切り裂くジェット戦闘機を必要とするほどの「同等の敵」がほぼ存在しない。
もちろん、空にはワイバーンやドラゴンといった巨獣が飛び交っているため、対大型獣用の迎撃機が完全に不要というわけではない。そちらはそちらで専用の機体が細々と開発・製造を続けられている。
しかし、軍事的な主役の座は、完全にこの「時代を逆行したかのようなプロペラ機」へと移行していた。
驚くべきことに、並んだ機体の胴体には見慣れた日の丸のマークが誇らしげに描かれている。
そう、日本の航空自衛隊さえもが、この帝国のプロペラ機を大量に輸入して採用していたのだ。
それも無理はない。機体価格はジェット機に比べて圧倒的に安く、維持費や整備のハードルも低い。おまけに、この世界の仮想敵や治安維持任務の9割方は、このローテクかつ高効率なプロペラ機だけで充分にお釣りが来るほどの用をこなせてしまうのだから。
ジェット機が姿を消していく一方で、滑走路のいらない『ヘリコプター』は、異世界進出を契機に爆発的な増産体制に入っていた。
少人数の人員輸送から、海難・山岳救助、物資の補給、さらには都市部での暴動鎮圧まで、使い道は枚挙に暇がない。結果として既存の保有数では到底足りなくなり、工業団地のあちこちでその無骨な機体が組み立てられている。
おまけに、舗装された立派な滑走路を用意しなくても、ちょっとした空き地さえあれば運用できるという点が、インフラの整っていないこの世界では圧倒的な強みになっていた。
ここにも、帝国流の泥臭い現実主義(プラグマティズム)がこれでもかと現れている。
日本の自衛隊のように「あらゆる環境で高水準を発揮する優等生性能」なんてものは最初から求められていない。帝国のモノづくりの思想はシンプルだ。
――「性能は多少落としてもいい。安全装置の確実性と製造コストを最重視し、その次にメンテナンスのしやすさを置く」
そのため、洗練されたアメリカ製の機体どころか、日本のメーカーの機体と比べてもスペック上の性能は一段劣る。だが、同じ防衛予算を叩いたときに揃えられる「数」が数十%以上多いのだ。
そして、その安価で数を揃えた運用が成立している最大の理由は――この世界において、「対空ミサイル」や「まともな対空砲」といった、ヘリを撃ち落とす脅威や装備がまだ一切確認されていないという、極めて特殊な地政学的事情があった。
「オーバースペックな高級品を少数揃えるより、そこそこの性能の安価な機体を数で並べる……か」
工業団地の一角で、大量生産されていく無骨な機体を眺めながら、私は現代の効率至上主義が行き着いた一つの極限を見た気がした。