底ノ尾真英の現役生活には、数え切れないほどの試合がある。その中でも、本人の意思とは関係なく、今なお繰り返しテレビで流されている一戦がある。
いわゆる『名古屋の悲劇』である。
九回二死までノーヒットノーラン。あと一人というところで右翼へ上がった飛球を宇田野が目測を誤り、打球はその頭に当たってファウルグラウンドを転がった。その間に走者が還り、さらに打者走者まで生還。底ノ尾は被安打ゼロ、自責点ゼロのまま、サヨナラ負けの敗戦投手になった。
毎年恒例の珍プレー特集でも、『宇田野のアレ』などと言われてすっかり常連となった。いまさら私が詳しく説明するまでもないかもしれない。
だから今回は、宇田野について書くつもりはない。私はここであえて、別のことに触れたい。あの映像をもう一人前の打者まで巻き戻してみたい。本来ならば、そこで試合は終わっていたはずだった。
九回二死。打者の放った打球は三塁へのゴロだった。三塁手の菱屋がこれを処理し、一塁へ送球した。その送球は、一塁手の頭上を大きく越えてベンチへ入り、失策が記録された。
そして、その次に起きたのが、あの宇田野のプレーである。珍プレー特集で菱屋の名前が語られることは、ほとんどない。映像が使われるとしても、主役は決まって宇田野である。しかし、あの送球エラーは菱屋の野球人生を大きく変えた。
菱屋はあのあと、送球イップスに陥った。そしてそれを克服できず、二年後に現役を引退している。
事件の主役である宇田野は明るいキャラクターで、今では『アレ』も持ちネタの1つとして定着したが、その一方で、菱屋はあのエラーにどのような思いを抱いているのだろうか。私は彼にも、事件の舞台裏について話を聞いてみようと考えた。
そこで、現在は川崎で蕎麦屋を営んでいる彼に取材を申し込んだ。すると、快く取材OKの返事があったので、私は彼に会いに行くことにした。
昼の営業が一段落した時間に店を訪ねると、彼は白い調理着姿で迎えてくれた。現役を離れてからずいぶん経つ。あの試合の映像で何度も見た三塁手と、目の前の店主を結びつけるまでに少し時間がかかった。私はさっそく『名古屋の悲劇』について切り出した。
「今でも思い出します?」
「そりゃ、もうね」
彼は笑顔で答えた。それは無理やり作った風ではなくて、昔を懐かしむような感じだった。
「あのプレー自体には、後悔はないです。少しでも遅れたら、内野安打になってたと思うんで」
確かに、彼が言うように、握り直していたら内野安打になって、ノーヒット・ノーランは途切れていたかもしれない。あのプレー選択は今でも最善だったと思う、と語った。
「ただ、ちょっと雰囲気に呑まれたのはあったかもしれないですね。ボールに手が付かない感覚はあって、投げた瞬間、頭が真っ白になりました。あのシーンを思い出すってよりは、あの時の感覚を手が覚えてるって感じですかね」
彼が率直に答えてくれたので、私はさらに踏み込んで尋ねた。送球イップスの件である。
「今は、キャッチボールくらいはできるんですけどね」
彼は、当時を詳しく振り返ってくれた。まず、すぐにはイップスの症状はでなかったという。だが、少しずつ、三塁から一塁への送球が『遠く』感じるようになっていった。そして、気になりだすと、症状は急速に悪化し始め、ついには思うように力が入らず、送球ができなくなった。
それまで当たり前のように繰り返していた動作が、突然できなくなった。その時は、どのような心境だったのだろうか。
「意味わかんなかったですよ。送球が一塁の手前どころか、マウンドのあたりでバウンドしてましたからね。今振り返ると……ちょっと、パニックだったかもしれないですね」
彼は打撃で一軍にいた選手ではない。内野も外野も守り、代走でも使える。その便利さがあったからこそ、一軍のベンチに居場所を作ってきた。しかし、送球難を抱えたことで、一軍にはいられなくなった。
私は当時の精神状態はどうだったのか、と聞いてみた。あの失策について周囲から責められたり、責任を感じたりしたのか。想像の上では、さぞ追い詰められていたのだろうと思ったが、彼はそうではなかったと言う。
「いや、そこまでじゃないですよ。自分より宇田野のほうがキツかったんじゃないですか。今でもテレビで流れるのはアイツの落球ですから。それに比べたら、自分は全然。いつも通り過ごしてましたよ。ソコさんも怒るような人じゃなかったし」
私は少し茶目っ気を出して聞いてみた。
「寿司を奢らされた?」
「いや、焼肉でした」
二人で一頻り笑ったあと、さらにその後について尋ねた。三塁が駄目なら外野がある。別の内野もある。そういう試行錯誤は、どうだったのだろうか。
聞いてみると、実際、いくつかのポジションで復帰を模索したという。だが、内外野のどこを守っても、最後にはボールを投げなければならないのは同じだ。
「サードだけじゃないんですよ。どこでも同じでした」
彼の売りは、内外野どこでもこなせるユーティリティ性と、途中出場であっても全力でプレーできる試合への準備にあった。ただ1つ、送球ができないだけでも、彼にとっては手足をもがれたようなものだった。
「引退の決断、きっかけはあったんですか」
「それはもう、ハッキリと」
あの試合から二年後、一軍に戻れないままシーズンを終えた年、球団との話し合いで進退の話になった。
「打てれば、まだ違ったかもしれないですけどね。俺から守備取ったら、何が残るんだって話です。戦力にならないって言われましたよ。もうちょっと、表現は柔らかかったと思いますけど」
ただ球団からは、育成契約の打診もあったという。首脳陣からすれば、イップスさえ治れば、戦力になれるという期待もあったのだろう。だがその年限りで、菱屋は現役を退くことを決断した。最後まで、送球イップスを克服することはできなかった。そのことには、やはり悔しい思いはあったというが、決断の背景にはもう一つ理由があったようだ。
「ちょうど、父が病気しまして。蕎麦屋を閉めるかどうか、って話になったんです。それなら、俺がやろう、って」
ここを訪れた時、年季の入った建物だと思ったが、なるほどそういう事情があったのか、と私は納得した。彼は引退後、父親を手伝いながら修行をして、店を継ぐ準備を始めた。何が一番大変だったのか聞いてみると、
「それはもう、
そんな苦労話を聞かせてくれた。そして今では、店を継いで二代目の店主となっている。なお取材中、彼の父親が顔を出して、挨拶してくれた。お元気そうでなによりであった。
取材終わり、私は蕎麦をいただくことにしたのだが、待っている間に店内を見回すと、壁に見慣れたサインを見つけた。底ノ尾の物である。それについて尋ねてみると、蕎麦屋を継いだことを聞きつけて、オフにふらっと訪れたのだという。何か話をしたのかと聞いてみると、
「特に何も。普通に蕎麦食べて、帰っていきましたよ。まあ、そのあとは毎年オフに寄ってくれましたね。あのサインはうちの息子がファンなのでしてもらいました」
彼は蕎麦の準備をしながら、そう言って笑った。私は食レポが得意でないので簡単に付け加えさせて頂くが、蕎麦はとても美味しかった。一口目から、噛むほどに蕎麦の香りが広がり、出汁つゆの風味が加わって、無心で箸を進めてしまう。ときおり薬味を足しながら、あっという間に平らげた私は、非常に満足していた。最近では、地域の方だけでなく、遠方から足を運ぶお客さんもいるらしい。
「ありがたいことに。ブルーウェーブズの菱屋がやってる蕎麦屋、ってことで来てくれる人も多いんです」
帰り際、彼は気持ちいい笑顔で私を送ってくれた。
さて、店を出たあと、私は以前、底ノ尾の母校・前田高校を取材したときのことを思い出していた。中村監督が、守備について話していたときのことである。
『一つのエラーで、その後の野球人生が変わってしまうことがある』
あのとき私は、高校野球の話として聞いていた。最後の夏なら、一つの失敗を取り返す機会すらないことがある。十代の選手たちを預かる監督だからこそ、そういうことを考えているのだろうと思っていた。
だが、プロの世界でも同じなのだ。テレビ画面の中で繰り返し流される『宇田野のアレ』の裏では、現役を退き、父親から継いだ店を営む菱屋の姿がある。