第十章 泥沼
東京・ロンドン 一九三七年(昭和十二年)七月〜一九三八年(昭和十三年)三月
七月七日の夜、報が届いた。
黒瀬誠一郎は外務省の机にいた。窓の外に夏の東京があった。蝉の声が遠くから来た。七月の夜の空気は重く、湿っていた。
北平郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突。死傷者あり。詳細不明。
六日前に地図で見た駅名が、報の中にあった。
始まった、と思った。始まるとは分かっていた。時間の問題だった。関東軍と駐屯軍は、何年もこういう瞬間を待っていた。待っていたというより、作ろうとしていた。それが今夜だった。
問題は、誰が止めるかだった。
翌日から、東亜局の廊下が変わった。石射は局長室に人を呼び続けた。
「不拡大でいく」と石射は言った。「現地解決。これ以外の線は引かない」
「通りますか」
石射は答えなかった。答えないことが、答えだった。
七月十一日、政府は不拡大の方針を声明した。
同じ日の閣議で、内地からの派兵が承認された。
同じ日の夕方、近衛は新聞社と通信社の代表を官邸に呼び、挙国一致への協力を求めた。呼ばれた各社は、呼ばれたことを誇りのように書いた。
不拡大と、派兵と、新聞。三つが同じ日付に並んでいた。黒瀬はその日付を、長く覚えることになった。
*
七月の末、参謀本部から文書が回ってきた。
作戦部長・石原莞爾の線だった。中国での消耗戦が長引けば、北への備えが崩れる。中国に構っている場合ではない——。
黒瀬は読んだ。同じ方向を向いている、と思った。しかし立っている場所が違う。石原はソ連を見ていた。黒瀬は太平洋を見ていた。同じ「止めろ」でも、止めた先の地図が違った。その違いが、いつか決定的になる。
八月、上海で戦闘が拡大した。不拡大は、二ヶ月持たなかった。
九月、連盟は理事会を開き、日中両軍に停戦を勧告した。それだけだった。英仏は欧州を見ていた。スペインが燃え、ドイツが動いていた。アジアに回す意志は、なかった。勧告は、紙になった。
十月に入って、防共協定の話が再び動き始めた。イタリアを加えた形で日本に参加を求める動きが陸軍内部から出てきた。
黒瀬と石射は動いた。海軍も動いた。十一月、日本は参加しなかった。
代わりに、消耗した。協定を止めるために使った力は、大陸の拡大を止めるためには使えなかった。秤の片方を押さえると、もう片方が上がった。
同じ月、石原が関東軍参謀副長に転出した。事実上の左遷だった。異なる地図で同じ方向を向いていた一人が、盤面から下ろされた。下ろした側の名前として、東條英機という四文字が、文書の背後に見え始めていた。
*
十二月、南京の報が来た。
盧溝橋とは違った。盧溝橋は、何が起きたか分からない不安だった。南京は、何が起きたかが少しずつ分かってくる種類のものだった。外国紙の記事が届き、外交官の報告が届いた。黒瀬は読んだ。読むたびに、机の向こうに見えない重さが積まれた。
報告は三つの言語で届いた。英語の記事と、ドイツ語の報告と、日本語の公電。三つが頭の中で、同じ場面を別々に喋り続けた。夜になっても、止まらなかった。
その夜、黒瀬は規則の内側で小瓶を使った。言葉の輪郭が、少し遠くなった。消えはしなかった。
ミリアムからの手紙が、三週間来ていなかった。ベルリンからの移民が増えている、という報は入っていた。樺太が動いている時、ミリアムは手紙を書かない。それは知っていた。しかし、三週間は長かった。
十二月十二日、揚子江で米砲艦パナイ号を日本機が沈めた。日本は謝罪し、賠償を申し出、ワシントンは受け入れた。受け入れたことと、忘れることは違った。
外務省はワシントンへの根回しを何年もかけて積み上げてきた。
それが揚子江の川底に沈んだ。
*
十二月十四日の夜、東京は提灯で明るかった。
南京陥落の祝賀だった。旗行列が通りを進み、万歳の声が波のように渡った。号外の鈴が鳴り、子供が提灯を持って走った。
黒瀬は帰り道で、行列の脇に立った。
同じ道の反対の脇に、立花がいた。
三度目だった。一九三〇年の日比谷、一九三二年の外務省前。会うたびに、二人の間には群衆がいた。
立花は行列を見ていた。手帳は、出していなかった。
「僕はまだ、売れる方に賛成です」と立花は言った。
「知っています」と黒瀬は言った。
それだけだった。立花は群衆の方へ戻っていった。書くために見るのか、見るために書くのか、後ろ姿からは分からなかった。
夜、石射が部屋に来た。廊下から人がいなくなってから来て、椅子に座らず、窓の外の提灯の残りを見た。
「我々は、何を守っているのか」
問いではなかった。声に出しただけだった。
「条約を」と黒瀬は言った。「制度を。そうでなければ、何も残りません」
「それは、正しいか」
「分かりません。しかし、それ以外に続ける道がない」
石射は頷いた。それから振り返った。
「ドイツ大使の仲介が、まだ生きています。条件は膨らんだが、卓はまだある。案を作りましょう。対手として交渉する案です」
二人は年末年始を、その紙に使った。書きすぎず、書き足りなくもせず、南京が呑める形と日本の面子が立つ形を重ねる、余白の作業だった。
*
一月十四日の夜、首相秘書官から電話が来た。荻窪の私邸へ、非公式に、一人で——という趣旨だった。
荻外荘の応接間は、麹町の読書会の部屋より狭かった。火鉢が一つ。庭に、うっすらと雪があった。
近衛は和服だった。四年半ぶりに間近で見る顔は、写真より疲れて、写真より柔らかかった。
「石射君の案を、あなたの言葉で聞きたい」と近衛は言った。
黒瀬は話した。仲介の線はまだ生きていること。条件は重くなったが、卓は残っていること。参謀本部の次長が、継続を強く望んでいること。
「政府が打ち切れば、参謀本部より好戦的な政府になります」と黒瀬は言った。「戦っている軍の参謀本部が和平を望み、政府がそれを断る。歴史に、そういう頁を残すことになります」
近衛は聞いていた。読書会の末席と同じ聞き方だった。遮らず、頷きは最後まで取っておく聞き方だった。
聞き終えて、間を置いて、頷いた。
「よく、分かりました」
何が決まったのかは、言わなかった。
玄関で、近衛は自分で戸を開けた。雪はやんでいた。
「行き止まり、という言葉は」と近衛は言った。「まだ、使えますね」
借りていきますよ、とも、返しますよ、とも言わなかった。
帰りの車で、黒瀬は膝の鞄を見ていた。鞄の中の案が、軽くなった気がした。聞いてもらえた、という軽さだった。
軽さの正体を知るのは、二日後だった。
*
一月十六日、政府声明が出た。
——爾後、国民政府ヲ対手トセズ。
交渉の卓が、政府の手で畳まれた。参謀本部は最後まで反対した、と省内の電話が伝えた。石射と黒瀬の紙は、二度目も消えた。
午後の会見で、近衛は言った。大陸の行き止まりの、その先に、東亜の新しい秩序を建設する——。
黒瀬は速記を読んだ。自分の語法だった。構文の背骨が、そのままだった。四年前、大陸から引き返すために作った言葉の背骨に、逆向きの意思が載せられていた。裏切られた、と思った。
荻外荘に呼ばれたのは、聞くためではなかった。聞いた、という事実を作るためだった。外務省の若い者の意見も聞いた上のことだ——近衛の周辺がそう漏らしたのを、黒瀬は数日後の新聞で読んだ。
頷く男は、決めない男だった。決めないまま、借りたものを、返さない男だった。
石射は、一日黙っていた。
二日目に、黒瀬の机の前に立った。
「馬鹿な声明だ」と、誰もいない方へ言った。それから黒瀬を見た。
「あの声明の文体は、君に似ている」
「書いていません」
「知っています」と石射は言った。「しかし、似ている。似ていることは、君にはどうにもできない。それが、一番厄介なのです」
書いていないことを証明する方法は、なかった。書いた者だけが、書いていない者を証明できる。その書いた者は、頷く人の後ろで、名前を持っていなかった。
*
一月末、田中から呼び出しが来た。六年ぶりだった。
陸軍省の部屋は、麻布の連隊の部屋より狭く、暖かかった。壁の支那全図は新しい版に替わり、線が長江まで伸びていた。
卓の上に、見覚えのある綴りがあった。
田中は綴じ紐を解かなかった。代わりに、間から一枚の紙を、半分だけ引き出した。
昭和五年十一月、上海——三枚目だった。
「妙な噂を聞く」と田中は言った。「あの声明の文案は、外務省の若い者が書いた、と」
「書いていません」
「知っている」と田中は言った。あっさりと言った。「文体の鑑定で人を撃てるなら、憲兵は要らん。だが噂は事実より速い。貴官はいま、撃ちやすい位置にいる」
「撃たないのですか」
「貴官を潰すのは、手間の割に実りがない」と田中は言った。「私が潰したいのは、貴官ではない。第四点だ」
田中は地図を見た。
「京城で、新聞が四点目を論説に組んで、刷る前に停められた。知っているな。ああいう紙が海峡を渡る前に潰す。それが私の仕事だ。半島に『自治』の二字が届けば、帝国は内側から裂ける」
「第四点は、樺太の条約の中の言葉です。条約の外に出たことは、ありません」
「言葉は、条約を読まん」と田中は言った。「歩いて、海を渡る」
田中は紙を、綴りに半分戻した。全部は、戻さなかった。
「この紙は、いつでも残りの半分が出る。覚えておけ」
廊下で、黒瀬は思った。あの男は変わっていない。測って、値踏みして、撃つ価値を計算する。変わったのは的の順番で、自分はいま、一番前にいない。一番前にいるのは、京城の校正刷りだった。
*
二月、ロンドン出張が決まった。石射の指名だった。南京とパナイ号の後の英米に、外務省の顔を見せに行く仕事だった。噂の的を、しばらく東京から離す人事でもあった。それは二人とも、口にしなかった。
出発の前日、黒瀬は幣原邸を訪ねた。
幣原喜重郎は老いていた。しかし目は、変わっていなかった。
「南京の件か」と幣原は言った。「はい」幣原はしばらく黙っていた。
「行ってきなさい。謝りに行くのではない。日本が何者かを示しに行くのだ」黒瀬は頷いた。
「外交官の声は、国の声だ」と幣原は言った。それだけだった。
*
ロンドンは寒かった。霧の中に街灯が滲んでいた。石炭の煙の匂いがした。昼も空が低く、光が薄かった。
大使館で、吉田茂が待っていた。二・二六で襲われた牧野伸顕の娘婿で、声の太い男だった。
「難しい時に来たな」
「難しい時でなければ、来ない場所です」
「ロンドンは今、日本を見ていない。見たくないから見ていない。それが一番危うい」と吉田は言った。「行かない理由を作るな——幣原さんなら、そう言う。私も同じだ」
英国外務省の廊下を歩いた。天井が高かった。足音が響いた。
会議室で、英国外務省の高官と向かい合った。名前を記録しない種類の会談だった。黒瀬は用意した言葉を使った。
「南京における陸軍の行動は、日本外務省の方針ではありません。日本政府の公式な立場でもない」
相手は聞いていた。表情を動かさずに聞いていた
「では」と相手は言った。「誰が日本政府の立場を代表しているのか」
「外務省が代表します。それが文民統治の意味です」
「外務省は、陸軍を止められたか」
黒瀬は一拍置いた。
「止められなかった。しかし、外務省が代表しているという事実は変わらない」
相手の顔を、何かが通り過ぎた。同情ではなかった。値踏みだった。
「引き続き話し合いましょう」と相手は言った。会議室を出た。
廊下で、別の男が近づいてきた。樺太への移住支援団体の紹介状を持っていた。男は静かな英語で言った。
「日本が中国でしていることを、私たちは見ています。樺太を作った国が、南京では、なぜあんなことを。——どちらが、本当の日本ですか」
黒瀬はしばらく立っていた。
「両方が、本当の日本です」と言った。「だから、私がここにいる」
男は黒瀬を見た。長く見た。
「それで十分だと、思うか」
黒瀬は答えなかった。
ホテルの部屋で、便箋を出した。——ロンドンより——
今日の男の言葉を書いた。自分の答えを書いた。その答えが正しいかどうか、今も分からない、と書いた。あなたがいれば、と書きかけて、止めた。
便箋を折り、封筒に入れ、鞄に入れた。四枚目だった。
窓の外に、ロンドンの夜があった。霧の中に街灯が滲んでいた。
どこかで鐘の音がした。それだけが聞こえた。
*
三月、帰京すると、机に局人事の内示の紙が置かれていた。
予定されていた課長への昇進は見送られた。田中が紙を半分使ったのだろう。
東亜局の壁の支那全図で、石射の丸が、また一つ増えていた。丸は、囲むためではなく、そこにまだ人が住んでいるという印のために、増え続けていた。
火・木・土曜 朝6時更新。(全20話/11月12日完結予定)
n o + e 記事 【史実と小説の間】架空歴史小説「太平洋の夢」制作ノート
https://note.com/hal_miz/m/me316d0840b0b