第十四章 机上の戦争
東京 一九四一年(昭和十六年)八月
八月の初め、黒瀬は上野駅にいた。
ホームは人で溢れていた。出征する兵士と、見送りの家族。日の丸の小旗と、千人針と、万歳の声。汽車が着くたび、同じ光景が湯気の中で繰り返された。
北からの汽車が入り、ミリアムが降りてきた。書類鞄一つだった。人混みの中で黒瀬を見つけるまでに、少しかかった。見つけて、歩幅が変わった。
改札の前で、ミリアムは一度立ち止まった。出征兵士を囲む一家が、旗を持ったまま、写真屋の前に並んでいた。
「あのね」とミリアムは言った。「汽車を降りて、迎えの顔を探すでしょう。探す顔がある、っていうのは——家族がいる、っていうことと、似てるわね」
似てる、とだけ言った。同じ、とは言わなかった。
「今回は、何日ですか」と黒瀬は聞いた。
「全島の実務で二週間。それが済んだら」ミリアムは改札を抜けた。「あなたの交渉の話を、聞かせてもらうわ。相手国として」
八月の東京は、蒸していた。
二人は、人混みの中を並んで歩いた。歩幅は、合っていた。
*
八月の半ば、黒瀬は麻布のイスラエル公使館に呼ばれた。
元は貿易商の屋敷だった小さな建物に、菊とダビデの星の二つの紋が並んでいた。七年前、蕎麦屋で「明日からは、机の向こう側の外国人」と言った人が、机の向こう側に座っていた。
全島移転の実務だった。用件が済むと、ミリアムは書類を閉じた。
「ニューヨークが、怒ってるわ」と言った。
「凍結ですか」
「凍結よ。豊原の病院の増設資金が、ニューヨークの銀行で止まった。学校の運営費も。財団の金は、日本経由で動いていたから、まとめて凍った」
ミリアムは煙草に火をつけた。公務の席では吸わない人だった。書類が閉じてから吸うのが、この人の線の引き方だった。
「財団は国務省に抗議した。ラビの連合も動いてる。曰く——樺太への航路を閉じるな。あそこには、われわれが送り出した十二万人がいる」
黒瀬は顔を上げた。
「アメリカの中に、日本と戦いたくない人たちがいる」とミリアムは言った。「初めてよ。あなたの国とアメリカの間に、戦争で失うものを持つアメリカ人が、まとまった数でいる。八年前には、いなかった」
「構造が、できた」と黒瀬は言った。
「できたわ」とミリアムは言った。「使いなさい。ワシントンで」
帰り道、黒瀬は歩きながら考えた。四点提案は世界の目を満洲から少しだけ逸らしただけだった。しかし八年の間に、紙は人になり、人は港になり、港は航路になった。航路の向こう端は、アメリカに繋がっていた。
切れば血の出る線が、太平洋を渡っていた。
*
総力戦研究所は、前の年の秋に、勅令で生まれていた。
総理大臣直轄。各省と陸海軍と民間から人を集め、国家総力戦の演習をする役所である。第一期の研究生は三十五人。文官二十二、武官五、民間八。平均年齢は三十三だった。
局長でも課長でもない。十年後に国を回すはずの年齢の男たちだった。
七月、二代目の所長・飯村穣中将が、演習計画を示した。
模擬内閣を組め。日本によく似た「青国」の内閣である。青国が英米と開戦した場合、何が起きるか。数字だけで戦え——。
内閣総理大臣の役には、産業組合中央金庫の調査課長が就いた。三十代の総理だった。大臣も書記官長も、みな三十代。彼らは本物の統計を持ち寄った。船腹量、撃沈率、石油の産出と消費、鉄、米、外貨、人。役所が数字を出し渋ると、古巣の同期から夜の酒で引き出した。
数字だけで戦う戦争だった。参謀本部の精神論は、この机には載らない。数字は、怒鳴っても増えない。
八月の初め、青国内閣は机の上で開戦した。
緒戦、青国は勝った。南方の資源地帯を取った。二年目、船の沈む速度が、造る速度を越えた。三年目、油が尽きた。終盤、ソ連が参戦した。
青国、必敗。
開戦の時期まで、机は答えていた。十二月中旬——。
八月の終わりの夜、堀悌吉が黒瀬の官舎に来た。
海軍の中将になっていた。条約派が少しづつ粛清されていく中で、堀は現役のまま、研究所の海軍側の助言役をしていた。風呂敷包みを一つ、卓に置いた。
「読みなさい」とだけ言った。
報告書の写しだった。青国の二年目の頁に、付箋が貼ってあった。二本の曲線が、そこで交差していた。造る船の線と、沈む船の線だった。
結論は、一行だった。
——青国、必敗ス。
「机上の戦争は、日本の負けです」と堀は言った。「若い連中の机は、正直だ」
黒瀬は頁を繰る手を止めなかった。数字は、ジュネーブの受信紙と同じ顔をしていた。感情がなく、正確で、逃げ道がなかった。
「これを、官邸で報告します」と堀は言った。「近衛首相の前で。陸相も聞く」
「陸相は、何と言うでしょう」
「聞いてから、伝えます」
堀は茶を一口飲んだ。
「黒瀬さん。私はかつて、条約は私を破るだろう、と言いました」
「覚えています」
「まだ、破られていません」と堀は言った。「この数字を届けたのは、破られる前に、あなたの設計図に間に合わせるためです」
*
報告は八月二十七日と二十八日、首相官邸で行われた。第一回総力戦机上演習総合研究会——長い名前の会だった。近衛首相が聞き、閣僚が聞いた。
黒瀬はその場にいなかった。石射と堀から、別々に聞いた。二人の話は、細部まで一致した。
三十代の総理が、青国の二年を読み上げた。船腹量の曲線。石油の残量の曲線。二つの曲線が交わる月まで、示した。青国必敗。ソ連参戦。開戦するなら十二月中旬——机は、日付まで答えていた。誰も反論しなかった。数字に、反論はできなかった。
沈黙の後で、東條陸相が立った。
「これはあくまでも、机上の演習でありまして——」
実際の戦争というものは、君たちが考えているようなものではない。日露戦争で、わが大日本帝国は勝てるとは思わなかった。しかし、勝った。戦というものは計画通りにはいかず、意外裡のことが勝利につながっていく。なお、この演習の経過は、軽はずみに口外してはならぬ——。
労作、と言った。違う、と言った。口外するな、と言った。三つの言葉で、数字は棚に上げられた。
三十五人は、解散して各省に戻った。
青国は、机の上で滅びた。机の外の日本がどうなるかは、まだ書かれていない。答案の正誤は、試験が行われた時にしか分からない。
試験を、行わせないこと。
それが、黒瀬の仕事だった。
黒瀬は聞き終えて、しばらく黙っていた。
日露戦争。
あの戦争は、勝てると計算した男たちが、勝てる形を先に作った戦争だった。高橋是清がロンドンで金を借り、外務省が英国と同盟を結び、講和の仲介者まで開戦前に目星をつけていた。計算し尽くした者だけが、最後に運を拾った。それでも八万人以上の日本兵が死んだ。
計算を捨てた者に、あの勝利を引用する資格はない。
しかし引用は、資格を問わずに独り歩きする。近衛の演説の時と、同じだった。言葉は、条約を読まない。歩いて、海を渡る。田中の言った通りだった。今度は、言葉が机の上の数字を跨いで歩き出そうとしていた。
*
九月の初め、黒瀬は報告書の写しを、鞄の底に入れた。
ワシントン行きは、まだ決まっていなかった。決まっていない鞄に、入れた。
軍が進む先に、別の事実を先に置く。
置くべき事実は、もう揃い始めていた。必敗の数字。ニューヨークの航路。堀の風呂敷。八年かけて作った構造の全部を、一つの卓に載せる仕事が、海の向こうで待っている。
窓の外で、蝉の声が、少しずつ秋の虫に替わっていった。
火・木・土曜 朝6時更新。(全20話/11月12日完結予定)
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