第九章 佐藤外相の百日
東京 一九三七年(昭和十二年)一月〜七月
一月の議会で、老代議士が陸軍大臣に言った。
軍部が政治に口を出すのは越権である——趣旨はそれだけのことだった。陸軍大臣は、軍を侮辱したと言って怒った。老代議士は言った。速記録を調べ、私の言葉に軍を侮辱するものがあったら、私は割腹して諸君に謝する。なかったら、君が割腹せよ。
議場は沸き、内閣は倒れた。
新聞はこれを「腹切り問答」と名づけて売った。売りながら、どちらの腹が本当に切られる話なのかは、書かなかった。
次の組閣の大命は、陸軍の元大将に下りた。穏健で、議会に近い人だった。だから陸軍は、大臣を出さなかった。現役の大将中将でなければ大臣になれない。現役の人事は、陸軍が握っている。よって、陸軍が組閣を認めなければ、内閣は生まれない。
去年の春に舗装し直された地盤の意味が、二月に分かった。大命が、一つの省の一存で流れた。
憲法のどこにも書いていない拒否権が、東京に一つ、増えていた。
*
三月、林内閣が生まれ、外務大臣の椅子にパリから人が呼ばれた。
佐藤尚武だった。
受けたのは三度断った後だった、と省内では言われた。条件を出したとも言われた。外交は外務省がやる。軍は軍務をやる。それが通るなら、と。
同じ月、黒瀬に辞令が出た。東亜局第一課勤務。
東亜局長の椅子には、石射猪太郎が座っていた。
「条約局の判は置いてきなさい」と石射は言った。「ここで要るのは、判ではなく足です。華北で起きていることに、紙が追いついていない。追いつかせます」
石射の机の後ろに、支那全図が貼ってあった。田中の部屋で見た地図と、同じ版だった。書き込みだけが、違った。田中の地図には線が引いてあった。石射の地図には、都市を囲む丸が並んでいた。
線は進むためのもので、丸は、そこに人が住んでいるという印だった。
*
佐藤は議会で演説した。
支那を対等の隣邦として遇する。排他的な態度を改め、経済の提携から積み直す。北支の問題は、武力ではなく、外交の卓で解決する——。
外国の新聞は、東京に理性が戻ったと書いた。
国内の一部の紙面は、別の見出しを組んだ。
軟弱外交、極まれり。
四年前の春、桟橋の号外にあったのと、同じ八文字だった。同じ整理部の、同じ活字の箱から出てきたのだろう、と黒瀬は思った。四年経って、活字は一字も摩耗していなかった。
黒瀬はその紙面を切り抜かなかった。切り抜く価値で言えば、外国紙の方だった。しかし覚えてはおいた。この八文字は、掛け声一つで、いつでも一面に戻ってくる。
春、樺太から葉書が一枚届いた。日本語で、三文字だった。
——着いた。
裏には、何もなかった。黒瀬はそれを、机の抽斗の、出さなかった返事三枚の上に置いた。
*
東亜局の夜は、条約局の夜と匂いが違った。
条約局の紙は、これから起きることを書く。東亜局の紙には、もう起きてしまったことが書いてある。冀東の密輸の数字。支那駐屯軍の増強。現地協定という名の、既成事実の束。
「軍が進む先に、別の事実を先に置く」と黒瀬は石射に言った。「華北に、軍より先に、協定を置きます」
二人で案を作った。土肥原・秦徳純協定と梅津・何応欽協定の白紙化。冀東防共自治政府の解消。関税と鉄道の共同案。南京が呑める形に、日本の面子が立つ形を重ねる作業だった。書きすぎれば南京が疑い、書き足りなければ陸軍が埋める。余白の幅を、一晩ごとに測り直した。
四月、南京の大使館に訓令が飛んだ。交渉の窓を、公式に開き直す訓令だった。
五月の半ば、南京から内報が来た。
——先方、真意を測りかねつつも、卓に着く用意あり。
石射は電文を二度読み、黒瀬に返した。
「窓が開きましたね」
「百日かかりました」と黒瀬は言った。
「窓は、百日で開く」と石射は言った。「閉まる時は、一日です」
*
その一日は、外からではなく、内から来た。
四月、林内閣は理由の立たない解散を打っていた。政策も争点もない解散を、新聞は「食い逃げ解散」と呼んだ。選挙で政府は惨敗し、五月の末、内閣は投げ出された。
組閣より解散の方が簡単で、解散より総辞職の方が簡単な国になっていた。石射と黒瀬の百日の紙も、日の目を見ることはなかった。
同じ春の紙面の隅に、文化勲章の最初の受章者が並んでいた。物理学者と、小説家と、画家。国が文化に勲章を出す横で、議会は腹の切り合いをしていた。どちらも同じ新聞の、同じ日の紙面だった。
六月四日、近衛文麿に大命が下りた。
四十五歳の宰相の写真が、全部の新聞の一面に載った。若い。名門。清新。どの紙も、同じ三語で組んだ。倒れ続けた内閣の後で、紙面は久しぶりに、探していた英雄を見つけた顔をしていた。
外務大臣は、広田弘毅に戻った。
佐藤の在任は、九十四日だった。
*
退任の日、黒瀬は外相室に書類を返しに行った。
佐藤は机の上を片づけていた。私物は鞄一つに収まっていて、鞄はもう閉じてあった。
「ジュネーブで、釘の話をしたな」と佐藤は言った。
「剥がれない釘を打て、と」
「釘は打った」と佐藤は言った。怒りのない声だった。「板の方が、替わった」
黒瀬は何も言えなかった。
「南京の窓は、まだ半分開いている」と佐藤は続けた。「窓は大臣が開けるものではない。局が開けておくものだ。石射君と、開けておきなさい」
「承知しました」
「近衛公は」と佐藤は言いかけ、鞄を持ち上げた。「——いや。会って、自分で見なさい」
廊下の突き当たりで、佐藤は一度だけ振り返り、頭を下げた。外相室にではなく、廊下に向かって下げたように見えた。
黒瀬は、麹町の読書会の玄関を思い出していた。行き止まり、というのは、良い表現ですね——借りていきますよ、とも、返しますよ、とも言わなかった人が、いま一面の写真の中で、まっすぐ前を見ていた。
七月一日、東亜局の机で、黒瀬は華北の地図を広げた。
北平の南西に、小さな駅名があった。
盧溝橋、と書いてあった。
火・木・土曜 朝6時更新。(全20話/11月12日完結予定)
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