『公安警察外局特定脅威処理記録:コード「削除済み」』 作:平素練磨
雄英高校の地下深く、蛍光灯が低くハミングを上げる資料保管庫。華やかな日常から完全に切り離されたその空間で、薄暗い端末の光の中に浮かび上がっていたのは、ただ一つ――制服の胸元で鈍く光る三年生の記章だけだった。
データ検索端末の前で佇む生徒の後ろ姿。余計な情報は一切削ぎ落とされ、ただ無機質な画面の反射光だけがその影を静かに照らしている。
画面に表示されているのは、幾度検索を繰り返しても変わることのない「該当データなし」の無表示。
「……何をしている」
背後から低く落ちてきた声。足音すらなく現れた相澤消太の眼光が、生徒の背中に向けられていた。
生徒は背筋を僅かに硬直させ、静かに振り返る。閲覧許可(クリアランス)はすでに降りているはずの特定ファイル。だが、システムの通常インデックスには存在せず、現物にアクセスできない旨を淡々と告げた。
相澤は感情の読めない目のまま、生徒の横を抜け、端末の検索履歴へと視線を落とす。
そこに残されていた検索文字列――コード『削除済み』。
その文字列を目にした瞬間、相澤の目がわずかに細められた。
過去の記憶か、あるいはその「記録」が孕む凄惨な現実を知る者としての、重々しい無言の間。
やがて相澤は小さく息を吐くと、ポケットから実体の金属鍵を取り出した。
「……ついてこい」
デジタル端末の棚を無視し、相澤は保管庫の最奥――厳重な施錠が施された旧式の耐火キャビネットの前で足を止める。
物理鍵を差し込み、重い金属音とともに扉を開けると、最下段から引き出されたのはラベルの文字すら掠れかかった、薄く冷たい一冊のバインダーだった。
相澤はそれを引き抜き、生徒へ無造作に、しかし確かな重みをもって差し出す。
「これだ」
受け取ったバインダーの冷ややかな手触り。相澤はファイルを見つめる生徒を見下ろし、釘を刺すように低い声で言葉を重ねた。
「言っておくが、お前たちが夢見るような華々しい英雄譚も、胸がすくような勝利の記録もここには書いてない」
静寂のなか、相澤の声だけが地下の壁に冷たく響く。
「そこにあるのは、ただの泥浚いだ。誰にも知られずに処理された凄惨なログ……それだけだ。読むなら覚悟して読め」
そう言い捨てると、相澤は廊下の先にある薄暗い閲覧室を顎で指し示した。
生徒は静かに一礼すると、冷たいバインダーを抱え、閲覧室の重い扉の向こうへと足を踏み入れた。
薄暗い閲覧室に入った学生は、静寂の中で一人、端末の光だけが照らす机にバインダーを置いた。
10年前の、あの日のことを、忘れたことは一度もない。
大規模脱獄事件の混乱がまだ社会を覆い、恐怖が支配していた時期。
家族と共にシェルターへ避難していたとき、脱獄した凶悪ヴィランの集団に襲われた。
多くのヒーローが引退し、誰も助けてくれない、そう誰もが絶望した瞬間だった。
その時、たった一人で現れ、ヴィラン達を圧倒的な力で倒し、何も言わずに去っていったヒーロー。
誰に聞いても、ヒーロー協会にも問い合わせても、その正体はわからずじまい。
覚えているのは、そのヒーローが首に巻いていた、たなびく赤いマフラーだけ。
手がかりを求めて奔走した10年間。
唯一分かったのは、大・爆・殺・神 ダイナマイトのヒーローコスチュームの右腕――巨大な爆破の籠手(ガントレット)の上、たくましい二の腕の肉体に、無骨に括り付けられた一条の赤い布だった。必死に頼み込み、理由を告げた、そうしたら「雄英にいきゃわかる」とだけ教えてくれたこと。
だから、雄英に入学し、仮免許を取り、ようやく閲覧許可をもらうことができた。
「自分を救ってくれたヒーローが、どんな人だったのか、ようやくわかる」
机の上に置かれた、ラベルが掠れかかった無機質なバインダー。
その中に納められた書類と、無造作に入っていたメモリスティック。
学生はメモリスティックを手に取り、端末のポートへ差し込んだ。
画面に、「再生」の文字が浮かび上がる。
静寂の中で、クリック音が響く。