『公安警察外局特定脅威処理記録:コード「削除済み」』 作:平素練磨
薄暗いバーの店内。
紫煙のような黒霧の体組織から吐き出されるように、死柄木弔がカウンターの床へ崩れ落ちた。
「……くそ……ゲームオーバーだ……!!」
死柄木は両手の爪を激しく首筋へ立て立て、皮膚が裂けるのも構わず掻きむしる。
「雑魚どもはガキども相手に全滅、USJの扉は破られ、オールマイトは無傷……!! それにあの黒いプロだ! 脳無の関節を外して、目を潰して、体力を削りやがった……! なんだよあいつは……ヒーローの規格外(イレギュラー)だろ……ッ!」
カウンターに置かれた小さな通信モニターのスピーカーから、ノイズ混じりの低く穏やかな声が響いた。
『落ち着きなさい、弔』
オール・フォー・ワンの声だった。
『失敗は成功の糧だ。今回の件で、君は雄英の防衛体制、そして『平和の象徴』の健在ぶりを肌で知ることができた。……それに、イレギュラーという予期せぬ障害の存在もね』
「でも……! 最高傑作の脳無を取られたんだぞ!? オールマイトを殺すための脳無を……!!」
『脳無はまた作ればいい。大切なのは君自身の成長だ』
通信の奥で、静かな笑みの気配が漂う。
『弔。まずは次は君自身の手足となる、洗練された『精鋭』を集めなさい。数に頼る暴徒ではなく、明確な思想や卓越した技術を持つ者たちをね。そのための準備は、私とドクターが進めておくよ』
死柄木は荒い呼吸を整え、ゆっくりと血の滲む手を首から離した。
「……わかったよ、先生」
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続いて、黒霧がゆっくりと進み出で、通信機に向かって頭を下げた。
「……ドクター。私からも脳無の戦闘データの詳細をご報告いたします」
『むう……聴かせてもらおうか』
通信機から、しわがれた老人――ドクターの声が割り込む。
「脳無は『衝撃吸収』と『超再生』を十全に機能させておりました。しかし、相手のプロヒーローは脳無の肉体構造……殊に関節部と感覚器官へ正確な破壊を重ね、同時に『個性の反応を一時的に沈黙させる波動』らしいものを接触面から流し込んでいた模様です」
『なに……? 個性の反応を沈黙させるだと……?』
ドクターの声に、急激な興味と警戒の色が混じる。
『生体組織の物理的破壊と同時に、個性情報の伝達系を直接抑制しているということか……? ほう、実に興味深い個性のサンプルだ。観察とデータ収集の価値は極めて高い……』
ドクターは興奮を露わにしたが、すぐに思い出したように忌々しげな溜息を漏らした。
『……だが、それにしても惜しい! 惜しすぎる!! あれは我が技術の結晶、オールマイト殺害用に調整した最高峰の特製脳無だったのだぞ! 異形化個性の定着と薬物投与のバランス、あの莫大なコストを思うと胃が痛むわ……!』
『諦めなさい、ドクター。失った実験体は戻らないよ』
オール・フォー・ワンがドクターの嘆きを短く制した。
その時――。
通信画面の端で新たな回線が接続され、ノイズとともに第三の音声が割り込んできた。合成音声によって極端に加工された、淡々としながらもどこか抜け目ない男の声。
『――お困りのようですな、先生方』
死柄木が不機嫌そうに通信機へ視線を向ける。
「……誰だ、あんた」
『新しい『協力者』であり、最大級のスポンサーだよ、弔』
オール・フォー・ワンの言葉に応じるように、第三者の声――スポンサーが静かに言葉を続けた。
『表の社会で自由に動けぬ先生方に代わり、非合法な金銭の調達、資材や機材の手配、並びに必要な『設備』の融通を引き受けている者です。……死柄木様、初めまして』
『ふむ……スポンサー殿。今の会話を聞いていたかね?』
ドクターが尋ねると、スポンサーは軽い笑いを含んだトーンで返答した。
『ええ。特製脳無の損失、誠に悔やまれます。ですが、計画の初期投資としては必要経費の範囲内でしょう。あのような最高スペックの生体兵器を組み上げるには、研究費も設備投資も桁が変わってきますからね』
スポンサーの通信の向こうで、書類をめくるような微かな音が響く。
『つきましては、次なる段階――死柄木様が『精鋭』を集め、新たな行動を起こすための資金として、追加の出資枠を確保いたしました。裏ルートでの特殊備品調達、および潜伏拠点の維持費として自由にお使いください』
「……追加の金?」
死柄木が目を細める。
『条件はありません。強いて言えば……ヒーロー社会の歪みをより大きく暴いていただきたい、それだけです。金銭や物資の心配は不要です。必要なものがあれば、黒霧経由でいつでも請求を』
『感謝するよ、スポンサー殿。君のような理解者がついていてくれることは、我々にとっても実に心強い』
オール・フォー・ワンの穏やかな声が響き、スポンサーは「では、よい成果を」と言い残して回線を切断した。
静まり返るアジト。
死柄木はカウンターのグラスを睨みつけ、低く呟いた。
「……精鋭、か」
歪んだ思考の奥で、次なる惨劇の構想が静かに動き始めていた。