『公安警察外局特定脅威処理記録:コード「削除済み」』 作:平素練磨
USJの惨劇から数日。
世間が「雄英の危機」と警察・プロヒーローの不甲斐なさを喧噪の中で書き立てる中、厳重な警備体制が敷かれた雄英高校の正門を、生徒たちがくぐっていた。
1年A組の教室には、重苦しさと事件を生き延びた妙な熱気が同居していた。
「みんなー! ニュース見たか!?」
「雄英が襲撃されたって、街じゅう大騒ぎじゃねえか……」
USJでの死線を超えた生徒たちは、恐怖の余韻を抱えつつも、互いの無事を確かめ合うように言葉を交わしている。
緑谷出久はノートを広げ、USJで目撃した「あの異物」――ヴィランの個性を沈黙させ、圧倒的な質量を誇る脳無すら物理的に解体したイレギュラーの立ち回りを、戦慄と共に書き留めていた。
『現象を消すだけじゃない……あの人の動きには、無駄が一切ない。最初から相手の骨格や重心しか見ていないんだ……』
そんな喧騒の中、焦凍は静かに自室の席に着いていた。
彼の視線は、教壇の横――いつも壁に背を預け、言葉もなく佇んでいる男――イレギュラーの位置に向けられている。
ガラリ、と音を立ててドアが開いた。
現れたのは、全身に痛々しい包帯を巻きつけた相澤消太。
そしてその一歩後ろから、静かな歩調で入ってきたイレギュラーだった。
外骨格を静かに鳴らし、一切の感情を排した無機質な眼孔で教室全体を一度だけ一瞥すると、イレギュラーはいつも通り教壇の隅へと身を引く。
「……HRを始める。言いたいことは山ほどあるだろうが、まずは無事で何よりだ」
相澤の痛々しい声が響く中、焦凍は教壇の隅に立つイレギュラーの姿をじっと見つめていた。
(……個性を封じられ、現象を消された時、何が残るか。まずは校内での正規の訓練申請を通す)
相澤から雄英体育祭の開催が告げられ、教室内に驚きと緊張が走る。
その喧騒の中で、焦凍は静かに席を立ち、教壇の隅に佇むイレギュラーと相澤の元へ歩み寄った。
「相澤先生。それと、イレギュラー先生」
焦凍はブレない視線で二人を見据え、短く切り出した。
「特別訓練の申請をしたい。朝と放課後、このイレギュラー先生の下での指導許可を頼む」
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轟焦凍が突き出した申請用紙。教壇の横で壁に身を預けていたイレギュラーは、KISARAGIフレームの金属音をわずかに軋ませただけだった。視線すら落とさず、ただ無言でその紙片を無骨な指先で受け取る。
すでに朝夕の鍛錬を重ねてきた焦凍だが、USJで脳無を6分間停滞させたあの冷徹なまでの『理』を目の当たりにし、単なる身体運用を超えた、さらに踏み込んだ実戦指導を求めての手続きだった。
「……体育祭前だってのに、精が出るな」
包帯の隙間から覗く相澤消太の眼光が、焦凍の固い覚悟を検分するように細められる。相澤の脳裏をよぎるのは、USJで大型異形種(脳無)を相手に6分間もの停滞と無力化をやってのけたこの男の摩耗度合いだった。外骨格のトルクに頼り、己の寿命と肉体を削りながら戦う立ち回りを、同系統の個性持ちとして看過できない懸念が常に付きまとっている。
「……教務課には通しておく」
相澤は短く告げると、踵を返して教室のドアへと向かった。イレギュラーもまた、申請用紙をポケットに収めると、言葉一つ残さず相澤の背中を静かな歩調で追う。
ドアが閉まり、二人の気配が完全に消えた瞬間、教室の重苦しい緊張が破れた。
「……轟君、君も『あの先』を要求したのか」
腕を組み、静かに口を開いたのは飯田天哉だった。
すでに朝夕の鍛錬に参加し、個性の出力だけに頼らない「軸の作り方」を体に叩き込まれてきた飯田や八百万百は、焦凍が提出した申請の意味を正しく理解していた。
「USJでのあの立ち回り……『虚』で現象を沈黙させ、圧倒的な質量を誇る脳無すら武の柔法で押し殺してみせたあの動きは、私たちが受けている指導の『その先』にある完成形でしたわ」
八百万が真剣な面持ちで手帳を握り締める。
同じく鍛錬を重ねてきた切島鋭児郎も、己の拳を固く握り締めた。
「ああ……! 俺も毎朝しごかれてるが、USJで自分の無力さを知った。体育祭がどうこうじゃねえ、あの理不尽なまでの『理』に少しでも近づかなきゃ、俺は現場で誰一人守れねえ!」
「……うん」
緑谷出久は、汗ばむ手でノートを握り締めながら静かに胸を詰まらせていた。
10歳の頃に『泣く暇があるなら体を鍛えろ』と投げ渡されたマフラーの感触。そして、朝夕の鍛錬で肌で感じてきた絶対的な身体操作。
(個性を沈黙させられた時、何が残るか……。あの人の指導は、僕たちの甘えを全部削ぎ落としてくれる。でも……あの人はその代償に、自分の肉体と寿命を削り続けているんだ……)
「あの……! 私も、その訓練の申請をお願いしたいです!」
そこへ、これまで鍛錬に参加していなかった麗日お茶子が真剣な面持ちで声を上げた。USJで自分の個性が届かない間合いに入られた時の無力感から、新たに志願しようとする動きが周りの生徒たちにも広がり始める。
だが、その空気を断ち切るように、机に放り出した足を激しく踏み下ろしたのは爆豪勝己だった。
「チッ……胸糞悪ぃんだよ!」
舌を打ち、爆豪は凶暴な眼光で焦凍や群がり始めた周りの奴らを睨みつける。
爆豪自身、人一倍のプライドを持ち、自らあの男の下で朝夕の過酷な鍛錬を泥臭くこなしてきた自負がある。だからこそ――自分たち6人が血を吐く思いで食らいついてきたあの鍛錬の価値も知らず、USJの危機に直面して急に群がり始めた同級生たちの生半可な姿勢に苛立ち、同時に、どれだけ己を追い込んでも届かないあの男の『完璧すぎる冷徹な理』に対する激しい焦燥を昂ぶらせていた。
「USJでビビッて足すくませてた半端者が、今さら群がって追いつけるような甘ぇ稽古だと思ってんじゃねえぞ!!」
「追いつくつもりはない。……ただ、叩き潰されに行くだけだ」
焦凍は爆豪の威嚇を静かに受け流し、教室の外を見つめた。
教職員棟へ向かって静かに歩み去る、漆黒の強化外骨格を纏った男の背中。
自分たち生徒が己の成長に必死になる一方で、あの男だけは何も求めず、何一つ語らず、ただ消耗品のように自らの肉体を擦り減らしながら佇んでいる。
「……申請書は出した。明日からだ」
焦凍の静かな言葉が、これからの過酷な日常の再開を告げていた。
教練の長い廊下に、二人の足音が響いていた。
相澤消太の不規則で少し引きずるような歩調と、イレギュラーの背骨・下半身を支えるKISARAGIフレーム(外骨格)が発する、低く抑制されたサーボモーターの摺動音。
教職員室の重い扉を開け、パイプ椅子に腰を下ろすと、相澤は首の包帯をわずかに緩め、深いため息とともに栄養ゼリーのキャップを開いた。
「……轟のやつ、完全に目の色が変わってやがる」
一気に吸い込むと、目の前に佇む『異物』を見上げた。
イレギュラーは言葉を返すこともなく、ポケットから焦凍の申請用紙を取り出すと、教務課の書類トレイへ淡々と滑り込ませている。
「お前が過去に家庭(エンデヴァー)の歪みを力任せに叩き折った弊害か、それとも救いか……どちらにせよ、あいつはお前という『完成された理』に喰らいつこうとしてる」
相澤の視線が、イレギュラーの左肩から背骨にかけて走るKISARAGIフレームの接合部に向けられる。
「だがな、イレギュラー。お前自身のその体……USJの脳無戦でフレームの駆動系、限界を超えて焼きついてただろ。根津校長が大型異形種用のカスタムパーツを手配して補修を進めてるとはいえ……お前のやり方は、自分の寿命と肉体をヤスリで削りながら相手を詰ませてるようなもんだ」
相澤は自身の『抹消』を引き合いに出すように、自虐的に目を細めた。
「俺たちの個性は、相手の理不尽を強引にフラットへ戻す。だが、お前の『虚』と武は、フラットに戻した後の圧倒的な物理の質量や攻撃を、全て素の肉体と骨格で受け止め、いなし、破壊する作業だ。脳無の6分間……あれでお前の摩耗はどれだけ進んだ?」
静寂が室内を支配する。
イレギュラーは何も答えない。
己の命の残量にも、削れゆく肉体の痛みにも、感情の起伏すら示さない。ただ無言で端末を操作し、KISARAGIフレームのトルク調整と、明日以降のA組6名(+新規志願者)の乱取りスケジュールの数値チェックを淡々と行っているだけだ。
「……応えないのは分かってる」
相澤は空になったスパウトパウチを握り潰し、ゴミ箱へ放り投げた。
「だが覚悟しておけ。生徒たちはお前のその『冷徹な理』だけじゃなく、お前が隠そうともしない……その狂おしいほどの『摩耗と孤独』にも、気づき始めてるぞ」
教職員室の窓の外、夕闇が静かに校舎を呑み込んでいく中、外骨格の無機質な駆動音だけが、小さく静かに響き続けていた。