『公安警察外局特定脅威処理記録:コード「削除済み」』   作:平素練磨

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第14話:理の楔、あるいは削肉の鍛錬

 

朝靄が深く立ち込める雄英高校・第4演習場。

冷気が肌を刺すグラウンドに、荒い呼吸音と地面を叩く鈍い音だけが響いていた。

 

「つ……っ!!」

 

叩きつけられたのは麗日お茶子だった。

USJでの己の無力さを痛感し、新たにこの早朝の場に立った彼女の腕を、イレギュラーは一切の容赦なく『武』の理に従って取り上げ、重心を奪い、地面へと沈めていた。

 

フレームのパワーアシストなど微塵も使っていない。ただの肉体と骨格の幾何学的な限界を正確に捉えた関節の固定。そこに手加減や掛け声、指導者らしい助言すら存在しない。

 

そこにあるのは、ただ粛々と実行される「構造の制御」という現実だけだった。

 

「――次」

 

感情を排した無機質な声。

イレギュラーは倒れたお茶子に視線すら向けず、背負ったKISARAGIフレームをただの静かな「重り」として纏ったまま、淡々と次の相手へと向き直る。お茶子は震える腕で泥を拭い、歯を食いしばって立ち上がった。

 

「甘ぇんだよ、丸顔」

 

腕を組み、その光景を壁際で見つめていた爆豪勝己が低く吐き捨てる。

爆豪の視線は凶暴にギラついているが、その肌にはすでに大量の汗が滲んでいた。彼自身、この男の理不尽なまでの『理』に朝夕食らいつき続けてきたからこそ、そこに一切の情けや妥協が存在しないことを誰よりも知っている。

 

「手加減なんかハナから期待してねえ……! だからこそ叩き潰されに来てんだ!」

 

切島鋭児郎が拳を固く握り締め、踏み出す。

その横では、飯田天哉と八百万百が、自分たちのフォームと軸のブレをミリ単位で点検するように呼吸を整えていた。

 

「……緑谷」

 

轟焦凍が、静かに隣の緑谷出久へ声をかける。

焦凍の首筋には、先ほどの乱取りで叩き込まれた掌打の生々しい赤みが残っていた。個性を沈黙させられ、現象を消された状態で対峙するこの男は、ただの「逃げ場のない圧倒的な壁」だった。

 

「……うん。僕たちがヒーロー志望だろうが生徒だろうが関係ない」

 

緑谷は汗ばんだ手でノートを固く握りしめ、無骨なフレームの隙間から覗くイレギュラーの静かな体躯を見つめていた。

 

(この人の指導には『教える』という概念すらないんだ……。ただ目の前に『圧倒的に正しく無駄のない動作』を叩きつけられて、僕たちが勝手に自分の甘さと欠陥を自覚させられる……!)

 

「……全員、同時に来い」

 

イレギュラーが静かに言い放つ。

 

6人の先修者(爆豪、緑谷、焦凍、切島、飯田、八百万)と、お茶子をはじめとする新規の志願者たち。

彼らにとっての「体育祭」に向けた準備とは、華やかなアピールのための技術磨きなどではない。

 

己の個性に頼り切った不完全な肉体を、一切の甘えを許さない『掃除屋の理』というヤスリで削り直す、過酷な拷問にも似た鍛錬の再開だった。

 

 

 

 

「群がるな。間合いが無駄だ」

 

声の低音すら響かせない。イレギュラーの足裏が、泥を含んだ土を微かに捉える。

一歩。それだけで、攻め込もうとした全員の距離感が狂った。

 

最初に肉薄したのは爆豪だった。

右の爆破に頼らず、鍛え上げた足腰の踏み込みで間合いを詰める。だが、その掌が放つ僅かな発汗の予兆すら、イレギュラーにとっては「無駄な予備動作」でしかない。

 

接触の瞬間――『虚』が発動するまでもない。

爆豪の突き出した右肘の外側に、イレギュラーの無装甲の掌が添えられる。ベクトルを「受け止める」のではない。爆豪自身が前へ込めた運動エネルギーの方向を、わずか数ミリ外側へと横滑りさせただけだ。

 

「――チッ!?」

 

自分の踏み込みの勢いのまま、爆豪の体軸が虚空を穿つ。

姿勢が崩れた瞬間、後頭部でも肩でもなく、爆豪の「右肩甲骨の引き」の支点へ、イレギュラーの肘が静かに置かれた。叩きつけるのではない。支点を失わせるだけの最小限の力。

爆豪の体が泥の上を低く転がった。

 

「無駄を足すな。技を増やすな。お前の踏み込みには、威嚇という余分なタメが入っている」

 

アドバイスではない。事実の提示だった。

爆豪は歯を剥き出しにして泥を噛みながら、言葉を飲み込む。焦燥から来る「力み」という無駄を、完全に指摘されたと悟ったからだ。

 

間髪入れず、焦凍が左から間合いを潰す。

個性に頼らず、身一つで踏み込む動作。右半身を前に滑り込ませ、間合いを詰めるために左足を深く踏み込んだ瞬間――その足運びを見たイレギュラーの視線が、わずかに低くなった。

 

焦凍の左足が接地し、軸を作ろうとしたまさにその直前。イレギュラーのつま先が、焦凍の左膝横へ軽くだけ触れた。

 

ドスン、と焦凍の左膝が呆気なく泥をつく。

 

「軸が右に逃げている。左の炎(力)を拒絶するあまり、左半身の意識が死んでいる証拠だ」

 

「……ッ」

 

「右を使いたいのではない。左を嫌っているだけだ。自ら半身を殺して立つ人間に、正しく伝わる軸など作れない」

 

焦凍の胸の奥に、かつて4歳の頃に自宅で父・エンデヴァーを物理的に沈黙させたあの男の記憶が、冷たい鋭利さを持って蘇る。

 

足すのではない。右も左も関係なく、ただ「一本の骨組み」として立つこと。左の炎への拒絶すら、この男の前では「運動の邪魔になる余計な感情(無駄)」でしか無かった。

 

「緑谷」

 

指名された瞬間、出久の背筋に冷や汗が走る。

出久はノートで分析した「無駄のない動き」を頭の中でなぞり、完璧な足運びで間合いを盗もうとしていた。

 

だが、踏み出した一歩目を踏み切る前に、イレギュラーの無装甲の手先が出久の鎖骨の窪みにスッと差し込まれた。

動けない。力すら込められない。出久の重心の「起こり」を、発生の瞬間に押さえ込まれた。

 

「頭で動くな。思考という遅延(ラグ)を挟むな」

 

「あ……」

 

「動きを理解しようとするな。理とは考えるものではない。削ぎ落とした末に、ただ残るものだ」

 

10年前、泣いていた自分に『泣く暇があるなら体を鍛えろ』と言い放った男。

思考を重ねて足し算ばかりしようとする出久の悪癖を、一番最小限の動作で看破してみせる。

 

言葉を交わす時間すら惜しむように、切島が、飯田が、八百万が、そしてお茶子が次々と間合いに入る。

だが、そのすべてが「付け焼き刃の工夫」や「余計な気合い」という無駄を察知され、一歩、一撃、あるいはただの最小限の捌きで地表へ沈められていく。

 

華やかな技の追加などない。強くなるためのメソッドすら提示されない。

 

彼らが受けているのは、己の肉体から「不要な力み」「不要な感情」「不要な意識の偏り」を、ただひたすらに削り落とすための、冷徹極まるデッサン(素描)のような時間だった。

 

徐々に登校してくる普通科や経営科の生徒達。そんな時間の中、泥と汗にまみれて膝をつく生徒たちの中心で、KISARAGIフレームを無機質に纏った男だけが、息一つ乱さずただ静かに佇んでいた。

 

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