『公安警察外局特定脅威処理記録:コード「削除済み」』 作:平素練磨
雄英高校体育祭を翌日に控えた、放課後の1年A組教室。
夕暮れ時の赤橙色が差し込む室内には、明日からの大舞台に向けた独特の熱気と、どこかぎこちない緊張感が同居していた。
教室の中央では、緑谷出久が汗ばむ手でノートを開き、必死にペンを走らせていた。
「無駄を省く……思考のラグを消す……」とブツブツ呟く姿は相変わらず挙動不審で、姿勢を正そうと意識するあまり、逆に肩に余計な力が入って固くなっている。朝の乱取りで「頭で動くな」と叩き込まれたばかりだが、1染みついた「考えすぎる悪癖」はそう簡単に抜けるものではない。
「チッ……鬱陶しいんだよ、クソブツブツが!」
爆豪勝己が乱暴に机を蹴り上げる。
威嚇の声は相変わらず荒く、苛立ちを隠せていない。朝の鍛錬で「威嚇という余分なタメ」を指摘され、無駄を削ごうと意識すればするほど、思うように動かない自分の身体と周囲の視線に激しいストレスを感じて怒りを散らしていた。削ぎ落とされた静かな刃などではなく、まだ荒削りで青い焦燥感に満ちた怒りそのものだった。
「爆豪くん! 机を蹴るのは感心しないぞ!」
飯田天哉が腕を振り上げて注意するが、その動作は以前ほど大袈裟ではないものの、まだどこかぎこちなく固い。八百万百もまた、手帳を握り締めながら「まだ……身体の軸が安定いたしませんわ」と、己の未熟さに眉をひそめていた。
そこへ、半開きのドアの外から、大勢の生徒たちが集まってくる気配がした。
「なんだい、これかい。USJを生き延びて一躍時の人になった1-A様のお姿ってやつは」
ドアを押し開けて現れたのは、B組の物間寧人だった。後ろには拳藤一流たちが続いている。
「へえ……体育祭前夜だってのに、ずいぶんとお固いお顔だねぇ。ヒーロー科ってだけで注目されて、主役気取りかい? USJでちやほやされた分、明日恥をかかなきゃいいけどさ!」
物間のネチネチとした煽りに対し、切島鋭児郎がカッとなって立ち上がりかけた。
「あんだと! 俺たちはなぁ、朝から必死に――」
「切島、やめろ」
轟焦凍が短く制する。
焦凍自身、左足の踏み込みの甘さを指摘されたばかりで、無意識に左半身を気に病む素振りが残っていた。「削ぎ落とされた達人」などからは程遠く、炎への忌避感と、自分の身体の歪みに挟まれて葛藤している最中だった。
焦凍は物間を見据えるが、その瞳には冷徹な威圧感などではなく、ただ自分の未熟さと向き合うことで手一杯な余裕のなさが揺れていた。
「……ふん、気取っちゃってさ。嫌だねぇ、これだからA組は」
物間が露骨に肩をすくめた瞬間、その首根っこを拳藤が容赦なく引っ掴んだ。
「はいはい、そこまで。悪いなA組、こいつが失礼なこと言って。……物間、行くよ」
拳藤は物間を引きずりながら、チラリとA組の面々に視線を走らせた。
1-Aの生徒たちが「完成された強者」に見えたわけではない。だが、どこか自分の体の甘さや欠陥を突きつけられて必死にもがいているような、独特の焦燥感が伝わってきて、妙な引っかかりを覚えていた。
B組の人垣が割れたその奥から、もう一人、静かに教室の中を鋭く見つめる男がいた。
普通科の――心操人使だった。
隈の濃い目で、心操は出久や焦凍、そして爆豪たちの姿をじっと見定めている。
「……ヒーロー科」
心操の低くかすれた声が漏れる。
「恵まれた個性を持って、USJを乗り越えて……さぞかし立派なヒーローになる準備で忙しいんだろうな」
心操の視線には、恵まれた環境への強いコンプレックスと、自らの個性(洗脳)がヒーロー向きではないと突っぱねられてきた理不尽への底暗い情念が宿っていた。
出久がその視線に気づき、言葉を失う。
「明日……引きずり下ろしてやるよ。お前たちがどれだけ凄かろうがな」
心操はそれだけ言い捨てると、誰とも群れずに一人、静かに廊下の闇へと消えていった。
教室に残されたA組の生徒たち。
お茶子は自分の掌をギュッと握りしめ、泥のついた制服の裾を見つめていた。
(崩された時の感触……まだ体から抜けん。明日、あんな凄い舞台で、うち本当に動けるんかな……)
「……帰るぞ」
焦凍が短く告げて鞄を持ち上げる。
彼らはまだ何も完成させていない。
たった数日の鍛錬で「無駄のない武者」になれたわけでもない。ただ、自分の個性に頼り切っていた甘さと体の歪みを突きつけられ、手探りで泥臭くもがき始めたばかりの「未熟な高校生」に過ぎなかった。
だが、華やかな見せるための技術に浮つく他のクラスと比べれば、その「己の欠陥と向き合う泥臭さ」と「焦燥」こそが、周囲に異質な影を落とし始めていた。