『公安警察外局特定脅威処理記録:コード「削除済み」』 作:平素練磨
九州、福岡の街並みを見下ろす高層ビルの屋上。
風を切る羽音とともに、ホークスは手すりに舞い降りた。
そのすぐ後ろで、荒い呼吸を吐きながら膝に手を突いたのは、1-Aの常闇踏陰だった。
「……ハッ……ハッ……」
「はいはい、息乱れてるよ少年。君、体育祭の時から思ってたんだけどさ」
ホークスは背中の羽を一枚、指先で弄びながら振り向く。その飄々とした笑みの裏には、一切の隙がない。
「『黒影(ダークシャドウ)』のリーチと威力に甘えて、自分自身の『脚』で地を踏みしめるのを怠ってるよね。影を出して攻撃する時、君の体幹、完全に死んで浮いてるもん」
常闇の胸が跳ねる。
(見抜かれている……! 体育祭の折、強化外骨格の男に影をいなされ、地面に叩きつけられたあの悪癖を……!)
「影(個性)がどれだけ速くても、それを発動する君の身体がグラついてたら、速さの伝達に『遅延』が出る。僕の羽はね、一本一本が自分の神経と繋がってて、無駄な力みや軸のブレが一切ないから速いの」
ホークスは指先の羽をスッと常闇の喉元へ突きつけた。微かな風圧すら立てず、音もなく。
「影に頼る前に、まずは自分の身体で風を感じて、無駄な体幹の揺れを削ぎ落としなよ。それができなきゃ、僕のスピードには一生ついてこられないよ?」
「……深く、刻む」
常闇は自身の影を引っ込め、ただ己の二本の足で屋上のコンクリートを強く踏みしめ直した。
一方、山梨県の甲府市街地から外れた、古いビルの一室。
緑谷出久は、開け放たれたドアの前で立ち尽くしていた。
室内には、血のようなものがべったりと付着した床と、そこに倒れ伏す小さな老人の姿。
「うわああああっ!? だ、大丈夫ですか!?」
出久がパニックを起こして駆け寄ろうとした瞬間——
「……トマトケチャップをこぼしてしまってのう」
むくりと起き上がったのは小柄な老人、グラントリノだった。
「……え?」
「俊典(オールマイト)のやつが『いいガキがいる』と寄こしたから期待しておったが……なんだ、お前。部屋に入ってきた瞬間のその歩き方は」
グラントリノは手に持っていたソーセージを口に放り込みながら、爛々と光る眼光で出久の足元を射抜いた。
「『ワン・フォー・オール』を継承したそうじゃな。だがお前、頭で『力を制御しよう』と考えてから筋肉を固め、それから技を出しておるだろ」
「っ……!?」
出久の背筋に冷や汗が流れる。
体育祭で心操や轟と戦った時、朝の鍛錬でイレギュラー先生に叩き込まれた時——ずっと己を苛んできた「思考のラグ」という病根。
「俊典の教え方が悪かったのもあるが、お前はあの力を『特別な何か』として頭で抱え込みすぎだ。使う瞬間に『出力を何%に抑えて……』などと計算している(ノイズを混ぜている)から、動きの初動に滞りが生まれる」
グラントリノは手に持った杖を床にコツンと突いた。
「部屋の壁を見ろ。足裏の支点を意識し、考える前に動け。お前がその脳ミソの余計な計算(ラグ)を削ぎ落とさない限り、お前は一生、己の力に振り回されて自滅する欠陥品のままだぞ」
グラントリノの身体が、一瞬で姿を消した。
ッガァン!!
「ぐあっ!?」
出久が頭で「上だ!」と認識した時には、すでに天井を蹴ったグラントリノの膝が、出久の頬をかすめ去っていた。
ワン・フォー・オールの出力を練る隙すら与えられない、徹底的な「遅延への拒絶」。
(速い……! 考える時間がない……! でも、頭で考えたら負ける……! 呼吸を整えて、力を全身に『馴染ませる』……考えるな、削ぎ落とせ……!!)
床に転がりながら、出久は血の混じった唾を吐き捨て、ただ純粋な『運動の理』へと意識を研ぎ澄ませ始めていた。