『公安警察外局特定脅威処理記録:コード「削除済み」』 作:平素練磨
冷たい雨が、歓楽街の路地裏を黒く濡らしていた。
ネオンの光も届かない狭隘な隙間で、相澤消太(イレイザーヘッド)は2人の指名手配ヴィランと対峙していた。
「チッ……鬱陶しい眼をしやがって……!」
片方が腕を刃へと変貌させ、路地の壁を削りながら肉薄する。もう一方は後方で間合いを計り、高圧の液体を噴射する構えを見せていた。
雨による視界不良と、退路の限られた狭い空間。相澤はゴーグルの奥で鋭く眼を光らせ、『抹消』を発動しながら捕縛布を繰り出すが、タッグを組んだ2人の連携は予想以上に、決め手を欠く時間が続いていた。
――その時だった。
後方で噴射の構えをとっていたヴィランの背後に、影が落ちた。
足音も、気配もない。ただ雨粒を切り裂く微かな空気圧の音だけ。
「な――」
振り返ろうとしたヴィランの首筋へ、黒いオープンフィンガーグローブの手が吸い付けられるように接触する。
――『虚』。
瞬時に男の個性が霧散し、高圧液体の予備動作が完全に沈黙する。感覚のズレに硬直した男の懐へ、男――イレギュラーはすでに入り込んでいた。
相澤の『抹消』の視界を一切遮らない、洗練された最小限の動線。
首を起点に全身のバランスを崩され、男の重心を容赦なく破壊する。ドサリと地面に叩きつけられる音と同時に、急所を的確に捉えた打撃。絶叫すら許さない、一瞬の無音制圧。
「な、なんだアイツは――!?」
残された刃のヴィランが動揺した隙を、相澤が見逃すはずもなかった。
繰り出された捕縛布が瞬時に男の四肢を縛り上げ、路地のコンクリートへと叩きつける。
静寂が戻った路地裏で、激しい雨の音だけが響いていた。
息を整えながら捕縛布を回収した相澤は、バイザーと体を痛めつけるほどの高出力、人体に対して過剰な出力を持つ強化外骨格を身に纏った男へと視線を向ける。
イレギュラーは気絶した男の首根っこを掴み、相澤へ顔だけを向けた。
「……公安の案件だ。引き取る」
低い、無機質な声。
相澤は咎めるでもなく、ただ苦い表情で彼を見つめた。
「……相変わらずだな、あんたは」
イレイザーヘッドと同じ「個性の抑止・減衰」を扱う男。
だが、バイザーの奥から覗く雰囲気と、外骨格の隙間から伝わる肉体の質感に、相澤のプロとしての観察眼が違和感を捉える。
(……動きの切れに反して、肉体が削られ過ぎている。休んでいないな……)
かつて目にした頃よりも、確実に摩耗し、疲弊している背中。
個性に頼らない圧倒的な身体性と武の理を持ちながら、それゆえに過酷な闇の「清掃業務」にその身を削り続けている男の凄惨な気配。
イレギュラーは相澤の言葉に返答を与えることもなく、男を引きずりながら闇の中へ消えていった。待機させてある大型バイクのエンジン音が、雨の遠くへ去っていく。
相澤は天を仰ぎ、濡れた前髪をかき上げた。
「……命を使い潰す気か」
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翌朝。雄英高校・校長室。
早朝の光が差し込む室内で、相澤は昨夜の報告を短く終えた。
「……というわけです。昨夜の件は公安の回収班へ引き渡しました」
「ご苦労様、相澤くん」
根津校長は温かい紅茶に口をつけ、静かに耳を傾けていた。相澤はポケットに手を突っ込んだまま、吐き捨てるように言葉を継ぐ。
「……奴(イレギュラー)に会いました。相変わらず無茶な真似を続けている。肉体も精神も、削れるだけ削って動いているような状態だ。……だが、あの身のこなしと個性に頼らない身体性は本物だ。近頃の『個性の強さだけに胡坐をかいている』うちの生徒どもに見せてやりたいくらいですよ」
相澤の言葉を聞き、根津はティーカップを静かにソーサーへと戻した。
「ふむ……」
根津の頭の中に、最近の志望者や現役生徒たちの顔が浮かぶ。
世代を繋ぐごとに派手で強力な個性に恵まれ、それを誇示することに長けた若者たち。だが彼らは、もし己の個性が通用しない相手に出会った時、あるいは一瞬の隙で個性を封じられた時、どう動くのか。
(……無理な生き方をする教え子を、ただ可哀想に思って救うなど、私にはできないし彼も望まない。……だけど)
根津の腹案の中で、ひとつのピースが静かに噛み合った。
『個性を封じられた極限状態でも生き残る泥臭い身体性と理』。
「個性の強さ」という底の浅い万能感に酔いしれる生徒たちに対し、いずれその万能感を完膚なきまでに打ち砕く「生きた教材」――。
(……面白いかもしれないね。君のその削り削られた命を休ませ、宿っている武の理を、いずれ次の世代の『壁』として、一時的に雄英に置くというのも)
「相澤くん」
「なんですか、校長」
「いやね。将来、君のクラスの子達に……少し『厳しすぎる授業』を用意してみようかと思ってね」
根津はいつものように可愛らしく首を傾げ、静かに微笑んだ。
相澤はその笑顔の奥にある喰えない意図を感じ取りながら校長室を後にした。