『公安警察外局特定脅威処理記録:コード「削除済み」』   作:平素練磨

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第32話:異物の理、表通りの処理

 

保須市の表通りは、地獄絵図と化していた。

 

「くそっ……! 攻撃がまるで効かねぇ!!」

「打撃も斬撃も瞬時に再生する! 距離を取れ、応援はまだか!?」

 

数名のプロヒーローたちが取り囲んでいるのは、漆黒の皮膚に剥き出しの脳髄を持つ怪物――『黒いタイプの脳無』。

プロたちの個性が放つ炎や衝撃波を浴びながらも、脳無は意に介さず、圧倒的な質量と再生能力でヒーローたちを押し潰し、街を破壊していく。個性のスペック同士をぶつけ合う現代ヒーローの戦術が、完全に手詰まりを起こしていた。

 

その崩壊の真っ只中へ、一人の男が静かに足を踏み入れた。

 

身に纏うのは、無骨な油圧シリンダーと鋼鉄の骨格で構成された漆黒の強化外骨格。

手には刃物も、銃器も、個性のエフェクトすらない。

 

「な……誰だ!? 一般人か!? 危険だ、下がれ!!」

 

プロヒーローの制止の叫び。しかし、イレギュラーは一歩も足を止めなかった。

その瞳には焦りも、正義感という熱量すら存在しない。ただ、対象の解剖学的構造と重心の軌道を冷徹に計測する、淡々とした「処理」の視線。

 

脳無の丸太のような腕が、空気を切り裂いてイレギュラーの頭部へと振り下ろされる。

直撃すれば人間の肉体など一瞬で破裂する過絶な一撃。

 

だが、イレギュラーは右足の支点をわずかに滑らせ、最小限の体さばきで脳無の腕の内側――死角へと滑り込む。

脳無の巨大な腕がイレギュラーの肩すれすれを通り過ぎ、その運動エネルギーによって脳無自身の重心が前方へと大きく傾いた、その刹那。

 

イレギュラーは両膝を深く沈め、背骨の軸を一直線に通した。

個性の発動ではない。人間が本来持つ骨格の連動――「足裏から腰、背骨、そして拳へ」と運動エネルギーを伝達させる純粋な身体技法。

 

脳無の巨大な顎の下、喉元(急所)へ、下から突き上げるような掌底が吸い込まれた。

 

「ガっ……!?」

 

打撃の衝撃が脳無の頸椎を駆け抜け、三半器官と平衡感覚を物理的に狂わせる。

重心を失いグラついた脳無の頭部。その頭頂部へ向け、イレギュラーは空いた左手を上から覆いかぶせるように添え、己の体重と沈み込みのベクトルをそのまま叩き落とした。

 

脳無の巨大な頭部が、アスファルトのコンクリート床へ強烈に叩きつけられ、激しい粉塵が舞う。

 

「な……ッ!?」

 

プロヒーローたちの息が止まった。

個性の派手な光も熱もない。ただの素手の手さばきと、相手の倒れ込む質量・重心の破壊を利用した、あまりにも洗練された体術。

 

脳無が再生を開始し、床を壊して暴れ出そうとした瞬間、イレギュラーの右脚が静かに持ち上がった。

相手の頸椎(急所)へ、フレームの軸を寸分違わずセットする。

 

脚部のシリンダーから、圧縮空気が静かに吐き出された。個性に頼らないこの男が持っている、唯一の過絶な「物理質量」。禁じ手。

 

爆発音が夜の街に轟いた。

サポートによる超高圧の運動エネルギーが、踏みつけの一撃となって脳無の首筋へと叩きつけられる。

再生能力が追いつく間もなく、脳無の中枢神経と首の骨格が物理的に粉砕され、アスファルトへ巨大なクレーターが穿たれた。

 

ぴくりとも動かなくなる黒い巨体。

 

「ヒッ…………」

 

周囲のプロヒーローの口から、引きつった悲鳴が漏れた。

助けられた安堵など、そこには一切存在しない。自分たちが束になって歯が立たなかった怪物を、個性すら使わず、ただの体術と機械の排気音だけで「解体」してみせたその異様さ。

 

「あいつ……何なんだ……!? ヒーローじゃない……! ヒーローの戦い方じゃねぇ……!!」

 

戦慄と恐怖の視線が注がれる中、イレギュラーは油圧の噛み合わせを静かに確かめ、一度も振り向くことなく立ち上がった。

 

男は夜の影の中へと溶け込み、姿を消した。

残されたのは、粉砕された脳無と、個性の常識を根本から打ち砕かれたプロヒーローたちの絶句だけだった。

 

---

 

そして、時間は現在へ戻る。

 

「……っ……ぁ……!」

 

太ももを浅く斬り裂かれ、その血を舐めとられた出久は、全身の自由を奪われてアスファルトにへばりついていた。緑色の放電が途切れ、荒い息だけが狭い路地に響く。

 

ステインは刃を引いた。

しかし、その呼吸は決して平常なものではなかった。肩を微かに上下させ、血で濡れたマスクの奥で荒い息を吐いている。

 

無言で刃を振るっていたのではない。

――出久の無駄のない動きに対応するため、話す余裕すら奪われていたのだ。

 

(……何だ、今の子供は……)

 

ステインの脳裏に、直前の打ち合いがフラッシュバックする。

一見すれば、圧倒的な実力差でステインが出久を追い詰めたように見えただろう。だが、実際に刃を交えていたステイン自身だけは理解していた。

 

構えのタメも、余計な踏み込みもない。ただ「最短・最小」の理で、己の殺意の軌道へ食らいついてきた緑髪の少年。もし、最後の瞬間にほんの数ミリの目測のズレが無ければ、削られていたのはステイン自身の首筋だったはずだ。

 

「……偽物ばかりのこの街で……」

 

ステインの口から、低く掠れた声が漏れ出た。

それは怨念ではなく、恐怖すら混じった純粋な『敬意』だった。

 

「お前は……本物だ」

 

ステインの目が、暗闇の中で狂気を孕んでギラリと光る。

 

「私利私欲も、名誉欲もない。ただ眼前の命を救うためだけに、己の余計な感情すら削ぎ落として立ち向かってきた……。お前のような男こそ……『本物のヒーロー』に成りえる可能性を持っている」

 

出久を見下ろすステインの眼光には、狂信的な讃仰と同じ、絶対的な承認の色が宿っていた。

 

「……だから、お前は殺さない。お前は活かすべき『正しき者』だ」

 

「や……めろ……ステイン……ッ!」

 

床に伏した出久が、痺れた口唇を必死に動かして声を絞り出す。

しかし、ステインは出久から視線を外し、ゆっくりと首を巡らせた。

 

その視線の先に転がっているのは――恐怖と己の醜さに打ちのめされ、血混じりの涙を流す飯田天哉だった。

 

「――だが」

 

ステインの声から敬意が完全に消え去り、氷のような冷徹な憎悪が戻る。

 

「そこのお前は違う」

 

「……っ……!」

 

「兄の復讐という個人的な怨念に目を眩ませ、力を誇示し、怒りで全身を固めて突っ込んできた……。お前が纏っているのはヒーローの意地ではない。ただの醜い自慰だ」

 

ステインは短刀を持ち直し、動けない飯田の喉元へとゆっくり歩み寄る。

 

「お前のような『贋作』がヒーローを騙るから、この世界は腐敗する。――ここで粛清する」

 

血の味のする唾を飲み込みながら、飯田は迫り来る死の刃を見つめていた。

歪んだ復讐心というノイズを削ぎ落とそうと必死に軸を立て直そうとしている最中、容赦なく突きつけられる「贋作」という審判。

 

その時、路地の入口から、足音もなく冷たい威圧感が滑り込んできた――。

 

 

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