『公安警察外局特定脅威処理記録:コード「削除済み」』 作:平素練磨
血の匂いが充満する路地裏。
身動きの取れない飯田天哉の喉元へ、ステインの短刀がゆっくりと突き出されようとしていた。
「や……めろ……ッ!!」
地面に潰れた緑谷出久が、痺れた口唇から絶叫を絞り出す。
しかし、ステインの眼光に揺らぎはない。私利私欲と復讐心で動く飯田を粛清すべく、刃を振り下ろそうとした――その刹那。
音もなく、気配すら殺した「影」が路地の入口から滑り込んできた。
ステインの皮膚が一瞬で粟立つ。
殺意でも害意でもない。ただ「質量の塊」が静かに空間を削って迫ってくるような、不自然なほどの圧迫感。
ステインは咄嗟に飯田への刃を収め、跳躍して数メートル後方へ身を引いた。
直後、ステインが立っていたアスファルトへ、静かに着地する足音。
首筋から肩、背骨、腰、そして脚部のトルクを保持する『KISARAGI製強化外骨格』。
その下に着用された、黒いシャツタイプのアンダーウェア。
「……先生……?」
床に伏した出久が、息をのんでその背中を見上げた。
朝のグラウンドで、言葉少なく乱取りの手本を見せていた特別講師。
首筋から腰、脚部には重厚な骨格フレームが走っているが、黒インナーに包まれたその両腕には、機械的な装甲も補強パーツも一切存在しない。
言葉はない。救いの言葉も、名乗りすら発しない。
ただ、HMDバイザーの奥の冷徹な眼光が、出久、飯田、そしてステインの体幹の軸をコンマ一秒で計測していた。
ステインの全身から、過絶な殺気が膨れ上がる。
自らの粛清の場に無言で立ち塞がり、ただ機械のように状況を観察する男。その存在そのものが、ステインの思想に対する巨大なノイズだった。
「邪魔をするな……!!」
ステインが路地の壁を蹴り、弾丸のような速度で肉薄する。
手にした短刀が、鋭い風切り音を立ててイレギュラーの首筋へと一閃された。ステインが修羅場で研ぎ澄ませた、最速・最短の斬撃。
だが――イレギュラーは動じない。
首筋から腰へ通されたフレームの剛性軸が微かな駆動音を立て、体幹をわずか数ミリだけ横滑りさせる。
紙一重。
刃先が首筋の至近を通り過ぎるコンマ数秒の間隙。
装甲のついていない黒インナーの腕が、滑らかな蛇のようにステインの短刀を握る前腕へと滑り込んだ。
無理に力をぶつけて刃を止めるのではない。ステインが繰り出した斬撃の運動エネルギーのベクトル(方向)を感知し、その軌道を殺さず斜め下方へと撫で下ろす――【武の理】
(なっ……! 押し返されたんじゃない……力が逃がされた……!?)
手応えを失い、突進の勢いそのままに体幹の軸を前方へ崩されるステイン。
言葉なき暗闇の中で、純粋な「武の理」と「骨格保持フレーム」が、静かにステインの体幹を捕獲しにかかる――。