『公安警察外局特定脅威処理記録:コード「削除済み」』   作:平素練磨

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第34話:間合いの境界、破断の支点

 

手応えがない。

ステインの放った最短・最速の斬撃は、押し返されたのではない。イレギュラーの横滑りする体幹と、腕による斜め下への誘導――【武の理】によって、運動エネルギーの軌道そのものを滑らかに逃がされていた。

 

突進の勢いそのままに、前方へと体幹の軸を崩されるステイン。その隙を、イレギュラーは見逃さない。

名乗りも、技の宣言もない。その左手が、ステインの短刀を握る右前腕の関節・死角へと滑り込む。

 

(腕を……取られた……!?)

 

ステインの右腕の自由が奪われ、関節の噛み合わせが外されにかかる。

超精密な関節制圧。無理な力を必要としない「構造の破壊」が、ステインの右半身を襲う。

 

アスファルトに這いつくばる出久の目が、その死角の攻防を必死に追っていた。

 

(すごい……! 朝のグラウンドで先生が見せていた動きそのままだ……! 腕に機械の装甲やアシストをつけないのは、力任せに殴るためじゃない。相手の骨の角度や筋肉の力みを、腕の完璧な脱力で感知して『崩す』ため……! )

 

個性に頼り切った大技の威力や見た目のインパクトで押し通そうとする現代ヒーローの戦い方が、どれほど「ノイズ(無駄)」に満ちていたか。

出久の胸に、朝の教えと目の前で行われる無言の解体が残酷なまでの説得力をもって突き刺さる。

 

だが、ステインの修羅場での本能と狂気もまた、その拘束の瞬間に跳ね上がっていた。

 

右手の指先を極限まで脱力させ、掴まれた短刀を「手首の返し」だけで上方へ弾き飛ばす。

宙に舞う間隙。左手を交差させ、逆手でその短刀の柄をキャッチする――拘束された腕を犠牲にし、武器の所有権をもう片方の手へと切り替える決死の身こなし。

 

しかし、イレギュラーは掴んだ右腕の誘導を止めない。

 

支点を奪われたステインの体が、固定された右腕を軸として強引に地面へと叩きつけられるベクトルに引きずり込まれる。

 

無理に抗えば、右肩と肘の関節が物理的に粉砕される体勢。

 

「……ぐ、ぬあああッ!?」

 

ステインは従わずに抗った。右腕の骨格と靭帯が悲鳴を上げ、嫌な断裂音を立てる痛みを完全に無視し、自ら体の捻りを加速させた。壊される右腕の回転をそのまま運動エネルギーへ変換し、強引に体軸を反転させてコンクリートへ足裏を叩きつける。

 

着地と同時に、左手に持ち替えた短刀を一閃。

 

至近距離からイレギュラーの眉間を目がけて放たれた、目にも留まらぬナイフの投擲。

イレギュラーは頭部のHMDバイザーへの直撃を避けるため、腕を離しながら体幹の軸をわずかに倒して頭部をかわし、短刀は空を切って背後のアスファルトへと深く突き刺さった。

 

そのわずかな間隙に、右腕をだらりと不自然に垂らしたステインが、数メートル後方のアスファルトへ滑るように着地していた。

 

仕切り直し。

 

「……ハッ……ハッ……」

 

肩を激しく上下させ、破壊された右腕を抱えながらも、ステインの左手にはすでに予備の短刀が握られている。

己の肉体を破壊してでも間合いを強引にリセットし、死の線を維持してみせた狂気。

 

対するイレギュラーは、乱れぬ呼吸のまま、無装甲の腕を静かに脱力させ、再び「刃の届かない死角」への踏み込み足をセットし直していた。

 

アスファルトにへばりつく出久の目の前で、極限の「理」と「狂気」が、静かに次の間合いの攻防へと沈み込んでいく。

 

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