『公安警察外局特定脅威処理記録:コード「削除済み」』 作:平素練磨
大通りの街灯の下、異様な静寂が続いていた。
路地の角から駆け込んできたグラントリノとマニュアルが目にしたのは、沈黙した飛翔型脳無と、壁際で完全に意識を失っている『英雄回帰』ステイン。そして、その二体の脅威の上に何事もなかったかのように佇む男の姿だった。
「……緑谷!!」
グラントリノが出久に駆け寄り、その頭を遠慮なく拳で叩きつける。
「言ったはずだ、動くなと! 状況も把握せんまま飛び出しおって……無事だからよかったものの、一歩間違えれば死んでいたぞ!」
「ぐ……すみません、グラントリノ……っ」
出久が頭を押さえながら縮み上がる横で、マニュアルもまた、息を切らせながら飯田の肩にそっと手を置いていた。その顔には怒りではなく、教え子を追い詰めてしまった強い悔恨が滲んでいる。
「飯田君……、私設返上(私闘)をしに行ったのか……? 」
「……っ」
飯田は血の気の引いた顔で下を向き、ただ沈黙するしかない。
そんなヒーローたちの動惑を余所に、イレギュラーは淡々と通信端末を操作していた。
『——暗号認証確認。保須市第三区、目標“ステイン”および確保対象の脳無1体を制圧完了。至急、回収班を回せ』
無感情な機械音声が端末から漏れる。
グラントリノが鋭い目つきでイレギュラーを睨みつけた。
「……お前さん、公安の特務か?」
イレギュラーはグラントリノの視線にも、マニュアルの戸惑いの表情にも一切答えない。
ただ数分後、消灯した黒塗りの大型バンが数台、滑り込むように大通りへ停車した。身元を示すIDを胸に下げた回収員たちが手際よく降り立ち、拘束具で完全に固定されたステインと脳無の巨体を迅速に車内へと収容していく。
回収班の責任者がイレギュラーに向かって短く一礼すると、車両は夜の闇へと消えていった。
「……おい、報告はどうする。警察への現場引き渡しがあるだろう」
グラントリノの問いかけに対し、イレギュラーは脚部の油圧ピストンをカシュ、と静かに噛み合わせ直し、背を向けた。
「公安への報告は完了している。現場の処置と生徒の管轄は、正規の指導ヒーローである貴公らの仕事だ」
引き止めようとするマニュアルの声をあとに、イレギュラーは一切の余情を残さず、夜の街並みへと姿を消した。自分の仕事は「敵の排除と現場の完全収束」であり、その後の処理や教育的指導には一切干渉しないという、徹底した無干渉の態度だった。
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翌朝。保須総合病院の一室。
ベッドに腰かける出久、飯田、そして現場に合流していた轟焦凍の三人の前に、保須警察署長・犬山(つら構えが犬の姿の男)とグラントリノ、マニュアルが立っていた。
「……君たちが成し遂げたのは、警察でも手を焼いていた凶悪犯の確保協力だ。その功績自体は素晴らしい」
署長は重々しい声で語り始める。しかし、その言葉の裏には厳しい現実の重みが隠されていた。
「だが、ヒーロー資格を持たない者が、許可なく『個性』を行使して危害を加えることは、明確な法違反だ。もしこれが公になれば、君たち二人——緑谷君と飯田君だけでなく、指導責任者であるグラントリノやマニュアルにも厳罰が下る」
出久が息をのむ。飯田は拳を強く握りしめ、頭を深々と下げた。
「……すべての責任は、私にあります。私が兄の復讐に囚われ、二人を巻き込みました……どのような処罰でも受けます」
「——ただし」
署長が言葉を継いだ。
「現場の最終制圧者であり、ステインを正式に回収した『匿名協力者(イレギュラー)』からの公式報告書には、君たちふたりの個性行使についての記載がない。『脅威は排斥した』とだけ記されている」
出久たちが目を見開く。
「公安と彼の処置により、今回の件は『ヒーローの迅速な対応による制圧』として処理されることになった。君たちが表立って処分されることはない。……だが、忘れるな。君たちは運と、裏で動いた大人の処理によって救われたに過ぎんということを」
署長が部屋を去った後、静まり返った病室で出久は自らの手を見つめていた。
昨夜、自分の頭上で炸裂したあの過絶な蹴り。
一瞬の猶予も与えず、敵の息根を止めた圧倒的な【武の理】。
そして、自分の行った「違法行為」に対しても、庇いも非難もせず、ただ余計なことを言わずに事実だけを処理して去っていったイレギュラーの冷徹な背中。
(先生は……僕たちを庇ったわけじゃない。ただ、自分の仕事以外のことに『干渉しなかった』だけだ……)
「ヒーロー」という華やかな枠組みの裏側にある、厳格で現実的な「理」と「法」の重み。
出久と飯田は、自身の未熟さと、イレギュラーという存在の圧倒的な異質さを、背筋が凍るような思いで噛み締めていた。