『公安警察外局特定脅威処理記録:コード「削除済み」』 作:平素練磨
職場体験の期間が明け、雄英高校1-Aの教室には久しぶりに生徒たちの声が戻っていた。
「いやー! 凄かったぞマジで! ヒーローの現場ってのはさ!」
「私はガンヘッド先生のもとで武術(格闘術)を教えてもらったの! すごく勉強になったよ!」
麗日お茶子が拳を軽く握り、充実感の籠もった笑みを浮かべれば、常闇踏陰も影を纏うような佇まいで静かに頷く。
「ホークス……あの男の領域は常人の域を超えていた。己の未熟を突きつけられる良い機会だった」
八百万百もまた、ウワバミのもとでの職場体験を経て、ヒーローとしての見せ方と判断の難しさに思いを巡らせている様子だった。各々がプロの現場に触れ、確かな刺激と課題を持ち帰ってきている。
だが、教室の一角だけは、重く沈み込むような静寂に包まれていた。
飯田天哉は、席に就いたまま微動だにせず下を向いていた。
眼鏡の奥の瞳には、言葉にできない苦悩と悔恨の影が色濃く落ちている。兄を想うあまり正気を失いかけた自分と、目の前で繰り広げられたあまりに圧倒的な「理」の境界。かける言葉すら見つからず、ただ拳を固く握りしめることしかできない。
その隣で、緑谷出久は黙々と手帳にペンを走らせていた。
(喋っちゃダメだ……保須で起きたこと、先生が何をしたかは絶対に口にしちゃいけない……)
警察署長からの厳重な口留め。ステインの存在や事件の真相は完全に伏せられている。
出久は周囲に悟られないようぐっと息を殺し、脳裏に焼き付いて離れない「あの光景」を手帳の文字へと落とし込んでいた。
(個性を消された脳無の異形……そして、機械の補強フレームと無装甲の生腕。力で押し切るんじゃない。相手の骨格の角度と重力、運動のベクトルを察知して『滑らせる』……【武の理】……)
出久のペンの走る音が、カリカリと静かに響く。
自分の『フルカウル』は、まだ全身に力を巡らせて跳び回っているだけの段階に過ぎない。個性の出力に頼るのではなく、己の体幹と軸をいかに完璧にコントロールするか。出久の思考は、狂おしいほどの焦燥と探求心で満たされていた。
轟焦凍は、そんな出久と飯田の沈黙を遠目から静かに見つめていた。
自分は父親であるエンデヴァーとともに保須の別区画で脳無を制圧していたが、あの夜の街の異様な空気と、遅れて届いた「事態収束」の報の違和感を敏感に感じ取っていた。
扉が開き、担任の相澤消太が教室に入ってくる。
「——席につけ。ホームルームを始める」
一瞬で静まり返る教室。相澤は教壇に立つと、疲れた手つきで目薬を差してから生徒たちを見渡した。
「職場体験、ご苦労だった。各々、現場での経験を経て課題が見えたはずだ。……だが、浮かれている暇はないぞ。再来週末からは中間テストが始まる。筆記はもちろん、実技試験もな」
「実技……!」
緊張が走る生徒たち。出久は思わずペンを止め、息をのんだ。
教室の後方、誰もいない空席。
あの漆黒のバイザーを纏う男は、ここにはいない。どこかの密室で、傷ついたフレームの修復を受けながら、ただ機械のように次の「任務」の刻を待っているはずだった。
「……気を引き締めて臨め。以上だ」
相澤の冷ややかな宣告とともに、チャイムの音が静かに放課後を告げた。