『公安警察外局特定脅威処理記録:コード「削除済み」』 作:平素練磨
校長室の空気は、いつもと変わらず淹れたての紅茶の香気に満ちていた。
重厚なマホガニーのデスクを挟み、二つの書類が並べられている。「臨時特別講師委嘱契約書」、そして「緊急時現場介入における免責および公安経費相殺協定」。
対面に座る男は、一切の無駄を省いたKISARAGI製強化外骨格を組み付けた常時の装いのままだ。190センチを超える巨躯がもたらす圧迫感と、非常時の動作を一切阻害しない合理的な装備。顔面の上半を覆うハーフ遮光バイザーの奥からは、一切の熱量が窺えない。
根津はティーカップに口をつけ、静かに角砂糖を揺らした。
「『個性』依存からの脱却、および特殊環境下における実地生存講義……名目はいくらでも作れるがね」
根津の提示した条件はシンプルだった。公安からの危険な暗殺・粛清任務の頻度を下げ、雄英の非常勤枠として拘束時間を作ること。
「相澤くんからの報告は受けているよ。君のその『無駄のない生き残り方』は、これからの生徒たちにとって最高の泥を教える教材になるからね。……そして、少しばかり休みも必要だと思うよ」
男――イレギュラーは、差し出された契約書に視線すら落とさず、手袋を嵌めた指先で淡々と署名した。
「……必要なら、やる。業務としてこなすだけだ」
「相変わらず愛想のないことだね。では二ヶ月後――生徒たちの『最初のアセスメント』を頼むよ」
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**雄英高校 入試当日――モニター監視室**
巨大なモニター群には、各演習場を埋め尽くす受験生たちの姿が映し出されていた。
擬似ヴィランロボを相手に、豪華絢爛な「個性」が咲き乱れている。爆発、硬化、変形、射出。眩い光彩と破壊音がスピーカーから漏れ出ていた。
監視室の最奥、暗がりの中に二つの影が並んでいた。
一人は黒いヒーロースーツに身を包んだ相澤消太。もう一人は、完全実戦装備のまま動かないイレギュラーだ。
「……どう見えます、イレギュラー」
相澤が目線だけを動かし、短く問いかけた。
バイザーのデジタルグリッドが、機械的に受験生たちをアナライズしていく。
「……無駄だ」
イレギュラーの声は、機械音のような低音で短く吐き出される。
「全員、重心が高い。脚で踏ん張らず、個性の反動で振り回されている。個性を封じられた瞬間にただの肉塊になる」
「違いない」
相澤は深く息を吐き出し、目元を片手で押さえた。
「『個性』の出力を競うサーカスだ。自分がどれほど恵まれているか、どれほど物理的な身体が脆いかを理解していない。あんな足取りで路地裏に入れば、開始三秒で首を折られる」
モニターの端では、ひと際目を引く爆発的な出力の受験生(爆豪勝己)が、圧倒的な火力で仮想ヴィランを叩き潰していた。
「あいつの感覚は本物だ」と相澤が呟く。「だが……『個性』を完全に遮断されたとき、あの体の使い方がどこまで維持できるか」
「三歩で止まる。推進を個性の爆破に依存しすぎている。右踏み込みの際、遊脚の引き込みが遅い。個性が失われれば自重を支えきれずに足首を挫く」
「……あんたは、相変わらずだな」
相澤は苦笑に近い吐息を漏らした。
個性を無力化する『虚』の接触と、強化外骨格フレームのトルク、そして武の理に裏打ちされた絶対的な重心破壊。あの洗練された泥臭さは、個性に頼り切った現代のヒーロー社会に対する、最も過酷なアンチテーゼだ。
その時、モニターの中央で異変が起きた。
『ゼロポイント』――超大型ギミックヴィランロボの投入。
逃げ惑う受験生たちの中で、緑色の髪をした一人の少年(緑谷出久)が、完全に硬直していた。
相澤の目が細くなる。
「……腰が引けている。逃げ遅れた奴がいるにもかかわらず、身体がすくんで動いていない」
少年は土壇場で走り出した跳躍。踏み込みは不格好で、腕の振りも支離滅裂。
しかし振り抜かれた拳から放たれる天を突くような圧巻の衝撃波。跳躍した少年の一撃が超大型ヴィランの顔面を粉砕する。だが、その代償として少年の右腕と両脚は自壊し、無様に落下していく。
監視室内に、わずかな沈黙が流れる。
「……滅茶苦茶だな」
相澤が吐き捨てるように言った。
「一発撃って自分が全壊するなら、実戦ではただの肉の壁だ。……不合格だな、自己保存の観点から言えば」
「……自壊の計算すらできていない」
イレギュラーの視線は冷徹だった。バイザーの奥で、落下の軌道と衝撃による骨砕をデータとして淡々と弾き出している。
「骨格の強度が出力に追いついていない。ただの物理的な自爆だ。あのような運用の仕方を続ければ、業務を継続する前に廃人になる。……しかし、道具を使い潰すタイミングは理解している」
感情の揺らぎも、指導者としての熱量もない。ただ「道具としての耐久限界と欠陥」を事実に即して指摘しただけだった。
イレギュラーは興味を失ったように背を向け、監視室のドアへと歩き出した。強化外骨格の稼働音が、カチリと静かな金属音を響かせる。
「……それだけだ。次はグラウンドで計測する」
相澤は去っていく背中を無言で見送り、再びモニターへと目を戻した。