『公安警察外局特定脅威処理記録:コード「削除済み」』 作:平素練磨
地下3階に設置されている、ヒーロー達サポート道具を確認するために設けられた区画。
コンクリート露出の冷ややかな空気の中で、代用フレームの駆動圧力がプシューと音を立てて抜けた。
応答速度(レスポンス)にして約0.1秒の遅延。
2号機に比べ、シリンダーの油圧立ち上がりに僅かな粘着感が残る。だが、体軸の倒し込みと柔法の重心移動を先行させることで、機械側のラグは完全に相殺された。
フレームの関節ピボットには設計値を超える物理的負担がかかり、微細な金属摩擦音が響いたが、彼にとってそれは「合宿までの消耗品」が順当に摩耗している事実に過ぎない。
慣れた手つきで固定ボルトを外し、無骨な黒染めフレームを折りたたむ。
大型のキャリーケースへ静かに収め、ロックを引いた。
地上では、一般客やヒーローたちが華やかなイベントに胸を打たせている頃だ。
だが、彼に与えられているのは雄英高校の引率補助という事務的な名目と、一般のゲスト用IDのみ。
アイランド警備部門にとって、彼は監視や協力を要請する対象ですらない「ただの引率者」であり、それ以上の意味も権限も持っていなかった。
キャリーケースのハンドルを握り、地下の連絡通路へと踏み出す。
案内ドローンの電子音が、一定のインターバルを置いた合成音声で頭上から降り注ぐ。
『——本区域は、企業および招聘ヒーロー向けに公開されているアイランド地下第一警備ルートです。最新の自動防衛システムおよびメインタワー直結の監視AIにより、24時間体制で厳重なセキュリティが保たれており——』
淡々と広報音声を吐き出しながら、頭上を並走する球形ドローン。
その言葉通り、壁面に埋め込まれた光学センサーやID認証ゲートは正常に稼働し、万全な防衛体制を無言で主張している。
外部からの強引な侵入など起こり得ない、完成された管理機構。
静まり返った警備通路の前方から、一人の男が歩いてくるのが見えた。
アイランドのIDカードを胸に下げた、研究員風のスーツを着た男。
男の手には、小ぶりのデータ端末が握られている。
案内ドローンの音声が響き渡る中、男と彼の距離が縮まる。
すれ違うその数メートル手前。
男——デヴィッド・シールドの秘書であるサムの視線が、わずかに揺れた。
正面に向けられていたはずの瞳が、彼(イレギュラー)の姿を捉えた瞬間、過剰なまでに急速に右下の床へと逸らされる。
ただ視線を外したのではない。
首筋の筋肉が一瞬で強張り、歩調のテンポがコンマ数秒だけ狂い、握りしめられた端末へ指先が白くなるほど力が込められた。
「視線を合わせない」という意識が先行するあまり発生する、人間が後ろめたい作業や過度の緊張状態にある時の特有な生理的拒絶挙動。
外部の攻撃や不法侵入を示す警報は鳴っていない。
案内ドローンも何一つ異常を検知せず、優雅にセキュリティの万全さを誇示し続けている。
だが、この厳重な警備通路のただ中で、いま眼の前を通り過ぎようとしている男の肉体だけが、異常な高張力(ストレス)を発している。
彼に迷いはなかった。
映画的な勘でも、サイバー的な察知でもない。現場で不審な挙動を見せる人間に対する、淡々とした作業としての対処。
すれ違いざま、体軸をわずかに倒し込んで無駄なくステップを切り替える。
男の進行方向を塞ぐ位置へ、回り込むようにして静かに足を踏み出していた。
「——おい」
キャリーケースを引いたまま、男の正面に立ち塞がる。
感情の通わない冷ややかな視線で、強張った男の顔を見下ろした。