『公安警察外局特定脅威処理記録:コード「削除済み」』 作:平素練磨
地下搬入路の暗がりの中で、キャリーケースのロックが外れるカチャリという乾いた音が響いた。
イレギュラーは一切の手淀みなく、折りたたまれた『代用フレーム』を展開する。
2号機のような洗練された曲面構造や、応答性を極限まで高めたチタン合金の油圧シリンダーはそこにはない。黒染め処理が施された厚手のアングル材と、汎用の高圧エアシリンダーを無理やり噛み合わせた無骨な骨組み。元KISARAGI主任開発技師が一晩で組み上げた、まさに「その場しのぎ」の代用品だ。
ベースとなっているのは、災害救助や重現場用に流通している汎用のアシストフレーム。そのため腰部ラックには、瓦礫撤去や緊急救助用の小型バール(レスキューバール)が標準装備として収まっている。
フレームを背負い、両腕・両脚のメインボルトを締結していく。
外骨格を着用する本来の理由は明白だ。背部に備えられた推力機を作動させた際の強烈な反動と荷重に耐えること。そして、短距離とはいえ人体を超越する高速移動を行った際の、凄まじい着地衝撃から肉体を防護すること。
脚部や関節部に配置された剛性フレームは、あくまでその衝撃吸収機構であり、戦闘における蹴り技などへの流用は副次的なオプションに過ぎない。
カチ、カチ、とレンチの規則的な金属音だけが暗闇に沈む。
装着完了と同時にアクチュエータへ圧縮空気が送り込まれ、背部ユニットが微かな排気音を吐き出した。
シリンダーの立ち上がりには、2号機に比べ明らかに重い粘着感——約0.08秒の遅延が残る。
彼はその遅れを頭の中で冷静に織り込んだ。
機械側がコンマ数秒遅れて追従してくる以上、体軸の倒し込み(重心移動)を先行させて動けば、その分だけ自身の骨格と筋肉へ不自然な引っ張り負荷がかかる。摩耗するのは機械だけではない。この「なまくら」を扱うこと自体が、彼の肉体にとっても確実な負担となって蓄積していく。
だが、彼は顔色一つ変えずに感触を確かめた。負担になるからと言って、動きを躊躇する理由にはならない。
搬入路の先、高剛性の防衛シャッターが地下連絡口を完全に封鎖していた。
ロックダウンにより完全に閉塞された重装甲隔壁。厚さ数センチの複合鋼板と電磁ロックで噛み合ったこれを、力任せに打ち破ることなど不可能だ。
しかし、いかに強固な防衛システムであっても、全電源喪失や致命的災害に備え、現場には必ず「物理的な手動非常開放機構」が組み込まれている。
彼はシャッター脇の壁面、分厚いステンレスカバーで施錠された「非常用手動開放ボックス」の前で膝を突いた。
腰部ラックから慣れた手つきで小型レスキューバールを引き抜く。
カバーのシリンダー錠付近の目地へバールの先端を滑り込ませると、代用フレームのアクチュエータに圧力をかけた。
フレームのシリンダー出力とテコの原理が同時に作用し、カバーの堅牢な鍵穴(ロックピン)が歪んで弾け飛んだ。剥き出しになったボックスの内部には、高圧油圧の緊急リリースレバーが格納されている。
彼はバールを腰に戻すと、油圧レバーへ迷いなく手をかけた。
機械の応答遅延によるズレが手首の骨格に重く跳ね返ってくるが、そのまま一気に体重と体軸の質量をかけてレバーを押し倒す。
重厚な物理打撃音と共に、シャッター上部の電磁デッドボルトが強制駆動され、噛み合いが外れた。
直後——壁面の警告ランプが赤く点滅し、高音のアラームが地下通路に鳴り響いた。
『警報。地下第3搬入路、手動非常開放バルブが操作されました。警備室へ通知します——』
機械的なアナウンスが繰り返される。
タワー最上階を占拠したヴィラン側の監視盤にも、間違いなく「地下搬入路での異常手動操作」としてアラートが灯ったはずだ。
だが、イレギュラーの表情には微かな波紋すら生じない。
警報が届くことなど、最初から計算に入っている。彼らがこの異変に対して確認の部隊を派遣する頃には、自分は既にこの場所にはいない。
シャッターが自重と逃げた油圧で数十センチ持ち上がると、彼はぬめりとした体動で隙間へ身を滑り込ませた。
シャッターの向こう側は、中央タワーの基幹インフラシャフト——巨大なエレベーターケーブルと高圧送電線が垂直に貫く、漆黒の縦穴(シャフト)だった。
上層階からの風切り音と、遠くかすかに響くセキュリティのアラーム音。
階段や非常階段といった「人間用の動線」は迂回が多く、防衛トラップやシャッターで分断されている可能性が高い。
最短距離は、この垂直に伸びるインフラの空洞を直線で穿つことだ。
彼は迷わず、シャフトの壁面に等間隔で固定されている厚鋼管の保守用ステップへと手をかけた。
カン、と冷たい金属音が響く。
一段、また一段。
華やかなレセプション会場で何が起きているのか、1-Aの生徒たちがどこにいるのか、ヴィランの目的が何なのか——そうした「ドラマ」や「文脈」に、彼の思考が割かれることは一切ない。
地下で鳴り響く警報を背に受けながら、機械の遅れによる関節のきしみと負担を淡々と全身で引き受け、ただ目の前にある垂直の鋼管を掴み、冷徹に質量を上方へと移動させていく。
(80階まで、垂直距離およそ三百四十メートル)
吐き出される浅い呼吸。
暗闇の中、代用フレームの無骨な排気音だけが、縦穴の奥へと静かに消えていった。