『公安警察外局特定脅威処理記録:コード「削除済み」』 作:平素練磨
入学日、晴天のグラウンド。
「自由な校風……それが雄英の売りだ。そしてそれは、講師側もまた自由ということでもある」
青の体操服に着替えた一年A組の面々は、目の前に立つ担任・相澤消太の発した言葉に息をのんだ。
「個性把握テスト」――そして「最下位の一人は見込み無しとして除籍処分」。その過酷な現実を告げる相澤のすぐ左隣に、もう一つの異質な影が聳え立っていた。
黒地のKISARAGI社製の強化外骨格を組み付けた一九〇センチを超える。顔面の上半を覆うハーフ遮光バイザーからは一切の表情が読み取れず、背部エンジンの排熱孔から、かすかに油圧と金属の臭気が漂っている。
非常時の動線を何ひとつ制約しない、完全な実戦ヒーローコスチューム。
男は腕を組むこともなく、ただそこに「重力」として存在するように無言で佇んでいた。
「……先生、その隣の方は?」
切島鋭児郎が眉をひそめ、不気味な威圧感を放つ巨躯を見上げて尋ねた。
相澤は目線だけを動かし、短く吐き出す。
「特別講師の『イレギュラー』だ。お前たちの物理的な不備と、個性に頼り切った肉体の脆さを計測してもらう。……おい、何か言うことはあるか」
相澤の問いかけに対し、イレギュラーは口を開かなかった。
ただバイザーのデジタルグリッドが一瞬だけ明滅し、生徒二〇人の骨格、筋肉のつき方、立ち姿の重心を機械的にスキャンする動作音だけが静かに響く。
無言。しかしその無言こそが、言葉以上の圧迫感となってA組の頭上に重く伸しかかった。
(……なんなんだ、あの人……プロのヒーロー……? 装備が、雰囲気が……まるで戦場からそのまま歩いてきたみたいな……)
緑谷出久はゴクリと唾を飲み込み、その姿を凝視した。
首元に巻かれた、煤けて擦り切れた深紅のマフラー。使い込まれた強化外骨格フレームの無骨さ。バイザー越しに向けられる、熱量を一切含まない冷徹な視線。
いつか、遠い昔。公園で無個性に泣いていた自分に、あの使い古されたマフラーを託した異形の背中。その記憶の断片が、目の前の男の佇まいと不意に強く重なりかけ、出久の胸を鋭く突いた。
(……まさか、ね……。でも、あの気配……)
同時に、少し離れた列に立つ轟焦凍もまた、オッドアイの瞳をわずかに細めていた。
重厚な強化外骨格が刻む、微小な作動音。
四歳の頃。父・エンデヴァーの絶対的な支配下にあった轟家へ足を踏み入れ、父親と一切の言葉を交わさず一時間の無言の殴り合いを敢行した、あの嵐のような男。
(……あの男か……?)
焦凍の思考を遮るように、相澤の冷ややかな声がグラウンドに響いた。
「説明は終わりだ。始めるぞ」
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計測が始まった。
爆豪勝己の爆破を利用した七〇〇メートル超えの記録を皮切りに、生徒たちは次々と自慢の「個性」を発揮していく。50m走、握力、立ち幅跳び――華やかな光彩と爆音、圧倒的な数値がグラウンドを彩った。
だが、相澤の横に立つイレギュラーは、一度として驚きも感嘆も見せなかった。
バイザーの奥で描かれるのは、彼らの華々しい数値ではない。
『爆破の際、右膝の負担が限界値に近い』
『跳躍の着地時、軸足の踏み込みが浅くバランスを崩している』
『個性が途切れた瞬間、全身の筋肉が緩み、完全な無防備に陥る』
徹底された武の理と構造解析の観点から、彼らの「個性に隠された物理的欠陥」をデータとして淡々と蓄積していく。
生徒たちにも、その冷酷な視線は伝わっていた。
どれほど派手な記録を出そうと、あの大男は一切の感情を動かさない。自分たちの自慢の力が、まるで「無駄な悪あがき」として片付けられているかのような不快感が、じわじわと場を支配していく。
そして、緑谷出久の番が巡ってきた。しかし個性を全力で発動出せた瞬間消えさる。
「……緑谷は、個性の制御ができないのか?」
相澤の『抹消』によって個性を封じられ、説教を受ける出久。
逃げ場を失い、追い詰められた出久は、再び円の中に立った。指一本に『ワン・フォー・オール』を集中させ、全力を解き放つ。
ドカァン――!
爆風とともにボールが空へと消え、表示された記録は「七〇五・三メートル」。
指を一本だけ赤黒く自壊させ、激痛に耐えながら拳を握りしめる出久。
「相澤先生……まだ、動けます!」
出久の言葉に、相澤は僅かに口元を歪めた。
その横で、イレギュラーの視線が出久の折れた指と、全身の軸へと向けられる。
(自壊を前提とした出力調整。土壇場での覚悟……だが、構造的にはただの破綻だ。一回撃てば一箇所が壊れるギアなど、実戦では欠陥品以外の何物でもない)
だが、その冷徹な観察をぶち壊すように、一炎の爆風が上がった。
「どういうことだ!! 説明しろデク!!!」
咆哮とともに飛び出したのは、爆豪勝己だった。
両手から爆破を噴射し、圧倒的な推進力で出久へ肉薄する。顔を怒形に歪め、自慢の個性を全開にして「隠し事」をしていた出久を叩き潰そうと迫る。
「……チッ」
相澤が捕縛布を構えかけた、その瞬間。
爆豪と出久の直線上に、黒い影が割り込んだ。
速い、という表現すら正しくない。
推進力の爆音に隠れ、足音ひとつ立てずに間合いを詰めた一九〇センチの――イレギュラー。
「退け、邪魔だオッサン――!!」
激昂する爆豪は眼前を塞ぐ相手に向け、右手の爆炎を叩きつけようと掌を向けた。
だが。
爆炎が弾けるよりも、個性が発動するよりも、圧倒的に早く。
イレギュラーの右手が、爆豪の右腕の軌道へ「滑り込んだ」。
個性を無力化する『虚』を出すまでもない。武の理に基づく、中心軸の剥奪。
爆豪の突き出された腕の先ではなく、肘の支点と肩の関節のラインに、オープンフィンガーの手袋を嵌めた指先が吸い付くように触れる。そのまま、爆豪が自ら出していた前進の運動エネルギー(ベクトル)を、一切殺さずに円運動へと滑らかに転換した。
「――が!?」
視界が、上下逆転する。
爆豪の体に負荷がかかったのではない。自分が全力で踏み込んだ力が、そのまま自分を地面へ叩きつける力へとすり替えられたのだ。
爆発を起こす隙すら、指に力を込める猶予すら与えられない。
ダァンッ!!!!
重い打撃音とともに、爆豪の体はグラウンドの土へと激しく激突した。
背中から地面に叩きつけられ、肺の空気が力任せに押し出される。土煙が舞い、グラウンド全体が静寂に包まれた。
「……な……」
生徒たちの誰もが、呼吸を忘れてその光景を見つめていた。
あの圧倒的なソフトボールで火力を見せた爆豪が。個性を発動させることすらできず、ただの「体の捌き」一回で、一瞬で地面に這いつくばらされた。
イレギュラーは地面に転がる爆豪を見下ろすこともなく、ただ拘束を解いて手を引いた。
強化外骨格の稼働音が、静かに「カチリ」と鳴る。
「……軸が軽い」
機械的な低音が、冷酷に響いた。
「個性の爆発に頼り、踏み込みの瞬間に重心が浮いている。技を出す前に体が壊れている。……ただの体捌きで死ぬぞ」
「う……あ……ッ」
爆豪は胸を押さえ、荒い息を吐きながらイレギュラーを睨みつけた。
痛みのせいではない。恐怖のせいでもない。
(個性を……出す間すら……なかった……? こいつ……何を……俺に……しやがったっ!?)
全身を焼くような、理不尽なまでの屈辱。
自慢の爆発も、天才的な戦闘センスも、何ひとつ発揮できないまま、ただの「重力と運動の法則」によって子供のようにあしらわれた。爆豪の拳が、みじめにグラウンドの土を強く握りしめる。
相澤が捕縛布を巻き直し、冷淡な声で付け加えた。
「……そういうことだ。どれほど強力な個性を持っていようと、発動の隙を突かれ、物理的な理で崩されればお前たちはただの脆い肉塊になる。それを忘れるな」
相澤は生徒たちを見回し、最後に短く告げた。
「テストを再開する」
イレギュラーは再び相澤の横へと戻り、何事もなかったかのように無言の巨木として佇んだ。
その背中を、出久は、焦凍は、そして膝を震わせながら起き上がった爆豪は――それぞれの強い衝撃とともに、じっと見つめ続けていた。