『公安警察外局特定脅威処理記録:コード「削除済み」』 作:平素練磨
個性把握テストが終わり、除籍処分がただの「合理的虚偽」であったと明かされた後。
夕暮れ時の1年A組の教室は、安堵感と疲労、そして何よりグラウンドで目撃した「圧倒的な理」の余韻によって、どこか異様な空気に包まれていた。
「マジでビビったぜ……除籍とか言われた時は生きた心地がしなかった……」
切島鋭児郎が大きく息を吐きながら、自分の机の前に腰を下ろす。
「でもさ……すごかったな、最後の相澤先生の言葉。それに……あの特別講師の人」
瀬呂範太が腕を組み、後方の窓際を見やりながら声を潜めた。
「『イレギュラー』……だったか? マジで何なんだよあの圧倒的な圧。主席合格だった爆豪のやつが、個性を出す暇すらなかったろ」
その言葉に、教室の一角が一瞬でピリついた。
一番後ろの席で、爆豪勝己は肘を机につき、両手を強く噛み締めながら窓の外を睨みつけていた。
本来なら暴言の一つでも吐いて怒号を飛ばすはずの男が、完全な無言。
全身から削り出されるような不快な殺気と、グラウンドの土の感触が残る手のひらを震わせる姿が、かえって事態の深刻さを物語っていた。
(個性を発動させる前に……体の軸を抜かれた……)
屈辱で歯根が鳴る。
自分の爆破は天才的で、誰よりも強いはずだった。なのにあの男は、爆発の熱量すら見ずに、ただの「骨と筋肉の動線」だけをすれ違いざまに捉え、子供を転がすように地面へ叩きつけてみせた。
「……技を出す前に体が壊れている」
耳の奥にこびりつく、機械的な低音。
自分に向けられたのは攻撃ですらない。ただの「欠陥の指摘」だったという事実が、爆豪のプライドを内側からズタズタに引き裂いていた。
一方、最前列付近では緑谷出久がノートを開き、震える指先でペンを走らせていた。
『特別講師:イレギュラー』
『個性:不明(今回のテストでは不使用)』
『戦闘スタイル:過剰な個性に頼らない体捌き。相手の推進力と中心軸を利用した無駄のない制圧』
(……相澤先生の『抹消』とは違う。あの人は個性を消したんじゃない。僕たちの体が『個性を出そうとする瞬間の隙』を、物理的な理だけで潰したんだ……)
包帯が巻かれた自分の右手の指を見つめる。
一発で自壊する自分の『ワン・フォー・オール』。あんな圧倒的な武の理を見せつけられた後では、己の無力さと技量のなさが一層際立って思えた。
(それに……あのマフラー)
出久の脳裏に、幼い頃の記憶が嫌でも蘇る。
無個性に泣いていた自分に、冷たく、だが確かに体を鍛えろと言い放ったあの背中。
何もかもが似ている。だが、確かめる術も度胸も、今の出久にはなかった。
教室の最奥、窓際の席では轟焦凍が静かに鞄を整えていた。
(……あのサポート道具の排熱音。間違いない)
焦凍のオッドアイの瞳に、冷ややかな光が宿る。
四歳の頃。父・エンデヴァーの絶対的な支配下にあった轟家へ足を踏み入れ、父親と一切の言葉を交わさず一時間の無言の殴り合いを敢行した、あのヒーロー。
(……なぜあの男が雄英にいる)
焦凍は深く息を吸い込み、静かに席を立った。
ヒーロー社会の「光」である雄英高校の日常の中に、確実に異質な存在が紛れ込んでいる。その事実を、A組の誰もが肌で感じ取っていた。
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その頃、校舎の校長室。
夕闇が差し込む室内のソファで、相澤消太が缶コーヒーのプルタブを引き抜いていた。
「……あいつらの顔、見みましたか。入試のテスト結果で浮かれていた連中のツラが、一瞬で引き締まりましたよ」
「君も相当な悪相だったがね、相澤くん」
根津はティーカップを傾けながら、デスクの向こう側に立つ巨大な影――イレギュラーを見上げた。
イレギュラーは相変わらず完全実戦装備のまま、壁際に無言で佇んでいる。
バイザーの表示はオフにされ、暗がりの中に彼の視線が沈んでいた。
「で、どうだったい? 我が校の『希望の卵たち』は」
根津の問いに対し、イレギュラーは数秒の静寂の後、短く答えた。
「……伸び代ではない。欠陥の多さだ」
「相変わらず手厳しいねぇ」
「特に、爆豪と……緑谷だ」
イレギュラーの声には、熱量も感情も存在しない。
「爆豪は個性の出力に身体能力が追いついていない。ただの天狗だ。路地裏なら最初の角で死ぬ。……緑谷の方は、自分の肉体を壊すことに躊躇がない。道具としての耐久限界を理解していない。あれは教育ではなく、構造補強が必要だ」
「……だから言ったろ、あんたが教壇に立つ意味があるってな」
相澤が缶コーヒーを口に含み、悪い顔を浮かべた。
「個性に溺れた爆豪と、個性に振り回される緑谷。どちらにも『生の物理』を叩き込めるのは、泥を被り続けてきたあんたくらいだ」
「……俺は教えない」
イレギュラーは背を向け、ドアノブに手をかけた。強化外骨格フレームが、カチリと冷たい金属音を立てる。
「……倒れて放置されたゴミを、足元から退けるだけだ」
男はそう吐き捨てると、夕闇の廊下へと消えていった。
残された根津と相澤は、その重々しい足音を聞き送りながら、静かに視線を交わすのだった。