『公安警察外局特定脅威処理記録:コード「削除済み」』 作:平素練磨
言葉を交わす隙すら存在しなかった。
出現した黒いマスクの男——オール・フォー・ワンが右腕をわずかに持ち上げた瞬間、そこには予備動作も溜めも存在しなかった。
空気が破砕される不気味な重圧音。無数の「個性」が複合圧縮された指向性衝撃波が、破滅の津波となって倉庫の全方位へ放射される。
避ける時間はない。
最前線に位置していたイレギュラーの足裏が、粉塵を巻き上げて地を砕いた。
2号機の背骨・脚部シリンダーが許容量限界の排気音を吐き出し、トルクを全開で立ち上げる。コンクリートをえぐる踏み込みと同時に、さらに前へと身体を滑り込ませた。
一切の装甲を持たない二の腕から先を前方に交差させ、迫り来る波頭へと突っ込む。
Void(虚):現象の無効化
空気の膜が連鎖的に弾ける高周波音。
オール・フォー・ワンの右腕から放たれた衝撃波のうち、イレギュラーが触れた中心軸の「個性の現象」そのものが物理的接触の瞬間に消失する。
だが——消せるのはあくまで「個性」そのものだ。
指向性衝撃波が周囲の培養管、鉄骨、そして高圧配管を破砕したことで引き起こされた二次的な連鎖爆発と実体物質の破砕(瓦礫の飛散)までは消し去れない。
轟音とともに爆炎とコンクリートの破片が全方位から襲いかかり、個性を消去し続ける動作そのものが爆発の衝撃によって物理的に寸断・中断された。
「……ッ!」
爆風と質量に押し潰されながら、2号機の骨格フレームがギチチ……と甲高い悲鳴を上げる。シリンダーの圧力弁が限界まで熱気を吹き出し、強引に体軸のブレを抑え込みながら地表を数メートル切り裂いて踏みとどまった。
その背後——。
中心軸の個性の威力が直接削ぎ落とされた死角に位置していたベストジーニストやMT.レディ、公安の隊員たちは、直撃による即死を免れていた。
それでも二次的な爆発と風圧によって全員が激しく吹き飛ばされ、瓦礫の中に倒れ伏す。
「がはっ……!?」
ジーニストが血を吐きながら身を起こそうとするが、工場一帯は跡形もなく吹き飛び、一瞬にして爆炎のクレーターと化していた。
その煙の奥で、悠然と佇むオール・フォー・ワン。
「おや……?」
マスクの奥から、冷徹な興味を含んだ声が漏れる。
「今の一撃で全滅させたつもりだったが……君周辺の個性が打ち消されたのかな。非常に珍しい個性だ。君のその『個性』、欲しいなぁ」
イレギュラーは答えない。
口内に広がった鉄の味を殺し、低く腰を落とす。2号機のシリンダーが、熱気を孕んだ蒸気をシュウッと吐き出した。
肋骨に数本ヒビが入り、2号機の背骨フレームにはわずかな歪みが生じていたが、足裏の軸はしっかりと崩壊した地表を捉えていた。
その時、オール・フォー・ワンの足元から、再びあの不気味な黒い液体が溢れ出す。
その泥の中から転送されてきたのは、拘束された状態の爆豪勝己、そして死柄木吊ら敵連合の面々であった。
「がはっ……! なんだ……ここは……!?」
事態の変貌に困惑する爆豪。
遠く瓦礫の影では、神野区のアジトから爆豪を追って潜入していた緑谷出久、轟焦凍、飯田天哉、八百万百たちが、呼吸すら殺してその圧倒的な絶望を凝視していた。
イレギュラーは感情を殺した眼光のまま、歪んだ2号機のトルクを静かに再充填させ、黒いマスクの脅威から一瞬たりとも視線を外さなかった。