葬送のフリーレン〜名もなき故郷の哀歌〜 作:みかん色の夕焼け
ナヒトの墓地は、村の北西にある小高い丘の上にあった。
細い坂道を上っていくと、人々の住む家々が途切れ、古びた石垣に囲まれた一角が見えてくる。墓地の周囲には背の低い木々が植えられ、風が吹くたびに枝葉が静かに揺れていた。
村の規模は大きくないが、墓石の数は決して少なくない。村の長い歴史を示すように、風雨に晒されて古びたものから、まだ建てられて間もないものまで、様々な様子の墓石が並んでいる。
「なぁ、本当にいると思うか?」
墓地の入り口に差し掛かった頃、シュタルクがそう呟く。歩きながら、フェルンがちらりと視線を向ける。
「お婆さんの話では、よくここに来るとのことでした」
「まあ、そうなんだけどさ。魔族が墓参りって、本当にあり得るのかなって。師匠はよく墓に祈ってたけど、魔族が同じことをする姿が俺には想像できないんだ」
「それについては、私も同じ気持ちです。ですが、あの方が嘘をついているようにも思えませんでした」
二人の会話を聞きながら、フリーレンは前方に見えてきた墓地へ目を向けた。
「嘘をつく理由もないからね。……それに少なくとも、あの魔族がここにいるのは本当みたいだ」
フリーレンがそう言うと、二人もその視線を追った。
墓地の奥に、白い人影があった。灰褐色の髪に、白い一対の角。金の刺繍が施された白い衣服を纏い、片目を黒い布で覆っている少女のような姿。ネーニアだった。魔族の少女は墓石の前に膝をつき、小さな籠から野花を取り出していた。
色とりどりの花を丁寧に束ね、墓前へ供える。それから、墓石に付着した落ち葉を取り払い、綺麗に掃除し終えると、隣の墓へと移動していく。
その動作には迷いがなかった。決められた作業を淡々と繰り返しているといってもいいだろう。
「ここにいたんだね、ネーニア」
フリーレンが声をかけた。すると、淡い金色の瞳がゆっくりと三人へと向けられる。
「おはようございます。旅の方々」
昨日と同じ、澄んだ小さな声だった。敵意も悪意も感じられない。だが、その声には感情らしいものも籠もっていなかった。澄んだ声色を鈴の音のような声と表現することもあるが、ある意味で少女の声はまさにそれだった。
フリーレンは、ネーニアが供えた花へ目を向ける。きちんと切り揃えられた瑞々しい野花が墓の前に置かれている。
「驚いたよ。魔族が本当に死者を悼むなんてね」
「魔族が人間の死者を悼んではならない、という決まりはないと思います」
「別に駄目だと言っているわけじゃないよ」
ネーニアは「そうですか」と興味も無さそうに返答してきた。三人から視線を外し、また墓の手入れを再開する。そんな少女へと、フリーレンは話を続ける。
「それで、どうしてそんなことをしているの?」
「花を供えること、ですか?」
ネーニアは手を止めず、静かに言葉を紡ぐ。
「村の皆さんが、そうしているからです。人間は、亡くなった同族の墓に花を供え、墓を手入れする習慣があります。ですから、私も同じようにしています」
「それだけ?」
「はい」
ネーニアからの返答はそれだけだった。フリーレンは墓石へ視線を落とす。古くなった石の表面には、故人の名前が刻まれている。
「お前は、この人のことを知っているの?」
「はい、この村で暮らしていた方ですから」
「どんな人だった?」
「村で大工をしていた方です。椅子や机の修繕を頼まれることが多く、足が不自由でしたが、丁寧な仕事をされる方でした。今から十七年前に亡くなっています」
十七年前に亡くなったということは、あの青い屋根の家に住んでいた老婆の亭主の墓なのかもしれない。ネーニアは墓石を見つめたまま続ける。
「生前は、私にも何度か家具の修繕方法を教えてくださいました。そのおかげで、今では多少の修理くらいなら、私でもこなせます」
「お前はその人と親しかったんだね」
「親しいというのは、どの程度の交流を指すのでしょうか?」
ネーニアからの問いかけには、懐かしさも、寂しさも感じられなかった。言葉の定義を確認しているだけの、どこか空虚な響きがある。
フリーレンは少し返答に詰まってしまう。自分もこの手の話は得意ではないからだ。そして、こんなときに思い出すのは、やはりヒンメルたちとの思い出だった。
「そうだね。例えば、その人が死んで悲しいと思うなら、親しかったんじゃないかな」
「それなら、親しくなかったのかもしれませんね」
「……そう」
平然と答えるネーニアに、フリーレンもまた淡々とした反応を返す。聞いている限り、この少女と故人にはそれなりの交流があったのだろう。それなのに、その死に対して悲しみを感じることはない。丁寧に墓を整えながら、葬られた故人とは親しくなかったと明言してしまう。それは、どこか破綻した行為に思えた。
そして、この頃には、フェルンとシュタルクは、目の前の魔族が村人たちに向ける笑みを、自分たち三人には一度も向けていないことに気付いていた。フェルンは杖を握る手に力が入り、シュタルクは斧にいつでも手を伸ばせるように気を張り詰める。
「この方が亡くなったとき、奥さまは随分と悲しんでいらっしゃいましたし、葬儀の際には、村の人々が多く集まっていたのを覚えています」
「お前も葬儀に出たんだね。そこで何を思ったの?」
「この方の葬儀に限った話ではないのですが、人間は死者に対して様々な行動を取るのだと思いました」
その返答に、フェルンが眉をひそめる。
「……様々な行動、ですか?」
「はい。涙を流す方もいれば、笑顔で故人の思い出を語る方もいます。同じ人物の死を前にしても、反応には個人差があるようです。どの行動を選択するのが正解なのかは、私にはまだ分かりません」
亡くなった人に対する感情など、個人によって違うものだ。その人との関係性、家族なのか友人なのか知人なのか。どんな思い出を作ってきたのか。また、見送る側の性格によっても、葬儀での反応は違うだろう。正解など存在しないのだ。そんな人間にとって当たり前のことが、魔族には理解できない。
「ですが、花を供えるという行為については、多くの方が好意的に受け取ってくださいます。村の皆さんが喜んでくださるなら、自分の行動の意味を理解できなくとも、私は構いません」
「……それは、そうかもしれません。なら、あなたは亡くなった誰かにもう一度会いたいと思ったことはないのですか?」
フェルンはさらに問いかける。目の前の魔族は、死者に花を供えるという人の習慣を知っている。葬儀に参列し、墓を訪れ、遺族へ慰めの言葉をかけることもできるのだろう。
しかし、それらが何のために行われるのかを理解しているのだろうか。死者を悼むという行為の形だけを知り、その根底にある悲しみや愛情が欠けているように思えてならなかった。
「……? 生者が会いたいと望んでも、死者がそれに応じることはできないと思いますが」
「いや、そういう話じゃねえだろ」
思わずシュタルクが会話に割って入る。庇うようにフェルンの斜め前に立ち、その赤い瞳で魔族の少女を真正面から捉えた。
「もう一度会いたいって思うから、会えねえのが悲しいんだろ。大切な人だったら、なおさらだ。叶うとか叶わないとかじゃなくて、そういうもんなんだよ」
「なるほど。つまり、生前の交流によって形成された執着が、死後も持続するということですね。何となくですが、ようやく理解できました」
「執着、って……。マジで言ってるのかよ」
シュタルクの赤い瞳とネーニアの淡い金色の瞳が交錯する。だが、シュタルクと違い、少女の瞳には困惑の色すら浮かんでいなかった。
「……もういいよ、二人とも。やっぱりこいつは魔族だ」
フリーレンは既に杖を構えていた。あの老婆も村人たちも、ネーニアを優しい少女だと言った。実際、彼女は村人たちに優しく接しているのだろう。ただ、その優しさは人間のそれとは違う。この魔族は、人間の感情を理解して行動しているのではない。人間がどのような行動を喜ぶのかを知り、それに合わせているだけなのだ。
人間ではない化け物が、一時的に人間の皮を被っている。例え、どんなに村人から責められることになっても、ここで討伐しておくべきだろう。
「最後に一つ、聞いてもいい?」
「はい、何でしょうか」
フリーレンの言葉に、ネーニアは小さく首を傾けた。
人間の感情を理解できない魔族が、三十年もの歳月をかけ、人間社会に溶け込んでいる。村人たちの話を聞く限り、ネーニアは最初から人間との交流が上手だったわけではない。人間の感情にどう応じればよいのかも分からなかった少女が、今では相手の表情や声色から適切な言葉を返している。
その知識を、どこで、どのように手に入れたのか。フリーレンには、思い当たることがあった。フリーレンの碧眼が冷たく、鋭くなっていく。
「ネーニア、お前がその言動を身につけるために、一体どれだけの人間を犠牲にしてきた?」
その声には、先ほどまでの淡々とした調子とは異なる、冷たい怒りが滲んでいた。
魔族がここまで人間に詳しくなるためには、一体どれほどの時間と経験を必要とするのか。一体どれだけの人間と触れ合い、殺してきたのか。想像もできない。ネーニアは答えなかった。そのまま視線を伏せ、考え込むような仕草をする。風が吹き、墓地の木々がかすかに揺れた。しばらくしてから、ネーニアは口を開いた。
「すぐには答えられません。記憶を辿り、一人ずつ数えるとなれば、かなりの時間を要します」
シュタルクの背筋に、冷たいものが走った。殺してきた人間の数を、すぐには答えられない。それは、つまりそういうことだ。
──人間を殺してきた魔族特有の、嫌な感じがしました
──相当な数を殺しているはずだ。千人を超えていてもおかしくない
昨日、フェルンとフリーレンが言っていた言葉を思い出す。目の前にいるのは、村人たちの墓に花を供える、小柄な少女の姿をした魔族だ。つい先ほどまで、人間の習慣について穏やかに話していた。その同じ口で、数えるのに相当な時間を要するほどの人間を殺してきたと認めたのだ。
フェルンが杖を握り直し、シュタルクも背中に下げた斧を手に取った。フリーレンは杖を構えたまま、目の前の魔族から視線を外さない。
ネーニアは後ろの二人には目をくれず、フリーレンだけを見つめている。先に動いた者がいれば、戦いが始まる。そんな緊張が、墓地の静けさを満たしていた。
そのときだった。
──カン、カン、カンッ!
丘の下から、甲高い鐘の音が響いてきた。同時に村の方から人々の悲鳴と怒号が聴こえてくる。
「……なんだッ!? 何かあったんじゃねえのか!?」
シュタルクが振り返った。鐘は未だに鳴りやまない。短く、激しい間隔で、何度も打ち鳴らされている。明らかに何らかの異常を訴えていた。
「魔物の襲撃を知らせる鐘です。最近は、あまり使われていませんでしたが」
フリーレンから目を離すことなく、ネーニアが答えた。それを聞いて、フェルンが空中に魔法で浮かび上がり、上空から村を見下ろす。広場では、人々が慌ただしく走り回っていた。何人かの男たちが空を指さし、大声で何かを叫んでいる。そして、その視線の先には、十を超える黒い影があった。
「ッ、フリーレン様っ、シュタルク様っ! 翼竜の群れです、村が今にも襲われそうです!」
翼を広げた竜たちが、村の上空を旋回していた。大きさこそ紅鏡竜より小柄だが、その体躯は一般的な魔物など遥かに上回る。鋭い爪と牙を備え、魔法への耐性が高い鱗に全身を覆われた飛竜たちが、甲高い鳴き声を交わしながら空を飛んでいる。
「昨日までいなかったはずなのに、どうしてこんなところに……!」
シュタルクがネーニアと村を交互に見つめながら叫んだ。飛竜たちは何かを探しているかのように村の上空を旋回し、時折、高度を下げては再び舞い上がっている。まだ家々を襲う様子はないが、群れは次第に円を狭めていた。いつ村へ襲いかかってきてもおかしくない。
焦った表情を隠さないシュタルクへと、ネーニアが抑揚のない声で告げる。
「この辺りの魔物は、普段は村へ近づきません。私を恐れているのでしょう。彼らは、力の差がわからないほど愚かではありませんから」
「だったら、あいつらは何なんだよ。まさかお前が呼んだんじゃないだろうな……!」
シュタルクが問うと、ネーニアは旋回する竜たちへ視線を向けた。
「あの竜は、仲間意識の強い種類です。群れの仲間が殺されると、生き残った個体が相手をどこまでも追いかけてくる習性があります」
それから、三人を順番に見つめ直していく。
「あなた方が、この村までの道中で何体か倒してしまったのではありませんか?」
「……そういえば、ここ数日、この村に来る前に」
シュタルクの表情が変わった。
「フリーレン、街道の近くで飛竜の群れに遭遇した際、襲ってきた個体を何体か討伐したよな?」
「……しまった、そういう習性だったのか」
シュタルクの確認にフリーレンが僅かに顔をしかめる。あのときは、逃げる個体まで追撃する必要はないと判断してしまった。それが間違いだったのだろう。
「おそらく、そのときの個体が仲間を連れて戻ってきたのでしょう。あなたがたの痕跡を辿り、この村まで追いかけてきたのだと推測します」
「……俺たちのせいか」
シュタルクが斧を握りしめた。自分たちが倒した魔物の仲間が、村を襲おうとしているのだ。今すぐに村に向かうべきだろうが、数が多すぎる。フリーレンの指示を仰がないと危険だ。
すると、手に持っていた花を籠に入れ直し、ネーニアが立ち上がった。
「気になさらないでください。隣の地域にいた魔物が、ここへ来ただけのことです。今すぐに退治すれば問題ありません」
それは、あまりにも簡単な物言いだった。ネーニアは野花の入った籠を墓石の傍らへ置いた。その身体が、ふわりと宙へ浮き上がる。
「申し訳ありませんが、少し失礼します」
「ち、ちょっと待てよ、一人で行くつもりかよ!? 相手は十体以上の竜の群れだぞ!」
呼び止められたネーニアは、空中からシュタルクを見下ろした。しばらく彼の表情を眺めていたが、何かに気づいたように小さく頷いた。
「ああ、私を心配してくださるのですか?」
「え? あ、ああ……そりゃそうだろ。アンタがいくら強いからって、あの数を一人で相手にするのは危険だろ!」
「ありがとうございます。ですが、ご心配には及びません」
そう穏やかに告げると、ネーニアは村の方角へ飛んでいく。フリーレンはその後ろ姿を見つめた。
「一次休戦だ、私たちも行くよ」
フリーレンとフェルンは空へ飛び上がり、シュタルクは坂道を駆け下りていく。
村の上空では、十数匹の飛竜たちが甲高い咆哮を上げていた。そのうちの一匹が大きく翼を広げ、村へ向かって高度を下げ始める。
その行く手を遮るように、ネーニアが立ちはだかった。そして、静かに右手を頭上へと掲げる。
フリーレンが異変に気づいたのは、その時だった。村の家々の軒下、石垣の隙間、遠くの森の木々の根元、至るところで魔力の気配が立ちのぼる。
それらは決して無秩序に広がっているわけではなかった。離れた場所で生じた魔力が互いに呼応し、まるで一つの巨大な術式を形作ろうとしているかのように膨張していく。
「フリーレン様、これは……ッ」
「気をつけて、フェルン。意図的に巻き込んでこないとも限らない」
フェルンは思わず息を呑んだ。これほど広い範囲へ、同時に魔力を行き渡らせている。しかも、その流れには僅かな乱れもない。ネーニアが掲げた右手に応えるように、村と森の至るところで魔力が満ちていく。
まるで巨大な何かが鼓動を打つように、大魔族の魔法が脈動し始めていた。