昼食の皿が片づく前から、ネオンは買い物の話を始めた。
「外は駄目だって言うから、下のお店に持ってきてもらうことにしたの。午後には見られるって!」
ホテルの低層階には、服や宝石を扱う店が入っている。ネオンの好みに合いそうな服を、近くの系列店からも取り寄せたらしい。ケイが何軒分を集めるのか尋ねると、ネオンはそのままエリザを見た。
「三軒です。靴は、こちらの店にあるものから見ていただきます」
「だって。ねえアリス、赤いのも着てみない?」
「着てみたいです! 動きやすいものがいいです!」
「動くって、何するの?」
「走ったり、跳んだりします。勇者の装備ですから!」
ネオンは笑った。アリスは食事の間も、地図で見た店や窓から見つけた屋台の話を次々に持ち出す。珍しい服が見られると喜んだ直後には、その服で走れるかを気にしている。何を勧めれば喜ぶのか、いつもの買い物より考えなければならない。それが今は、少し楽しかった。
その横で、ケイはスクワラから小さな封筒を受け取った。
「親父さんが渡しておけってよ。まあ、滞在中の日当みたいなもんだ」
「その言い方はどうかと思いますが……ありがとうございます。これで、私たちの買い物もできますね」
「そんなの、わたしが買ってあげるのに」
ネオンがすぐに口を挟んだ。ケイは封筒をしまい、少し笑って答える。
「自分でも選びたいんです。ネオンのお勧めも見せてくださいね」
「じゃあ、気に入ったらちゃんと教えてよね!」
ネオンは少し不満そうに言った。買ってやると申し出れば喜ぶと思っていたのに、ケイは礼を言って封筒をしまい、自分で選ぶ気でいる。何を買うつもりなのか気になり、食べ終えると早速エリザを急かした。
廊下へ出ると、大きな犬が一行の前へ来た。
アリスは差し出しかけた手を止めた。犬が近づき、指の匂いを嗅いでいる。スクワラが呼ぶと尻尾を振り、彼の脚へ身体を寄せた。
「スクワラ、この子もパーティーメンバーですか!」
「俺の犬だ。勝手にモノを食わせるなよ。さっき飯はやった」
「撫でてもいいですか?」
「ああ。そいつが嫌がらなければな」
アリスはしゃがみ、犬の背をゆっくり撫でた。犬も彼女の肩へ鼻を寄せ、気が済むとその場に座る。ケイまで隣へしゃがんだので、ネオンは腰に手を当てた。
「服を選びに行くんでしょ。毛がつくじゃない」
「もうつきました!」
アリスが袖を見せると、スクワラが薄く笑った。エリザは布で毛を払いながら、ネオンに少し待ってもらう。アリスは最後にもう一度犬の背を撫で、ようやく立ち上がった。
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頭から靴まで映る大きな鏡があった。
鏡の前で新しい上着の袖へ腕を通したアリスは、両腕を上げかけて動きを止めた。肩のあたりがつっぱる。後ろからケイが裾を直してくれたが、窮屈さは変わらなかった。
「……腕が上がりません。これでは防御できないです!」
「もう一つ大きいのを出してもらえば?」
ネオンに促され、店員が別のサイズを取りに行った。その間にもアリスは隣のラックを覗き、フード付きのジャケットを見つける。試着してみると、こちらはぴったりだった。
「よく似合っています。さすがはアリスです」
なぜか得意げなケイを見て、アリスは満足げに胸を張った。今度は腕も上がる。鏡の前で構えを取り、歩いて裾の揺れ方まで確かめていると、ネオンが選びかけていた帽子を棚へ戻した。
「その格好なら、こっちね。大きなリボンは合わないかも」
「アリスはリボンが好きです!」
「はいはい、わかってるって。……ケイには、これ!」
差し出されたのは、落ち着いた色のワンピースだった。ケイが胸の前に広げてみると、店員が白い髪によく合うと褒める。ネオンも満足そうだったが、ケイは値札を見て動きを止めた。
「……さっきいただいた全額より高いんですが」
「だから、わたしが買うって言ってるじゃん」
「見ておくだけにします」
「着てみるだけならいいでしょ? ねえ、アリスも見たいよね?」
「見たいです!」
返事があまりに早かったので、ケイは思わずアリスを見た。少しも隠す気のない期待の顔が返ってくる。ネオンまで同じように待っているので、試着くらいなら、という気になってしまった。
着替えて戻ってきたケイを、アリスとネオンは黙って見つめた。
「……どうですか?」
「かわいいです! とってもよく似合っています!」
「ほんとに。お人形さんみたい」
ケイは照れ隠しに鏡へ向き直った。けれど鏡の中にも、アリスが映っている。裾を直すふりをしても目が合うので、とうとう自分も笑ってしまった。
ネオンはそのやり取りを見て、満足そうに頷いた。
「じゃあ、それに決まり!」
「まだ決まっていません。着てみただけです」
「せっかく似合ってるのに……」
ケイが普段着に戻ってワンピースを返すと、アリスはネオンへ向き直った。
「次はネオンの服を選びましょう! アリス、ネオンのワンピース姿も見てみたいです!」
「そうですね。この白いブラウスが、ネオンの髪色によく似合うと思います」
ケイが目をつけていたブラウスを持ってくると、ネオンは嬉しそうな顔をしたが、試着はしなかった。
「服はたくさん持ってるから、しょーじきちょっと飽きちゃってて。またわたしの部屋でやりましょ。それより、今は二人のいろんな姿をもっと見たい!」
そう言うなり、ネオンは二人にあれもこれもと試着させ始めた。ケイは少し恥ずかしげに鏡へ向かい、アリスはどんな服でもノリノリで着てみせる。その反応の違いが、ネオンを飽きさせなかった。
気に入った服は、ネオンが自分のコレクションとして次々に買っていく。普段着には到底できそうにないドレスもあったが、「部屋に飾るの」の一点張りで購入を決めてしまった。
ネオンがある程度満足すると、今度は二人が同じ階の売店で日用品を選んだ。替えの下着類と洗面道具、それを持ち歩く鞄を買う。
さらにケイは、通話と地図が使える現地の携帯端末を一台買った。転移のときにポケットに入っていた普段使いの端末は、今もネットワークにつながらない。今すぐこの世界で使える道具が必要だった。
店員と一緒に接続を確かめ、連絡先を保存する画面を開くと、横からネオンが自分の番号を入れたがった。ケイに断る理由もなく、最初の連絡先としてネオンの番号が登録された。
買い物を終えて服の店の前を通るとき、ネオンは最初にケイが試着したワンピースをもう一度振り返った。
「それ、取っておいて。まだ売らないでね」
「ネオン」
「気に入ったの。わたしが」
ケイは少し困った顔で笑った。小さくお礼だけを言い、買ったものを持ち直す。アリスが隣へ寄り、写真を撮っておけばよかった、と小声でこぼした。
「……また着るときに、撮ってください」
そう答えると、アリスは次の楽しみを見つけた顔になった。
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買い物から客室へ戻ると、ネオンは厚い競売カタログをテーブルに広げた。
宝石の写真を何枚か見せ、それから指を挟んでいたページを開く。白い背景に、赤い球体が浮かんだ硝子の容器が二つ並んでいる。
「本当は、これを手に入れるために来たの」
アリスは赤い宝石かと思い、容器の写真へ顔を近づけた。よく見ると、中央に黒い瞳孔がある。
「これは……眼球でしょうか?」
「緋の眼っていうの。綺麗でしょ?」
「はい、綺麗な赤です!」
アリスは頷き、ネオンが次のページをめくるのを待った。ネオンは拍子抜けした顔で彼女を見る。
「……それだけ?」
「ほかにも何かあるのですか?」
「すっごく珍しいのよ。普通は見られないの」
「そんなに珍しいのですか! レアアイテムですね!」
ようやく伝わったと思いながらネオンが次のページをめくると、アリスはそこに載っていた古い剣に目を輝かせた。緋の眼より食いつきがいい。
ケイも緋の眼の過去の落札価格には驚いていたが、特に惹かれた様子はなかった。
「二人とも欲しくないの?」
「私は、この値段ならほかに買いたいものがありますね。機械とか、本とか」
「アリスはゲームです! 飾るものなら、あの兎がいいです!」
「全然違うじゃない」
「違います。でも、兎の方が可愛いです!」
不満げなネオンにアリスは続けた。
「それに、アリスは生きてる人の瞳が好きです。気持ちによって光り方が変わって、水面みたいにキラキラしています!」
「……でも、こんなに深い赤にはならないし」
「そうかもしれません。ただ、強い意志のこもった瞳というのは、それだけで底知れない深みがあるものですよ」
ネオンはケイの言葉に納得したわけではなかったが、そんな見方もあるのかと思った。
「アリスは、ネオンの翡翠色の瞳もきれいだと思います!」
そのうえ、真っすぐ目を見てそんなことを言われてしまう。
アリスの碧眼に見つめられ、ネオンはすぐに言葉を返せなかった。もう少し緋の眼について話したかったが、二人からは期待していた反応が返ってきそうにない。ページへ戻って付箋を貼り直し、カタログを自分の方へ引き寄せた。
扉のそばには、スクワラとの引継ぎに来たクラピカが立っていた。ケイが顔を上げると、彼はカタログが閉じられるのを見届けてから、引継ぎの紙を受け取った。今は何も言わず、スクワラの報告に耳を傾ける。
「この子の名前は決まりましたか?」
アリスが兎へ顔を寄せた。
「……兎よ」
「それは種族名です!」
「まだ決めてないの。アリスなら、何てつける?」
アリスは急に真剣な顔になった。長い耳を持ち上げてみて、次には兎の顔を正面から眺める。さっきの緋の眼よりずっと熱心に考えているので、ネオンはとうとう笑った。
「長すぎる名前は駄目よ。呼ぶのが面倒だもん」
「強そうで、短い名前にします!」
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夕方、ネオンのところへ書類が届いた。
父親から頼まれた占いだとエリザが告げると、ネオンは露骨に顔をしかめた。文句を言いかけたが、さっさと終わらせた方が早い。遊んでいたカードを伏せ、渋々テーブルを空ける。
「もう! 今日はおしまいにしたかったのに」
「こちらだけ、急いでいるそうです」
「いっつも急いでるじゃん……」
エリザは写真のついた紙をネオンの正面に置き、残りの書類は手元に残した。向かい側の二人からは、名前や数字の欄は読めない。入口のスクワラも受渡しを見ている。
ネオンはまだぶつぶつ言いながら、写真の男を確かめてペンを取った。白紙へ手を置くと、口を閉じる。
不意に、ネオンの様子が変わった。
それまで忙しなく動いていた顔から表情が抜け、ペンだけが紙の上を走り始める。
アリスはネオンの顔を見た。本人は紙を見ていない。それなのに手は一度も迷わず、整った文字を書き続けている。指を折ってカードの点数を数えていた先ほどまでとは、まるで雰囲気が違った。
(これも、念なのでしょうか)
朝の話を思い出し、ケイを見る。彼女もペンの先を目で追っていた。
短い行が重なり、詩のような形にまとまっていく。最後の文字を書き終えると、ネオンは面倒そうな顔に戻った。ペンを置き、読み返すこともなくエリザへ紙を渡す。
「はい、終わり。これでいいでしょ」
「読まないのですか?」
「他人の占いは見ないことにしてるの。その方が当たる気がするから」
アリスが目で追った紙を、エリザは裏返して書類に挟んだ。ここで読ませてもらえるものではなさそうだ。アリスはネオンに向き直った。
「そこに、これから起こることが書いてあるのですか!」
「そうよ。悪いことが書いてあっても、避ければいいんだから。お父様は、それでいろんな人に頼りにされてるの」
ネオンは先ほど伏せたカードを手に取った。
「それもネン、なんですか?」
「何それ?」
ネオンはカードを配る手を止めた。ケイは少し意外に思いながら、朝、クラピカから聞いた話だと説明する。
「オーラを使うと、人によっていろいろなことができるそうです。ネオンは、その占いを誰かに教わったのかと思いまして」
「教わってないわよ。いつの間にか書けるようになったの。小さいときから占いが好きだったし」
本人にも詳しく説明する気はなさそうだった。ネオンが新しいカードを配り始めたので、アリスも椅子を引き直して受け取った。
「では、ゲーム再開ですね!」
待っていたといわんばかりに身を乗り出すアリスを見て、ネオンも機嫌を直した。
その後もカードやボードゲームを続け、アリスとネオンがむきになって言い合うたび、ケイが二人の間に入った。
そうしているうちに、ネオンが出席する夕食会の時刻になってしまった。まだ遊ぶと言い張る彼女を、エリザが、続きは明日もできますからと説得する。
最後にもう一回だけ、と粘ってから、ようやくネオンは席を立った。