ネオンがエリザと夕食会へ向かい、二人も居間を出たところで、小柄な女性に声を掛けられた。彼女もネオンの護衛の一人で、センリツという名だった。
「クラピカから聞いているわ。時間が取れたから、朝の続きをどうかと思って」
「お願いします! アリスたちも、まだ聞きたいことがたくさんあります!」
スクワラへ行き先を伝え、二人はセンリツについて朝にも訪れた会議室へ向かった。
朝と同じ席にクラピカがいた。二人と目が合うと、開口一番にキヴォトスに関する調査結果を口にした。
「キヴォトス……という地名について、いくらか調べてみたが今のところ手掛かりがない。センリツにも、君たちがここに来た経緯について説明したが……」
「アタシも心当たりはないの。ごめんなさいね」
「いいえ。本当にありがとうございます。調べてもらえるだけでも助かります」
ケイが礼を言うと、アリスも倣って頭を下げた。
椅子に座ると、アリスは早速ネオンの占いについて尋ねた。クラピカは、あれも念能力の一つだと答える。
「でも、ネオンも念のことは知らないようでした」
「名称も手順も、そして概念すらも知らずに、強いこだわりや極限の集中・才能によって念能力を発現する人間は一定数存在する。お嬢様もその一人だ」
「では、私たちも……?」
「その可能性は考えている。もっとも、君たちの場合はもう少し特殊なようだが……そこを、確かめたい」
クラピカに促され、センリツが片手を上げた。
「今、右手の周りにオーラを集めているの。朝も、同じことをしたかもしれないけど」
「はい。あのときは、手しか見えませんでした」
アリスは目を凝らした。指のしわも、袖口の縫い目もよく見える。しかし、その周りに別の何かがあるようには思えなかった。
「……今も、手ですね」
「手はあるわね。ほかには?」
「何もありません!」
答えてから、アリスは悔しそうに口を結んだ。ケイもセンリツの手の隣に自分の手をかざし、何か違うものがないか見比べた。センリツがオーラを集める場所を変えても、二人には違いがわからない。
「先ほどは、左の方へ動かしましたか?」
ケイが尋ねると、センリツは首を振った。
「右手の周りに集めたままよ。今、動いたのは袖ね」
「……そうですか」
ケイは小さく息をつき、机に置いた自分の手へ視線を戻す。
「目にオーラを集める技術を、凝というの。隠されたオーラを見破ることもできるわ」
「それで、ヘイローの形も見えるのですね!」
「ええ。ただ、集める前に、自分の力がどこにあるかをつかまないとね」
次は、身体の周りに何かを感じられないか試してみることになった。センリツが説明したのは、念を初めて学ぶ人に教える方法の一つだった。
肩を楽にして、呼吸を整える。アリスは真剣な顔で目を閉じたが、しばらくすると息まで止めてしまった。
「息は止めなくていいのよ」
「何も感じません。もう少し集中しようと思ったのですが……」
「まず、楽にしてみて。瞑想をしたことはある? 心身を静める感覚が大事よ」
ケイは自分の指にも力が入っていることに気づいた。握っていた手を開き、椅子へ深く座り直す。アリスも袖を引き下ろしてやり直したが、二人とも、それらしい感覚はつかめなかった。
クラピカはその様子を観察していた。わからないなりに試して、間違えたところを教えられるとやり直している。無知を装っているにしては、不揃いで、時にむきになりすぎる反応だった。
精密な輪を頭上に浮かべ、強いオーラを纏っている。それでも、教わったことを意識して再現する感覚がない。訓練した技術を隠しているというより、本人たちの知らないところで身についた力だと考える方が、いま見ている姿には合っていた。
「君たちは、自覚せずに力を使ってきたらしい。今後はその前提で、練習のやり方を考えた方がよさそうだ」
「……そのようですね」
「やはり、チュートリアルは大事です!」
ケイが肩の力を抜くと、クラピカも少し表情を和らげた。
「君たちが念を知らないふりをしている、と疑うのは、いったんやめよう」
「……ああ、確かに、そう思われても仕方がない状態でしたね。そうしてもらえると有難いです」
「アリスは早くヘイローを見てみたいです……」
クラピカがセンリツに目配せし、それに対して彼女はゆっくり頷いた。
「そうね。わからないところからやっていけばいいわ」
その前でアリスは、もう自分の手を見直している。
「もう一度だけ、見せてもらえませんか!」
もう一度が二度になり、三度になっても、その場では何も見えなかった。交代の時刻になってセンリツが立ち上がると、アリスは名残惜しそうにその手を見た。けれど、これから二人も夕食を取るところだ。最後に礼を言って、椅子から下りた。
廊下を歩く間にも、ケイは朝に浮かんだ仮説のことを考えていた。
(あの人たちには、私たちの神秘に根差す力がオーラに見えているのでしょうか)
身体を覆う力。念を知らなくても保たれる強さ。ヘイローまで見えているのなら、そこには共通する何かがありそうだった。ただし仮説が正しいなら、その由来は全く異なる。彼らの感じるものをそのまま探しているから、うまくいかないのではないか。
ケイは隣を歩くアリスへ目を向けた。姿を見ずとも、そこにいるとわかる。意識せずともヘイローの息遣いを感じる。昼間は当たり前すぎて気にも留めなかった、その感覚が引っ掛かった。
「見える人には、このヘイローもずっと見えているんですね」
「アリスも、次こそ見たいです。ケイ、一緒に練習しましょう!」
「もちろんです。このまま手を眺めているだけでは面白くありません」
返事には少し負けん気が混じった。アリスが同じ顔で頷くのを見て、センリツは二人を案内しながら小さく笑った。
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夕食のあと、二人は用意してもらった客室へ戻った。
ネオンの部屋ほど広くはないが、二人で使うには十分だ。入口脇の浴室と、向かいの机。奥にはベッドが二つ並び、窓の前にある小さなソファからは街の灯りが見えた。
買い物袋を開け、洗面道具を浴室へ運び、着替えを戸棚に収める。ケイが机で現地の端末を起動する間に、アリスは片方のベッドから枕を運び、もう片方へ並べた。ケイは持参した端末を鞄へしまい、机の上には新しく買った方を残した。
新しい端末はホテルの回線にもつながった。登録した連絡先を確かめ、今日撮ってもらった写真を受け取ると、アリスが肩越しに覗き込む。
「来ました! ケイ、見せてください!」
「はい、いい写真ですね」
「こちらに来て、初めての写真です!」
アリスはまずケイの顔を見て、それから兎を抱えたネオンへ目を移した。
「明日は、何を見せてもらえるでしょうか」
「今日だけでも、ずいぶん見ましたね。服の値段には驚きましたが」
「次はアリスが兎を取ります!」
二人だけになったところで、元いた町や学校の名前を調べてみる。表記を変え、地図以外も探したが、心当たりのある場所は出てこない。
「クラピカも、心当たりはないと言っていましたね」
「ええ。でも、キヴォトスの名前まで話してよかったのかもしれません。少なくとも、調べてもらえることにはなりましたから」
「アリスの作戦です!」
アリスが胸を張ると、ケイは少し呆れた顔で笑った。
「先にひと言、相談してほしかったですけどね。あのときは驚きました」
「次は先にケイにも話します。でも、ちゃんと聞いてくれる人だと思ったんです」
「……そうですね」
ケイは画面の検索結果へ視線を戻した。帰り道は見つからず、警戒も解かれてはいない。それでも、荒唐無稽な話を笑わずに聞いてくれた。
「話す相手は、これからも選びましょう」
「はい! この世界のマップを埋めていきましょう!」
ケイが現地端末に充電器をつなぐと、アリスも椅子を寄せた。
「今日は、ここまでにしましょうか」
「アリスは眠たくなってきました……」
「はいはい。先にシャワーを浴びて着替えないと、ですね」
身支度を終えてベッドへ腰を下ろす頃には、廊下の足音も少なくなっていた。
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アリスはベッドに脚を上げ、ケイの膝へ頭を載せた。肩の下に髪が挟まったので、片肘をついて少し身体を浮かせる。ケイが挟まった黒髪を引き出し、枕の方へ広げてやると、今度は頬をつけるように横になった。ケイは額に掛かった髪を指で分けた。乾かしたばかりの髪から、備え付けのシャンプーの匂いがかすかに上がる。指を離そうとしたところでアリスが目を開けたので、ケイはそのまま頭の形に沿って撫でた。
アリスは満足そうに目を細めた。アリスが少し顔の向きを変えると、頬の下で布が柔らかく寄る。布越しに伝わる膝の温かさが心地よく、さらに楽な位置を探して、ほんの少し近づいた。
「あのワンピース、また着てほしいです」
「そんなに気に入りましたか」
店でも褒めてもらって嬉しかった。それを二人きりの部屋でもう一度言われると、ほかの誰かへ話を振って照れを隠すこともできない。
アリスはそのまま上体を起こし、ケイの背へ両腕を回した。そのまま、肩へ頬を載せる。長い髪が二人の間に入り込んだので、ケイが片手でよける。アリスは少し離れてその手を通し、また元の場所へ戻った。
「今日は、ケイとあまり話していない気がします」
「ずっと一緒に話していたでしょう?」
ケイは背中に置いた手を動かし、アリスを抱き寄せる。座る位置を少し変えると、アリスも力を抜いて寄りかかった。空いているアリスの手に自分の手を重ねると、指の間にも相手の温かさが伝わった。
今日は朝から知らないものばかりを見ていた。その分、目を閉じてもわかるこの近さに、もう少し甘えていたかった。
ケイは重ねた手を少し持ち上げた。掌に触れるアリスの指を確かめてから、ふと目を開く。
「アリス。少し、試してみたいことがあります」
「何ですか?」
「互いのヘイローを見てみませんか?」
アリスはすぐに顔を向けた。頭を動かした拍子に黒髪がケイの鼻先をくすぐり、二人で少し離れて座り直す。
「もちろんです! でも、さっきは何も見えませんでした……」
「クラピカたちのオーラは、です。私たち二人なら、内在する神秘の感覚を何か掴めるかもしれません」
「神秘……あの人たちには、それがオーラに見えていたのでしょうか」
「私は、そうではないかと思っています。ヘイローまで見えているのに、私たちには自分で動かした覚えがありませんから」
アリスはつないだ手を見た。ケイの手も、自分の手も、いつも通りだ。強く握っても柔らかく握っても、昼間は何も変わらなかった。
「オーラは、神秘に似たものなのでしょうか?」
「まだ、そこまではわかりません。似た働きがあっても、私たちが持っている力の由来、そして根源は全くの別物です。まず、そちらを感じてみませんか」
ケイは言いながらアリスの指を握り直した。
「アリスは、私がすぐそばにいると、見なくてもわかりますよね」
「もちろんです。ケイですから!」
「ええ。私もです。目を閉じていても、アリスを感じます。それを、もう少しよく確かめてみたいんです」
二人はベッドの上で向かい合った。アリスが膝を寄せ、ケイはその両手を自分の手で包む。
ケイは目を閉じた。
触れた掌の柔らかさと温かさ。指を動かせば、アリスの指も応じて動く。近くでは呼吸が聞こえ、シャンプーの香りに交じって嗅ぎ慣れたアリスの匂いもした。けれど、どうやらそのどれか一つに意識を向ければいいというわけではないらしい。温度に集中しすぎると、今度は掌の熱さばかりが気になってしまった。
「……ケイ、眉間にしわが寄っています」
「また力が入っていましたか」
「アリスが伸ばしますか?」
「指で押さなくて大丈夫です」
笑ってしまうと、肩から力が抜けた。預けていた手を楽にする。
ケイはもう一度、静かに目を閉じた。見えないものを無理に作ろうとするのではなく、今ここにいるアリスへ注意を向ける。掌の感触だけではない。触れたところから腕へ、その先の身体へと、馴染んだ気配がひと続きに感じられた。
そして、自分にも同じように感じられるものがあることに気が付いた。
アリスが指を動かした。その動きは自分のものではない。近くても、重なっていても、アリスと自分は別々だ。ケイは、その違いを初めて意識して捉えた。
「……あ」
「何かわかりましたか?」
「少し。アリスの手だけでなく、その周りにも……いえ、うまく言えませんが」
答えようとした途端、感覚が遠のいた。残ったのは手触りと温度だけだった。ケイは目を開け、息を吐く。
「もう一度、お願いします」
「何度でもどうぞ!」
アリスが掌を差し出し直した。ケイは指を絡め、今度は言葉にしようとせずに待った。さっき感じたものを思い出すと、温度とは違う感覚が、また少しずつはっきりしてくる。
自分の身体の周りにもある。それを確かめてから、ケイは昼間に聞いたことを試した。
目に集める。
ただ目を細めるのとは違った。アリスの手を握る力を変えず、自分の側にあるものへ意識を向ける。なかなか動いた気がせず、視線を上げても、黒髪の上には相変わらず馴染んだ輪の気配があるだけだった。
もう一度。今度は額や肩に力を入れないようにして――
青い線が見えた。
天井の明かりとは違う、澄んだ青だった。円だけではない。真っすぐな線が角を作り、細かな形が左右に揃って浮かんでいる。アリスが首を傾げると、それも一緒に動いた。
「見えました」
ケイが思わず手を強く握ると、線はもう追えなくなっていた。頭上に何かがあるとはわかる。それでも、今見えた角や線を、目でなぞることができない。
「ケイ?」
「青いです。光の輪だけではなくて、角のある線が……今、本当に見えました」
顔を戻すと、アリスは自分が成功したように笑っていた。
「やりましたね! ケイの勝利です!」
「はい……まだ、一瞬でしたけれど」
ケイはもう一度頭上を見た。見えない。それなのに、さっきまでとは違った。そこにある形を、ほんの少しでも知ることができた。喜びがじわりと胸に広がる。
「次はアリスです。ケイのも見たいです!」
「ええ。交代しましょう」
今度はアリスが目を閉じた。ケイはつないだ手を二人の膝の間へ下ろし、握り返す力を少し緩める。アリスが片目を開け、まだそこにいることを確かめてから、また閉じた。
「ケイの手はわかります。でも、その先が難しいです」
「私も、最初は手の温かさばかり気にしていました。……近づいた方が、わかりやすいでしょうか」
「近い方がいいです!」
返事をするなり、アリスはケイの肩へ額を寄せた。掌だけでなく、肩と腕にも相手の重みが伝わる。
アリスは空いた手でケイの服を掴み、しばらくそのままでいた。いつもの匂いと、近くの息遣い。自分が息を吐くと、その少し後でケイの肩が上がる。ぴったり同じではない、その動きがよくわかった。
目を開けてケイを見上げ、また閉じる。何度目かに、背に添えられた手と、その少し外側とを、別々に感じられた気がした。
掴んでいた服から手を離す。ケイは動かなかった。指先が布を離れても、すぐそばにある気配は途切れずにあった。
「……こっちでしょうか」
呟き、ゆっくり顔を上げた。ケイも背筋を起こし、見上げやすいよう少し距離を取る。アリスは相手の頭上を見ながら、自分の目の周りへ、今つかんだ感覚を向けようとした。
ケイの前髪が揺れた。その上で、淡いピンクの線が浮かぶ。
アリスは息を止めかけた。けれど、今度は止めずにゆっくり吐く。輪の中には細かな線があり、ただ丸いだけではなかった。見分けようと目を見開いたところで、それらの線は見えなくなった。
「ピンクでした!」
アリスはつないでいた手を離し、ケイの背へ両腕を回して抱きついた。勢いにつられてケイも少し傾き、二人で笑いながら座り直す。
「見えましたか?」
「はい! ケイの瞳に似た色です。輪の中にも、いろいろありました!」
ケイは嬉しそうに頷いた。朝、クラピカに言われたときよりも、ずっと実感があった。
抱き合っていた腕を解き、二人はもう一度、掌を合わせた。交代しながら何度か試しても、相手の気配を捉えたあと、目の方へ意識を移すところでわからなくなる。さっき見えた線を思い浮かべるだけでは、同じようには見えなかった。それでも、その断片を拾える頻度は少しずつ上がっていった。
「……難しいです。もうできると思ったのですが」
「私もです。でも、さっきは見えました。それに、何を探せばいいかは、わかりました」
ケイはアリスの掌に自分の指を重ねた。触れた指を一本ずつ動かすと、アリスも同じように返してくる。
力をどう動かせばいいか。その説明が、ようやく自分たちの感覚と結びつき始めていた。
「今夜は、ここまでにしましょう」
「あと一回だけ……」
「それだと朝になってしまいますよ」
ケイも、まだ続けたい気持ちは同じだったが、夜もすっかり更けている。つないでいた手を緩め、そろそろ休もうと促した。
「明日も、ケイと練習します」
「はい。私も、もっとよくアリスのヘイローを見たいです」
ケイが膝に掛け布を広げると、アリスは彼女の肩へ腕を回す。今度はケイの方から頬を寄せた。
アリスの手が、白い髪をそっと梳いた。
「こうですか?」
「ええ。……もう少し、そのままで」
アリスは嬉しそうに笑った。ケイの肩から力が抜けるまで、同じように撫でている。それから明日買いたいものを小さな声で話し始めたが、返事が遅くなると自分も声を落とした。
ずり落ちかけていた掛け布を引き上げる。やがて部屋には二人分の寝息だけが残った。