翌朝、ネオンの部屋から大きな声が聞こえた。
「帰らない! まだ何も買ってないのに!」
廊下へ出たアリスとケイは、扉の前でスクワラと顔を合わせた。困り果てた様子の彼の足元には、昨日の犬が座っている。開いた扉の向こうではエリザが服を畳み、旅行鞄へ詰めていた。
「洋服のことじゃないわよ! 何のためにここまで来たと思ってるの!」
ネオンは窓際で電話を握り締めていた。アリスがスクワラの顔を窺うと、彼は顎で中へ入るよう示した。
ネオンは二人を見つけるなりまくし立てた。
「ねえ、聞いて! お父様ったら今日帰れって言うのよ。昨日は待ってろって言ったくせに!」
テーブルには競売カタログが出たままだった。緋の眼のページは閉じられているが、何枚もの付箋が端から飛び出している。
ケイが答える前に、電話から声がした。
「誰と話しているんだい。あの二人か?」
「そうよ。今来たの。二人と遊ぶって約束してたのに!」
「それとこれとは別だ。いい子だからパパの言うことを聞いて、スクワラに代わりなさい」
ネオンは半ば押し付けるように端末を差し出した。受け取ったスクワラが窓際へ移り、車と荷物の支度について答える。ライトが気にしているのは、誰が娘の警護に付き、いつ出発させられるかだった。アリスとケイには声を掛けなかった。
ネオンは父親とスクワラのやり取りを横目に、ソファへ座り込んだ。
「いっつもこう! 自分の用事で連れてきたくせに、終わったら帰れって……」
エリザが、畳んだ服を鞄へ入れた。ネオンはそれを睨んだが、文句を重ねる代わりにカタログを引き寄せた。
「アリスとケイとも、せっかく仲良くなれたのに……」
アリスは向かいに座り、開いたままの旅行鞄を見た。昨夜は、今日も一緒に遊ぶつもりで話していた。それが、起きたらもう帰り支度である。ネオンが納得していないのはもっともだと思ったが、昨日スクワラから聞いた襲撃の話も覚えていた。
ここで一緒に行きたかった店を並べるよりは、次に会える場所を聞いた方がよさそうだ。アリスは顔を上げた。
「帰る町にも、ゲームのお店はありますか?」
「……あるけど」
「では、そちらに行くときも案内してください! アリスたちは、ここ以外も見てみたいです!」
ネオンが顔を上げた。
「一緒に来るの?」
「それは難しそうですが、また会う約束はできます。きっと、すぐに会いに行きます」
ケイは隣へ座り、昨日買った端末を見せた。ネオンは自分の端末を取り、短い言葉を送ってみる。すぐにケイの手元で受信音がすると、少し表情が明るくなった。
しかし、エリザがカタログを鞄へ入れようとした途端、ネオンはその上に手を置いた。
「それは、まだしまわないで」
カタログを取り戻すと、今度は鞄の中の服を指した。
「そっちも。そんなに詰めたら皺になるでしょ。箱に入れて」
「ドレスは、お店から送ってもらうお話でしたが……」
「一緒に持って帰る。箱を変えてもらって。ほかの服も、ちゃんと入ってるか見たいの」
エリザが畳んだ服を取り出す間にも、ネオンは端末に昨日の店を表示した。取り寄せてもらった服の受取りは、まだ済んでいない。箱が大きすぎる、リボンの色が違う、別々に届くのは嫌だと、店員へ次々に注文を出す。
「今日帰るなら、今日中に揃えてよ。昨日は待ってればいいって言ったじゃない」
電話を終えたスクワラが戻ると、ネオンは今度は彼に、店へ下りると言った。
「受取りはこっちでやります。お嬢様は、ここで――」
「自分で見る! 届いてから違うって言っても遅いでしょ。ホテルの中ならいいって言ったくせに」
スクワラはエリザと目を合わせた。彼女の手元には、開け直した鞄と、店へ戻す包装紙が積まれている。
「……下を見るだけですよ。俺も一緒に行きます」
「じゃあ、早くして」
ネオンはカタログを手放さずに立ち上がった。スクワラが車へ運ぶ荷物を数え直すのを見てから、今度は、まだ食べていない菓子も持ち帰りたいと言い出した。
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廊下では、クラピカが電話をしていた。
昨日よりも声が硬く、相手の話を聞いている時間が長い。通りかかった二人へ一度目をやり、通話を終えてから近づいてきた。
「お嬢様には帰宅の指示が出た。君たちの宿泊は今夜まで手配できる。その先のことは、希望を聞いてから相談しよう。今のところ、こちらの車に同乗してもらう予定はない」
「ありがとうございます。私たちも、まだ調べたいことがありますので」
「昨日の地名の件も、何か出たら連絡する」
「はい。よろしくお願いします」
クラピカとケイのやり取りの後に、アリスが声を上げた。
「クラピカ! 昨日の夜、一瞬だけケイのヘイローが見えました!」
彼の視線が戻った。ケイも、自分にはアリスの輪が見えたと伝える。青とピンクで、ただの輪っかではなく、細かな線が見えたことをアリスは嬉しそうに報告した。
「凝を試したのか?」
「我流ですが……まずはお互いのヘイローを認識するところから始めてみました。まだ、思い通りにはできませんが」
「話を聞く限り、方向性は間違っていない。君たちが見た色も形状も、私が確認したものと一致している」
アリスは嬉しそうにケイを見た。クラピカも短く頷いたが、すぐに時計へ目をやる。
「詳しく確かめるのは、次の機会にしてもらえるか」
「はい! 続きを楽しみにしています!」
聞きたいことはまだあったが、今の彼は仕事へ向かうところだった。
「クラピカは、ネオンと一緒に帰らないのですか?」
「別の仕事が入った。私を待たずに出発してもらう」
スクワラが居間から出てくると、クラピカは、二人がネオンを訪ねるときの同席を頼んだ。続いて、車を出すまでの荷物の受渡しと、ライトへの連絡を確かめる。ネオンの移動には必ず誰かが付き、出発までは目を離さないようにと、護衛同士で段取りを話していた。
今夜の競売場、という言葉が聞こえて、ケイは顔を上げた。
「競売は、確か中止になったのでは?」
クラピカが一度言葉を切った。
「再開すると聞いている。だが、ネオンお嬢様は参加しない。ここからは、私たちの仕事の話だ」
ケイは頷き、それ以上は尋ねなかった。
クラピカが去ると、廊下の奥から大柄な男が来た。口元に髭があり、上着を羽織りながらスクワラへ車の準備を手伝うと話す。二人に気づくと、少しだけ足を止めた。
「バショウだ。昨日はろくに挨拶できなかったな」
「アリスです! 今日は、お見送りになりそうです」
「おう。出る時間が決まったら声を掛ける」
バショウはすぐにスクワラへ向き直り、運ぶ鞄の数を確かめる。
センリツも外との連絡に追われ、忙しそうにネオンの部屋と別の客室を行き来していた。昨日の続きを教わりたくても、今は頼めそうにない。ケイがその姿を目で追っていると、アリスが袖を軽く引いた。
「アリスたちも、荷物を片づけますか?」
「そうしましょう。そのあと、下の売店へ寄りたいですね」
ケイはスクワラに、用事が済んだらネオンの見送りに戻るつもりだと伝えた。
「俺たちも荷物を見に下りる。出発が決まったら連絡する」
「お願いします!」
アリスが手を振り、二人は自室へ戻った。
昨日の着替えや日用品を整理し、鞄へ入れ直す。ケイが現地の端末に街の地図を保存すると、アリスは三人の写真をもう一度開いてもらった。
白い兎のぬいぐるみは、昨日のうちに「ユーシャ」と名づけられていた。短くて強そうな名前を、と考えたアリスの案である。ケイには役職ではないかと突っ込まれたが、ネオンが試しに呼ぶとアリスまで返事をして、三人でもう一度笑った。結局、そのまま決まってしまったのだった。
「ユーシャも、今日出発ですね」
「忘れずに連れていくよう、あとで言ってあげてください」
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ところが、午後も遅くなってなお、出発の連絡は来なかった。
下の買い物フロアでは、ネオンがまだ店のカウンターに箱を並べさせていた。
「これは車に積まないで。こっちが先」
「先ほどは、大きい箱を先にと……」
「開けてみたら違ったの。エリザ、中の服も見せて」
包みを閉じかけた店員の手が止まり、エリザが伝票と中身を照らし合わせる。スクワラはカウンターの脇に立ち、箱を受け取りに来たバショウへ、まだ運ばないよう告げた。
「全部を一度には積めねえぞ。残りは荷物の車に回す」
「だ・か・ら、その分け方を見てるの!」
バショウは返事の代わりに箱の大きさを見比べ、運転手へ連絡した。センリツは上の階で別の連絡に当たっている。下にいる者まで全員が荷物に回るわけにはいかず、スクワラは店員に呼ばれてもネオンのそばを離れなかった。
それでも、ネオンが一つ変えるたび、誰かが包みを開き直し、電話を掛ける。ネオンは周りの声を聞き流し、持ってきた手提げ袋から自分の薄いコートを取り出した。
「これは、持っておく。それとさっきのお菓子、まだ?」
「売店で確認中です。お嬢様も、もうお支度を……」
「その前にお手洗い!」
ネオンは帽子とコートを持ち、カタログを手提げ袋へ入れた。スクワラが後ろにつき、エリザも店員から伝票を受け取ってついてくる。
化粧室は、店の並ぶ通路の奥にあった。エリザは一緒に中へ入ったが、ネオンは個室の前で振り向いた。
「ここまでついてこなくていいから。さっきの箱、違うのを積まないように見てて」
「では、すぐ外でお待ちしています」
個室の扉を閉めると、ネオンは長い髪をまとめ、帽子の中へ押し込んだ。コートを羽織って襟を立てる。外からは、まだ箱の受取りについて話す声が聞こえていた。
洗面台の前では、買い物を終えたらしい女性たちが話していた。ネオンは扉を少し開け、彼女たちが出口へ向かうと、その後ろについた。
スクワラは通路に立っていた。店員が運んできた箱をエリザへ渡すところで、ネオンの前を大きな荷物が横切る。スクワラの目が帽子へ向いたときには、ネオンは隣の女性と同じ方へ顔を向け、そのまま歩いていた。
エリザは箱を受け取り、女性たちの後ろに続く客を見送った。
ネオンは角を曲がってから足を速めた。通路の先でエレベーターが開いている。降りてくる客と入れ違いに乗り込み、一階のボタンを押した。
上の数字が切り替わったところで、ケイへ短い文を送る。
『一階のロビーに来て。二人だけでね』
それ以上は書かなかった。競売の話を先にすれば、ここでも止められるかもしれない。
一階に着き、タクシーの様子をうかがいながらロビーの柱のそばで返事を待っていると、スクワラから着信があった。ネオンは画面を伏せ、端末を袋へ戻した。