ケイが通知を見せると、アリスはすぐに鞄を持った。
「ロビーでお見送りなのでしょうか?」
「行ってみましょう。何かあったのかもしれません」
二人がロビーへ下りたとき、ネオンは中央の回転扉を出るところだった。コートを着込み、帽子を深く被っている。アリスが名前を呼ぶと、口に人差し指を当てた後、早く、と手を振った。
駆け足で歩道へ出ると、ネオンは客待ちをしていた黄色いタクシーの扉を開けた。
「よかった! 乗って!」
「……どこへ行くんですか?」
「オークション! 再開するって聞いたの。お父様ったら、内緒にしてたの!」
ネオンは手提げ袋からカタログを取り出した。扉を押さえたケイがホテルの方を見ると、彼女はさっさと後部座席へ乗り込む。
「スクワラたちは?」
「まだ上。だから早く!」
「一人で行くつもりだったのですか?」
「二人を呼んだじゃない! ……来てくれなかったら、一人で行ったけど」
アリスは車内のネオンを見た。彼女はもうカタログを膝に置き、運転手へ行き先を告げようとしている。今にも扉を閉めてしまいそうだった。
「アリスもオークションを見てみたいです!」
「でしょ? じゃあ――」
「でも、その前に。次は、出かける前に教えてください。一人で行くのは危ないです」
ケイの言葉にネオンは少し唇を尖らせたが、その言葉が純粋に心配から来たものだと分かると、小さく頷く。そしてアリスが鞄を抱えて乗ると、すぐに隣を空けた。
ケイも運転手へ三人で乗ると伝え、反対側の扉へ回った。ネオンを車から引きずり下ろして、帰り支度が進むあの部屋へ押し戻す気にはなれない。一方的に自分の意志を無視されて、帰れと言われて腹を立てている友人を、一人にさせたくはなかった。
扉を閉めると、ネオンは待ちかねたように競売場の名を告げた。タクシーがホテル前の列から出る。その横で、ケイが端末を取り出した。
「スクワラには、知らせておきましょう」
「駄目!」
ネオンの手が、画面を覆った。
「今電話したら、すぐ追いつかれちゃう。お父様に言われて、車を戻されるかもしれないじゃない!」
「こちらが何も言わなければ、どこにいるかもわからず探し続けると思いますよ」
「もうちょっとだけ! せっかく出てこられたんだもん……」
ケイは画面から顔を上げた。ネオンは手を離さず、懇願するようにこちらを見ている。後ろの窓には、まだホテルの車寄せが見えた。
「……わかりました。でも遅らせるだけです。会場に着けば、どのみち護衛が必要になります。ずっと黙っているつもりはありませんからね」
そう答えると、ようやく手が離れた。ケイは地図だけを開き、行き先を入れた。
「会場に入れるかもまだわかりませんし。何かあったとき、居場所を知られていない方が困ります」
「名前を言えば入れるわよ。お父様もよく来てるんだから」
「入れなかったら、近くを散策しましょう。アリスはそれも楽しみです!」
「入れるってば」
ネオンは言いながら、帽子をいったん外した。押し込んでいた水色の髪が肩へ落ちる。手で梳いて整えると、帽子を被り直し、もう一度後ろの窓を見た。
ホテルは、角を曲がった車の列に隠れていた。
「新しいミッションの始まりですね!」
アリスが座り直して言うと、ネオンは前を向いた。
「……ふふ、そうね。二人にも中を見せてあげる」
さっきより弾んだ声でカタログを開き、今度は緋の眼とは別の品を指した。アリスが古い剣のページを見つけると、落札する人は何に使うのかと尋ねる。ネオンは、飾るに決まってるでしょ、と笑った。
窓の外に宝石店が見えると、今度はその話になった。ホテルの部屋から眺めていた看板が、今はすぐ横を流れていく。アリスが身を寄せて覗くと、ネオンも一緒に外を見た。
ケイは二人の話に時折相槌を打ちながら、地図と通りの名前を見比べていた。途中でネオンの端末が何度か震えたが、彼女はそれをすべて無視した。
やがて、行く先に競売場の大きなビル、セメタリービルが見えた。運転手も、その先の交差点を曲がれば着くと言った。
「ネオン。そろそろ連絡しますよ」
「えー……」
「ここまで来たら、今から追ってきてもしばらくはかかります。会場に入る前に連れ戻される心配はないでしょう。むしろ、一人も護衛がいない方が問題です」
ネオンは後ろを確かめ、それから前方のビルを見た。ケイも端末を持ったまま待つ。
「……場所を言うだけよ」
「まず、ネオンの無事を伝えます」
ネオンが頷いたので、ケイはスクワラへ電話を掛けた。今度は画面を隠されることもなく、すぐに通話がつながった。
「ケイです」
「なんだ! 悪いが、今そちらにかまっている余裕は――」
「ネオンと一緒にいます。今、タクシーでセメタリービルの近くまで――」
「……何やってんだ!! いや、おい、それよりお嬢様は無事か!」
ケイは思わず端末を耳から離した。ネオンが横から顔を寄せる。
「私が勝手に出てきたの! みーんな私の言うことを無視するんだもん! もう我慢の限界! 二人とは後から合流したの!」
「俺たちを撒いたのか!」
続けて何かを言おうとして、しかし何も言えず、そして盛大に息を吐く音がした。次の声は、先ほどより落ち着いていた。
「……わかった。お嬢様は、無事なんだな」
「はい。もう会場のビルが見えています」
ケイは運転手に正面入口へ着くことを確かめ、その通りに伝えた。スクワラが短くバショウを呼び、車を回すよう告げる声が聞こえる。ケイはスピーカーへ切り替え、端末を三人の間に向けた。
「すぐ向かうが、しばらくかかる。……二人とも、俺たちが到着するまで、やれる範囲でお嬢様を守ってもらえないか」
アリスは端末へ顔を近づけた。
「もちろんです! 友達ですから!」
隣でケイも頷いた。
「友人を一人残して帰るつもりはありません」
「……助かる。何か危険を感じたら、お嬢様を連れて離れてくれ」
「はい。また会える場所が決まったら知らせますね」
通話を終えると、ネオンはカタログを開いたまま、じっと二人を見ていた。
「……別に、一人でも行けたけど」
「三人の方が楽しいです!」
アリスが笑うと、ネオンは慌てたようにカタログへ視線を戻した。少しして、さっき二人に見せようとしていたページを探し、今度はケイにも見えるように広げる。
タクシーが交差点を曲がった。正面の階段と、その下で客を待ち受ける警備員が見えてきた。
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セメタリービルの正面には、警備員が並んでいた。
入口へ続く階段の下に柵が置かれ、参加証を確かめられた客だけが通されている。歩道の端には報道関係者らしい人々も集まり、黒い車が停まるたび、カメラをそちらへ向けていた。
ネオンは代金を払い、タクシーを降りると階段へ向かった。アリスは右側、ケイは少し後ろにつく。走り去るタクシーを背に、一行は警備員の前で止まった。
「ネオン=ノストラードよ。中へ入りたいの」
「参加証か、招待状をお願いします」
「ライト=ノストラードが持ってるわ。娘なの。わかるでしょ?」
「確認いたします。こちらでお待ちください」
警備員は柵を開けず、無線へ口を寄せた。
ネオンは腕を組んで待った。すぐに通されると思っていたのに、警備員は離れたところで無線へ話すばかりだ。靴先で地面を叩き始め、次の客まで先に案内されると、いよいよ目尻が吊り上がった。
ケイは端末に短いメッセージを打ち込んだ。正面入口に到着したことと、入場の確認を待っていること。スクワラからは、到着までもうしばらくかかりそうだと返信があった。
こちらがタクシーで走ってきた道を、向こうはこれから追ってくる。ケイが返信を見せると、ネオンは、まだ時間はあるわね、とビルを見上げた。
ようやく警備員が戻った。
「お父様へ確認を取っております。お連れの方も、ここから先は――」
「パパには聞かなくていいの! ノストラードファミリーの人間でも、ほかのマフィアでも、わたしを知ってる人はいるわ!」
後ろに客が並んでも、ネオンは動こうとしなかった。ケイが、少し横へ寄りましょう、と声を掛けたとき、隣から別の声がした。
「それなら、俺と一緒に入るかい?」
黒髪の青年が立っていた。額には白い布を巻き、耳に大きな飾りをつけている。青年は上着の内側から一枚のカードを取り出し、ネオンに見せた。
「俺の参加証だ。これで、君も入れる」
「本当!?」
ネオンの顔が明るくなった。青年が警備員へカードを渡すと、相手は手元の機器へ通し、表示を確かめて頷いた。
「お連れ様は、お一人ですね」
「ああ」
警備員がカードを返し、柵へ手を掛けた。ネオンも一歩進みかけて、止まった。
「待って。二人は?」
アリスとケイを見ると、青年は申し訳なさそうに眉を下げた。
「この参加証で連れて入れるのは、一人までなんだ。君だけ先に来れば、始まる前に中を見て回れる。友達には、少しだけ外で待っていてもらえばいい」
「三人一緒は駄目なの?」
「追加の方については、受付への確認が必要です」
警備員が答えた。ネオンは開きかけた柵の向こうを見た。階段を上がった先には大きな扉があり、いま通された客が吸い込まれていく。ここまで来たのだ。カタログでずっと眺めることしかできなかった競売品も、中へ入れば実物が見られるかもしれない。
背後へ目をやると、アリスがこちらを見ていた。ケイも何か言いかけたが、ネオンの方が先に口を開いた。
「……それなら、わたしも入らない」
アリスが目を丸くした。ケイも言葉を止める。青年はネオンに尋ねた。
「いいのかい? あんなに入りたがっていたのに」
「入りたいわよ! ……でも、二人を置いていくなんて、言ってないもの」
ネオンは青年へ向き直った。
「ありがとう。でも、三人で入れるようになってからにするわ」
「あとで合流することもできるだろう?」
「それなら、今ここで待つ」
そう言って、ネオンは二人のところへ戻った。カタログを抱える腕には力が入っていたが、もう柵を通ろうとはしない。
「アリスも、ネオンを一人で行かせるつもりはありませんでした!」
「ええ。ここで私たちだけ待つのは、落ち着きませんしね」
「じゃあ、決まりでしょ!」
ネオンは少し得意げに言った。アリスが笑って隣へ並ぶと、ようやくカタログを抱える力が緩んだ。
青年は、カードを上着へ戻した。
「わかった。三人分となると、別に確認してもらう必要があるね。受付に知り合いがいるから、二人分の入場を追加できないか聞いてみよう」
「今度は、三人一緒に?」
「そう。ただ、すぐに許可が出るとは限らない。その間、あの店で待たないか。ここでは後ろの客の邪魔になる」
示されたのは、通りの向かいにある喫茶店だった。少し距離はあるが、硝子越しに窓際の空いたテーブルが見え、奥の客は新聞を読んでいる。入口から店内を見渡せる普通の店だった。
ケイはネオンを見た。彼女も、座れるならそちらがいい、と頷く。
「では、あそこで待ちましょう。迎えにも場所を伝えます」
「友人を待っているのか?」
「ネオンの護衛です。こちらへ向かっています」
ケイはスクワラへ電話を掛け、店の場所を伝えた。参加証を持つ男がネオンだけなら一緒に入れると申し出たこと、本人が断ったことも話す。
「今は、私たちの分も入場できるか、聞いてくれるそうです」
「わかった。その店で合流させてくれ。着く少し前に、バショウから連絡を入れる」
通話を終えると、青年は三人が歩き出すのを待っていた。アリスはその顔を見上げ、ふと首を傾げる。先ほどから三人を順に見ていた目が、自分とケイの頭上で一瞬止まった。
「あなたにも、見えるのですか?」
「何が?」
「頭の上の輪です。今、見ていました!」
青年は少し笑った。
「珍しいものだったからね」
「ヘイローです! アリスたちには、ずっとあります!」
ケイは昨夜見えた青い線を思い出した。あのあとも、触れ合っている間なら、少しずつ形の断片を拾えるようになった。
彼の肩の周りへ意識を向けてみたが、見えるのは上着だけだった。よく知らない相手の能力には用心するよう言われたばかりだ。ケイは開けられた扉の向こうを確かめ、入口に近い席を選ぶことにした。
####
あたりは暗くなり始め、店内には落ち着いた空気が流れていた。
ネオンは窓を背にして座り、アリスがその右隣、ケイが通路側の席を取った。青年はネオンの向かいに腰を下ろす。ケイの位置からは、入口も歩道もよく見えた。
「ありがとう。わたしはネオン。二人はアリスとケイ」
「クロロだ」
注文を済ませると、クロロは席で電話を掛けた。同行者を二人追加できるかと尋ね、しばらく聞いてから通話を終える。
「確認して折り返すそうだ。少し待つことになる」
「スクワラたちが来るまでに、返事があるといいんだけど」
「来たら、その人たちにも話そう」
ネオンは頷き、カタログをテーブルへ置いた。クロロは端から飛び出した付箋を見て、目当ての品があるのかと尋ねる。
「ええ。わざわざここまで来たのに、何も見ないで帰れって言われたの! ひどいでしょ?」
「誰かに買ってきてもらうのでは、足りない?」
「自分で見たいのよ。それに、今日は二人にも見せたかったし」
ネオンがページを開くと、アリスもすぐに覗き込んだ。
「アリスは、勇者の剣を見たいです!」
「昨日も見てたわね、それ。って、そもそもこれ勇者の剣じゃないし……」
「来歴ならこの下に書いてありますよ。儀礼剣の一種みたいですね」
ケイが指した説明を、アリスは覗き込んだ。ネオンも別の品を見せ始める。クロロは品物について感想を挟み、話が途切れたところで、三人はいつから一緒にいるのかと尋ねる。
アリスは昨日ヨークシンシティに初めて来たことを話し、ケイはネオンとクレーンゲームをきっかけに知り合った話を足した。
飲み物が運ばれてきた。ネオンは紅茶、アリスはココア、ケイとクロロはコーヒーを頼んでいた。
アリスは両手でカップを持ち、一口飲んでから、そっと戻した。
「……熱いです。でも、おいしいです!」
「そんなに急いで飲むからよ。こっちも、いい匂い」
ネオンがカップを少し寄せると、アリスは顔を近づけた。湯気と一緒に甘酸っぱい香りが上がってくる。
「本当です。果物が入っているのですか?」
「オレンジだって。メニューに書いてあったわ。ケイ、そっちは?」
「こちらは、甘くありませんね」
「お砂糖、使いますか?」
「少しいただきます」
アリスが砂糖入れを押すと、ケイは礼を言って受け取った。ネオンも自分の紅茶をもう一口飲む。入口で尖っていた声は、すっかり元に戻っていた。
クロロがカップを置くと、ネオンは顔を向けた。
「あなたも、何か欲しいものがあって来たの?」
「気になるものがいくつかあってね。……ところで、ノストラードという名前には聞き覚えがあるんだ。君は、占いをする人じゃないかな」
「知ってるの?」
ネオンは少し嬉しそうに眉を上げた。アリスもココアから顔を上げる。
クロロは、ようやく自分へ向いた視線に笑みを返した。