「君の占いは、ずいぶん頼りにされているみたいだね。君の占いなしには、大事な取引をできなくなる人もいると聞いた」
クロロの言葉に、ネオンは頷いた。
「ええ。パパだけじゃないわよ。ほかの人も、わざわざ頼みに来るの。昨日だって、急いで書いてって何回も言われたんだから」
「そんなによく当たるのか」
「百発百中なんだって! すごいでしょ」
少し誇らしげに答えたものの、ネオンはそれ以上話を広げず、紅茶へ口をつけた。隣のアリスが今度は恐る恐るココアを飲んでいるのを見て小さく微笑む。
クロロも急かさず、二人へ話を向けた。
「君たちも、占ってもらったことがある?」
「いいえ。でも、昨日ネオンが占っているところを見ました。手が勝手に動くんです!」
「そうなのかい? 占いっていうと、相手のことを観察しながらじっくりやるもんだと思ってたけど」
今度はネオンに尋ねた。彼女は、しないわよ、とカップを置いた。
「手が動くのを待っていれば終わるの。自分で考えて書くんじゃ、占いにならないでしょ」
「それもそうか……すごいな。それなら、俺も一度お願いできないかな」
ネオンはすぐには答えなかった。まだ半分以上残っている紅茶を見て、肩をすくめる。
「あー、今日はお休みにしたいんだけど。朝から帰り支度でうるさかったし、やっと解放されたのに」
「待っている間に、俺の分だけ。そう長くはかからないんだろう?」
クロロは声を柔らかくした。ネオンが断り切らずにいると、カタログの横へ手を置いて続ける。
「どうにも気になることがあるんだ」
ネオンは窓の外を見た。スクワラたちは、まだ来ていない。入場できるかどうかの返事も待っているところだ。青年は自分たちを案内しようとしてくれたし、占いを頼まれること自体は珍しくなかった。
「……迎えが来るまでなら」
「ありがとう」
クロロは店員を呼び、白い紙とペンを頼んだ。ネオンはカップを端へ寄せたが、ケイがそれを持って片づけようとすると、まだ飲むからそこに置いて、と止める。
アリスもココアを手元へ引き寄せた。昨日見た、不思議な手の動きを思い出す。それから紙が運ばれてくる方へ目を向けた。
紙を受け取ったクロロが、ペンの書き味を確かめる。ネオンはカタログを閉じ、空いたところを指した。
「そこに、名前と生年月日、血液型を書いて」
####
「写真も必要だと聞いたんだが……」
「本人がいれば、いらないわ」
クロロは言われた項目を紙へ書き、ネオンの方へ向けた。アリスは書かれた名前を読んだ。クロロ=ルシルフル。さっき聞いた名前の後ろに、姓も続いていた。その下の数字を読む前にネオンが紙を引き寄せたので、目線をクロロの方へ移した。
「気になることって、何ですか?」
アリスに尋ねられ、クロロはペンを渡す手を少し止めた。
「……行方知れずの、友人のことを考えていた」
ネオンも顔を上げた。
「その人を占いたいなら、その人のことを書かないと駄目よ」
「いや、俺の分でいい」
クロロはペンを渡した。受け取ったネオンは、紙に書かれた項目を一つずつ確かめる。
「君は、死んだ人のために占うこともあるのか?」
その問いに、ネオンは不思議そうに聞き返した。
「死んだ人? ないわよ。占いを読める人がいないじゃない」
「残された人が読めば、何かできるとは思わない?」
「……わからない。でも、読んだ人が悪いことを避けられるなら、その方がいいんじゃない? そもそも未来がないから占えないと思うけど」
クロロは黙って聞いていた。さっきまでの笑みが薄れ、ネオンが言い終えてもすぐには答えない。
ネオンはそれ以上、言葉を重ねなかった。もう一枚の白紙を手前へ寄せ、ペンを持ち直す。
「じゃあ、あなたの分を占うね。えーと――」
ケイの端末が震えた。
バショウからだった。セメタリービルに到着し、こちらへ向かうという。
「会場に着いて、こちらへ向かっているそうです」
「あ、そう。じゃあ、ここまでね」
ネオンはペンを置いた。紙はまだ白いままで、占いが始まる前だった。
クロロが穏やかに声を掛ける。
「まだ何も書いていないだろう。あと少しだけ、頼めないかな」
「迎えが来るまでって言ったでしょ」
ネオンは残っていた紅茶を飲み、カタログを取った。窓の外へ目をやってから、クロロに向き直る。
「三人で入れるかって話、まだ返事はないの?」
「もう少し待ってもらいたい。その間に書いてくれれば――」
「それは、スクワラたちに説明して。わたし、占いの続きをするために待つとは言ってないわ」
声は少し尖ったが、席を立つ手つきに迷いはなかった。
「案内してくれようとしたのは、ありがとう。でも、今日はもうおしまい。パパに言ってくれれば、優先して占ってあげるから」
アリスが先に立って椅子を引き、ケイは鞄を持って通路へ出た。
「ネオン、帽子を忘れています!」
「わかってる。……あ、ありがとう」
アリスに渡された帽子を被り、ネオンも立った。カタログを抱え直すと、テーブルを回ってケイの待つ方へ歩きかける。
クロロも椅子から立った。
参加証で娘だけを連れ出すことはできなかった。三人のまま話を進めても、娘の注意はすぐ隣の二人へ戻る。能力の実演すら見ないうちに、今度は本職の護衛が来る。
クロロは立ち上がった二人へ目を向けた。オーラを纏っているが、強者の気配は感じない。できれば穏便に事を進めたかったが、タイムリミットのようだ。連れの二人に気づかれずに、娘が声を上げる前に意識を奪う。多少強引になるが、今なら攫える。そう見積もり、テーブルの角を回った。
自分の身体で死角を作り、左の手刀を彼女の首筋へ走らせた。誰にも気づかれることなく、意識を奪う――
割り込んだアリスの右手が、クロロの振り下ろした左手首を横から掴んでいた。
(止められた――)
どこか無機質な碧眼が、クロロを覗き込んでいた。首筋へ届く前に止まった手を、クロロはすぐに返した。しかし、指を外そうとしても握りは緩まない。アリスは身体ごと彼へ向き直り、その腕を押さえる。
アリスは空いた左手でネオンの背を押し、ケイの方へ逃がした。何が起きたのかわからずに固まったネオンの肩をケイが抱き、自分の後ろへ回す。続けて、通路を塞いでいた椅子を空いた手で隣のテーブルへ退けた。出口へ続く道が空いた。
その間にも、クロロの右手はアリスの顔へ向かっていた。
アリスが左腕を戻して受けた瞬間、人の身体を打ったとは思えない硬い音が店内に響いた。肘の上から肩まで衝撃が走り、右手の握りがわずかに緩む。クロロは身体を回し、その一瞬に手首を捻って抜いた。
抜けた左手は止まらなかった。アリスが体勢を整えるより先に、指を揃えた手刀が喉へ伸びる。踏み込む足も、さっきより深い。
アリスは顎を引き、反射的に右前腕を間へ入れた。喉は守れたが、腕ごと胸元へ押し戻され、靴が絨毯を滑る。いくつかのテーブルや椅子を押し動かし、ようやく踏みとどまった。
「……不意打ちとは卑怯です! アリス、戦闘モードを起動します!」
詰まった息を吐くと、すぐに床を蹴った。まだ痺れの残る右手を握り、男に届く距離まで踏み込んで拳を返す。
クロロは横へ身をかわした。アリスは拳の向きを変えて追ったが、彼の身体はもうそこにはなく、背後の椅子の背が大きな音を立てて砕け散った。
もう一歩踏み出しかけて、アリスは入口のケイたちを視界の端に捉えた。追えば、その間を通られる。身体の向きを変え、出口を背にしてクロロの前へ立ち直る。
「ネオン、危ないですからケイの後ろに隠れてください! アリスがパーティーの盾(タンク)になります!」
(……どういうことだ?いくら何でも頑丈すぎる)
クロロの手には、確かな手応えが残っていた。少女の顕在オーラ量は変わらず、打たれた場所へオーラを集める動きもない。纏のまま受けたなら、腕がへし折れていてもおかしくない威力だったはずだ。
それなのに、少女はその腕で打ち返し、今も次の攻撃を待っている。目に見えるオーラと、身体の強度が噛み合わない。
(肉体そのもののポテンシャル?……いや、何らかの『制約』による耐久力の底上げ。あるいは能力そのものの効果か――)
奥の客が椅子を蹴って立ち上がり、店員の悲鳴が上がった。ケイに連れられたネオンも振り返る。
「アリス!」
「先にいってください!」
振り向かずに返し、アリスはクロロを見据えた。身体を斜めにして、右手を前へ戻す。
(今度こそ、捕まえます!)
腕を下げきらず、相手の足の位置を確かめる。ネオンのいる出口へ向かうなら、自分の前を通るはずだった。
####
クロロがアリスの左側へ踏み込んだ。
アリスが止めようと手を伸ばす。クロロは腕を引いてその手をかわし、空いた左肘を彼女のこめかみへ叩き込んだ。鈍い音が響き、黒髪が跳ねる。それでも、アリスの膝は折れなかった。
「ただいまの攻撃によるダメージは……ゼロです! アリスの防御力を侮らないでください!」
アリスが顔を上げると同時に横から椅子が割り込んだ。
ケイは椅子の背を掴み、クロロの肩へ押し込もうとする。彼は肘を戻し、身体をひねって蹴り退けた。木の脚が折れ、座面が大きく傾く。
「アリス、下がって!」
その声に合わせ、アリスがケイの横へ退いた。額から一筋の血が流れていたが、足取りは乱れない。
ネオンはもう扉の外だった。殴られたアリスを見て戻ろうとした肩をバショウが押さえ、少し後ろの歩道からスクワラが車の方へ来いと呼んでいる。ケイはネオンを任せたバショウへ声を掛け、壊れた椅子を手放した。
「お願いします!」
二人が並んで入口まで退くと、クロロは足を止めた。
動きは素人と大差ない。傷も負わせた。だが、頭を狙ってなお倒せない。
(傷がつくなら打撃は有効、か。さっきのは、頭を砕くつもりで打ったんだけど……本当に人間か?)
硝子の向こうでは、護衛がネオンを車の陰へ移しているのが見えた。二人を排除して娘を取り戻すには、障害が多すぎる。
顔と名前を知られ、能力も手に入らなかった。二人とも始末しておきたかったが、すぐには片づきそうにない。散々な結果でも、取り返そうと追い続ければ今夜の予定まで変わる。短い接触で済ませるつもりだった仕事を、ここで膨らませる気はなかった。
(どうも、うまくいかないもんだな)
クロロはテーブルへ一度だけ戻り、自分の情報を書いた紙を回収した。代金の紙幣を置き、客たちが避けたカウンター脇から店の奥へ消える。
裏口を出てから、シャルナークへ短く連絡を入れた。占いは手に入らなかったこと。黒髪と白髪の、頭上に輪を持つ少女が二人いたこと。力ずくで連れ出そうとして阻まれたことも伝える。左手首には、掴まれた指の痕が赤く残っていた。
「団長がしくじるなんて珍しー!」
「想定外があってな……ただ、面白いものを見つけた」
クロロは手に残った感覚を思い返した。あれは異常だった。硬の一撃を、纏だけで受けて立っていられる。道理ではない。
興味は尽きないが、いったん考えを切り替える。それは今、立ち止まって考えることではなかった。
「こちらの顔と名前は伝わる。次に同じように近づくのは無理だな」
「今夜の動きも変える?」
「いや、変えない」
追ってくる者はいない。クロロは通話を終え、競売場の方へ向かう。ウボォーギンのためにすることが、まだ残っていた。
####
店の表では、二人が車のそばへ戻ってきたところだった。
「アリス!」
ネオンがスクワラの脇から駆け寄った。伸ばした手は、額を流れる血を見たところで止まる。裂けた袖からのぞく腕にも赤い痕があり、どこに触れればよいのかわからないようだった。
「血が……痛いでしょ、それ」
「かすり傷です! 敵のAGIが高くて逃げられてしまいました……!」
アリスは少し悔しそうに答えたが、すぐにネオンの顔を覗き込んだ。
「ネオンは? どこも痛くありませんか?」
「わたしは、何ともないけど……」
「ならよかったです! 不意打ちの迎撃は大成功ですね」
アリスが笑った。ケイもネオンの様子を確かめ、ようやく張り詰めていた肩を下ろす。アリスのことは心配だったが、あの程度で大きなけがを負うとは考えていなかった。
「安心しました。破片で怪我をしてもおかしくなかったので、そこは運が良かったですね」
ネオンは二人を見比べた。怪我をしたのはアリスなのに、こちらが無事だと聞いて、本当に嬉しそうにしている。
「……ありがとう。二人とも」
何かを付け足すより先に、言葉が出た。
「一緒に来てくれて、ホントよかった」
「はい! アリスも、一緒に来てよかったです」
ケイはネオンの乱れた髪をそっと整えた。
「続きは、帰ってからにしましょう。アリスの傷も一応診てもらわないと」
「……うん!」
ネオンは今度こそ頷いた。アリスの腕を引く代わりに、ケイの手を取る。バショウが後ろを警戒する中、三人はスクワラの開けた車の扉へ向かった。