ホテルへ戻ると、ネオンは待っていたエリザの手を取った。
「お医者さんを呼んで! アリスが怪我したの」
すでに連絡されていたようで、そのまますぐに居間へ通される。ケイがアリスの隣に座り、借りた清潔な布を額の傷へ当てる。その時点で血はすでに止まっていた。
「じっとしていてくださいね」
「はい! ネオンも座りませんか?」
アリスが隣を見た。ネオンはそこでようやく腰を下ろしたが、視線は額と腕を往復していた。
間もなく医師が到着し、先にネオンを診ようとして、本人に突っぱねられる。とにかく早くアリスを診てほしいと言われ、真っ先にアリスへの処置が始まった。
しかし実際には、どの怪我も深刻なものではなかった。クロロの打撃を受けたときの凄まじい打撃音を聞いていたネオンが驚く。
「嘘でしょ……いや、良かったんだけど! え、頑丈すぎない!?」
「アリスは勇者なので!」
医師は目の反応や手足の動きも確かめたが、特に問題はないという。受け答えに乱れはなく、両腕にも骨折を疑う所見はない。ただ、頭を強く打っているので、今夜は休んで様子を見るようにと言われた。痛みが増す、気分が悪くなるなどの変化があれば、すぐに呼んでほしいとのことだった。
右手の痺れは帰る間に引いていたが、腕を動かすとまだ少しだけ違和感があった。
「特訓クエストの解禁はお預けでしょうか? アリス、今すぐ近接攻撃スキルのレベル上げをしたかったのですが……」
「当たり前でしょ!」
ネオンの声が少し強くなったが、アリスにまったくこたえた様子がないので、徐々にいつもの調子が戻ってきた。
それでも何かをやろうとして、ケイから受け取った冷却用の袋をタオル越しにアリスの腕へ当てた。
ネオン自身にも痛むところや傷がないことを確かめてから、医師はエリザに声を掛けて部屋を出た。スクワラは廊下で、娘が無事に戻ったことをライトへ報告していた。
####
父親からの電話が来ても、ネオンはアリスの腕に当てた袋を離さなかった。
「今、これ持ってるの」
「少しの間、私が代わりますね」
ケイが手を差し入れると、ネオンはようやく端末を受け取った。父親の怒声が聞こえた途端、眉が寄る。
勝手に出るなと何度言ったか。なぜ一人で外に出たのか。それとも誰かに連れ出されたのか。
「二人は後で合流しただけ! わたしが呼んだの。電話するのを待ってって言ったのも、わたし!」
声は大きくなったが、アリスを見て少し抑えた。
「……そうよ。二人が助けてくれたの。ちゃんと帰ってきたでしょ」
ライトが何か言うたびに、ネオンの機嫌はどんどん悪くなった。そもそも約束を守らないパパが悪いんじゃん、と最後にはふてくされて端末を護衛に押し付ける。
出発はいったん見合わせ、移動の手配をし直すことになった。電話を代わったスクワラは、アリスの負傷を報告し、診察や店の弁償の話をする。通話を終えると、アリスとケイへ向き直った。
「……連絡をくれて助かった。お嬢様を守ってくれたことにも、礼を言う。怪我のことも、悪かった。本来は俺たちの仕事だ」
「大丈夫です! これくらいアリスのパッシブスキルですぐに治ります」
そのままアリスはネオンに向き直った。
「それにアリスは、ネオンと一緒にオークションに参加したかっただけです!」
「自分たちで決めたことですから。それ以上の謝罪は必要ありません。護衛の仕事を引き受けていたわけでもないですし」
ケイの返事に、スクワラは頭を下げるように頷いた。買い物の手配に気を取られ、化粧室から出たネオンを見逃した経緯も、ライトへは報告してある。大失態だったが、とりあえずはネオンが無事だったので処分は保留となった。そもそも護衛対象が逃げ出したのだ。スクワラとしては勘弁してほしいというのが正直なところである。
「店を出るとき、奥へ向かう男の横顔は見えた。黒髪で、額に布を巻いた奴だな」
バショウの問いに、ケイが頷く。
「はい。本人が書いていた名前はクロロ=ルシルフル、年齢は確か――」
「26歳、AB型」
ネオンが付け足した。占いのために本人が渡した情報をスクワラは書き留める。
クラピカへ伝えると言って、スクワラが席を外すと、ネオンはまたケイの手元を見た。
「わたし、持つ」
「では、お願いします。力を入れなくても大丈夫ですよ」
冷やす袋を受け取り、ネオンはアリスの隣へ座り直した。
「……怒ってないの?」
アリスが首を傾げると、ネオンは少し声を落とした。
「わたしに、怒ってない? ついてきてって言って、怪我、したから」
アリスはネオンを見た。さっき父親へ言い返していたときより、ずっと小さな声だった。
「行くと決めたのはアリスです! アリスは、アリスがやりたいことしかしていません」
「でも――」
「怪我はすぐに治ります。だから、そんな悲しいお顔はしないでください」
「友人とのお出かけをあの男に邪魔をされただけです。ネオンが謝る必要はありませんよ」
ケイの言葉を聞いても、ネオンはまだ何か言いたそうだった。アリスがさらに続ける。
「ネオンのおかげでオークション会場を見ることもできました。ココアも美味しかったです。それに、新たな強敵の登場も冒険の醍醐味です!」
「……ふふ、なにそれ」
ネオンの口元が、ようやく緩んだ。
「……そう、だよね。二人はわたしの友達だもん」
「そうです! 仲間を守らない勇者はいません!」
「アリス、腕を動かさないでください」
####
センリツが話を聞きに来たときには、部屋からすでに笑い声が漏れていた。それを遮るのは忍びなかったが、確かめなければならないことがあった。
「占いは、書いたの?」
「向こうが名前とかを書いただけ。わたしは、何も書いてない」
ネオンは答え、少し間を置いた。
「それで帰ろうとしたら、急にアリスに後ろから押されて……それから、アイツがアリスを殴ったの! あー、なんか腹立ってきた! なに、あの変な耳飾り!」
ネオンはすっかりいつもの調子を取り戻したようで、女の子を殴るなんてサイテー! と声を上げていた。
そんなネオンに代わり、ケイは起きたことを順に説明した。男の手刀をアリスが止め、自分がネオンを外へ連れ出したこと。その間にアリスが両腕と頭を打たれ、椅子を使って距離をとったこと。最初の手刀は意識を奪うためのものに見えたので、そのまま連れ去るつもりだったのではないか、とも付け加えた。
「そうなの? なんで?」
「わかりません。ただ、ネオンの占いは誰もが欲しがる能力でしょうから……」
ネオンに問われ、ケイは答えた。センリツもそれに頷いた。
「断定はできないけれど、その可能性が高いわね。喫茶店も押さえたし、そのうち情報も集まると思うわ」
「できる範囲でいいので、その情報を私たちにも共有していただけますか? すでに因縁ができてしまったので」
「ええ、できる限りのことはするつもりよ」
ケイは現地端末の通話履歴も見せた。センリツが時刻を控える間に、クロロに二人のヘイローが見えていたことも伝える。
「クロロも念能力者なんでしょうか?」
「聞いた話をまとめると、ほぼ間違いないわ。今はゆっくり休んで。また話しましょう」
アリスは少し残念そうに頷いた。
センリツが部屋を出ると、ネオンはすぐに声を掛けた。
「ねえ。今夜は一緒にいられるんでしょ? きっと明日も。ゲームの続きをやりましょ!」
「もちろんです!」
返事があまりに早く、ネオンは少し笑った。
「ボードゲームだけじゃ飽きちゃうわ。明日はゲーム機とソフトをここへ持ってきてもらえば、もっといろいろ一緒に遊べるでしょ」
「ここではどんなゲームが流行ってるんですか?」
「うーん、実はわたしもあんまり詳しくないの。一緒に選びましょ」
「はい、アリスに任せてください!」
そこからはゲーム機やゲームソフトの話で盛り上がった。三人で端末を覗き込みながら、あれでもないこれでもないと話す。
「このキャラクターが流行ってるんですか? なんというか、独特なデザインですね」
「あー! これ、懐かしい!」
ネオンが見覚えのある画面へ指を伸ばした。
「でもこのゲーム、すっごいつまんなかったのよねー」
「アリス、知ってます。クソゲーですね!」
「なんでちょっと嬉しそうなの……絶対やんないからね!」
アリスが協力型RPG、ケイが無難に対戦ゲームを選び、最後の一つはネオンが選ぶことになった。
「やっぱり三人で同じ敵と戦うのがよくない?」
「協力プレイですね!」
「今回は喧嘩せずに済みそうですね」
「ケイ、それには別の楽しさがあります!」
ネオンはそんな二人のやり取りを聞きながら、画面を操作する。
大変な一日だったが、これほど心が躍る時間は久しぶりだった。
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ゲームの候補を絞ったところで、部屋の前で待機していたスクワラの端末が鳴った。ライトからだった。今度は、アリスとケイにも話があるという。
スクワラが部屋へ入り、端末をテーブルに置くと、三人は端末の前に移動した。
「改めて、娘を守ってくれたことに感謝する。怪我の具合は聞いた。治療に必要なものは、こちらで用意させる」
「ありがとうございます! アリスは大丈夫です!」
その勢いにライトは面食らったようだったが、働きをねぎらったあと、すぐに本題に入った。
「君たちに仕事を頼みたい」
ネオンが先に反応した。
「仕事?」
「二人に、ネオンの護衛を頼もうと考えている」
ネオンの顔がぱっと明るくなった。二人を振り返りかけて、そこで動きを止める。
「……待って。護衛にするって、パパの部下にするの?」
「娘のそばを守ってもらうんだ。ネオンも、二人と一緒にいたいと言っていただろう」
「そうだけど!」
ネオンはぐっと拳を握った。
「……わたし、二人とは友達でいたいの。スクワラたちと同じにしてなんて、言ってない」
スクワラは何か言いたそうにしたが、ネオンの表情を見て口を閉じた。
娘の予想外の言葉に、ライトも戸惑っているようだった。
アリスはネオンの方へ身体を向けた。
「アリスも、ネオンの友達でいたいです!」
「私もです。それに、少なくとも事態が収まるまでは、ネオンと行動を共にするつもりです。別に護衛にする必要はないのではないですか?」
「ほら。二人だって、こう言ってるじゃん!」
ネオンは端末へ向き直った。二人がそばにいてくれるのは嬉しい。けれど、父親の部下になってしまったら、今までと同じように笑い合えるのだろうか。まだ出会って一日しか経っていない。それなのに、何でもないことで笑い合う時間が、こんなにも楽しいなんて知らなかった。
どうしてそこまで大切に思うのか、自分でもうまく説明できない。ただ、ようやく見つけた何かが、変わってしまうのは嫌だった。
ライトは娘の言葉をしばらく考えてから、今度は二人へ話しかけた。
「娘の友人でいることに、口を出すつもりはない。だが、警護を任せるなら話は別だ。契約と報酬が必要だ。利害関係のない余所者を手元には置けない」
「今いる護衛の方だけでは、足りないのですか?」
ケイが尋ねると、電話の向こうで少し間が空いた。
「……裏で動きがある。今夜も大規模な戦闘が起こる可能性が高い。何より、今日の襲撃犯がいつまたネオンを狙うかも分からない状況だ。守りは厚くしておきたい」
クラピカが別の仕事へ向かったことを、ケイは思い出した。ライトがこの場にいないのも、それと関係があるのだろう。ライトは詳しいことを話さなかったが、オークションへ行けない理由が警備員の融通だけではないことはわかった。
「今日、ネオンが無事だったのはいくつもの幸運が重なった結果にすぎない。次も同じ幸運を期待するのは、愚か者がすることだろう? 娘の護衛を引き受けてもらう以上は、こちらも金を払い、契約で縛り、責任を持ってもらう。それができなければ、今いる護衛だけで警護体制を組むしかない。……だが、君たちが娘の友人でいてくれるのなら、どうかネオンを守ってほしい」
ケイはアリスと目を合わせた。
ケイは、ライトの物言いに打算が混じっていることに気づいていた。ネオンを守りたいという親心は偽りではない。素性の知れない者を重用できないというのも本音だろう。だが、それと同じくらい、あるいはそれ以上に、アリスと自分を戦力として取り込みたいという思惑が感じられた。恐らく、今日の戦闘の詳細を伝え聞いているのだろう。空気を揺らすほどの強烈な一撃に耐えたアリスなら、ネオンを守る「壁」として十分に役立つと踏んだのだ。
ネオンと一緒にいることには、二人とも異存がない。ただ、目の前の友人を守ることと、組の一員になることは違う。
「……ネオンの身を守り、危険から遠ざける手助けだけなら引き受けます。ただ、私たちはノストラードファミリーに入るつもりはありません。今日の男を追うことにも、その背後の動きにも、こちらから関わるつもりはありません」
「それでいい。今夜から三日間の、外部協力者として一時的に雇う形にしよう。組の仕事には回さない」
「ネオンも、それならどうですか?」
ケイに聞かれ、ネオンは考えた。すぐには返事をせず、二人の顔を順に見る。
「お金をもらったら、急にお嬢様って呼ぶ?」
「? ネオンはネオンです!」
アリスの返事は早かった。ケイは少しからかうように言った。
「呼んでほしいなら呼びますが、ネオンお嬢様?」
「ホントやめて!」
本気で嫌そうなネオンに、ケイは微笑んだ。
「すみません、冗談です。これはあくまでも、ネオンの護衛に責任を持つという話だと思います。正直、私たちのやることは変わりません」
ネオンはその言葉をゆっくりと噛みしめた。しばらく考え込んだ末に、ようやく頷く。
「……そう。じゃあ、分かった。今まで通り接してよね!」
念を押してから、ネオンはようやく端末のそばを空けた。
二人はひとまずネオンと離れ、スクワラに案内されて別室へ移り、雇用条件の説明を受けた。契約期間は開始から七十二時間。食事代や宿泊費、仕事に必要な移動費は別途負担される。契約を延長するかどうかは期間満了前に相談し、何らかの事情で事前の協議が難しい場合は、自動的に更新されるという。
ケイは書面に記された契約金を見て、思わずつぶやいた。
「……大金ですね」
「襲撃が予見される状況で、娘の安全を任せるんだ。それだけの働きはしてもらう」
ケイにとってその金額が妥当かどうかはわからなかったが、身元が定かでない自分たちに支払われる報酬としては、かなりの大金に思えた。ライトは具体的な配置についてはクラピカと相談するよう告げた。すでに話は通してあるという。電話を引き継いだスクワラが用件を確認し、そのままクラピカへつないだ。
契約期間中は、室内でも車内でも、原則としてネオンに付き添う。部屋もネオンの私室の隣へ移され、寝室への立ち入りも許可された。身の回りの世話は引き続きエリザが担当するが、彼女に戦闘能力はない。同世代の同性であることも、ライトが二人を護衛に迎えたい理由の一つだった。
廊下や建物の外、移動経路の警戒は、これまでどおり既存の護衛が担当する。仕事の指示はクラピカから受け、彼が不在で連絡も取れない場合は、スクワラに相談することになった。
「お嬢様が外へ出ようとした場合には、すぐに私たちへ連絡してほしい。移動経路も同行者も、こちらで確認する」
「わかりました」
「怪我の状態はどうだ。戦闘に支障が出る可能性は?」
クラピカの言葉に、アリスは冷やしていた腕の調子を確かめた。
「大丈夫です! 明日には、アリスの機能は完全に回復します!」
「……そうか、分かった。ではよろしく頼む」
ケイもその見立てに異論はなかった。痣が消えるまではもう少し時間がかかるだろうが、アリスの再生能力を踏まえれば、明日には動作に支障がない程度まで回復するはずだ。念を使いこなせば回復を早めることもできると聞いたが、あまりに早い回復は不自然に映る可能性がある。ケイは念のため、アリスの腕に包帯を巻いておくことにした。
雇用条件を記した契約書と併せて、新たな誓約書も用意された。
以前の項目に加え、クラピカを含むノストラードファミリーの数名にも、故意に危害を加えないことが条件に盛り込まれていた。また、ファミリーに不利益をもたらす情報を故意に漏洩することも禁じられている。
話を終えて居間へ戻ると、二人は使う部屋が決まったことをネオンに伝えた。寝室と内扉でつながる隣室だと聞き、彼女の目が輝く。
「隣? じゃあ、着替え終わったらわたしもそっち行くから!」
「はい、今夜はみんなでゲーム大会です!」
「その前に、荷物だけ移し替えましょう」