用意された部屋には大きなベッドのほかに、向かい合わせに置かれた小さなソファとテーブルがあった。アリスは鞄を下ろすと、ソファへ飛び乗る。ケイが破れた上着の代わりに着るものを探していると端末が鳴った。
クラピカだった。先ほどは契約の話が先になったが、実際に対峙した男の印象を聞きたいという。
額の中央を覆う白い布、下ろした黒髪と特徴的な耳飾り。ケイが答え、アリスも思い出したことを付け足す。紙に書かれていたクロロ=ルシルフルという名と、ネオンが覚えていた年齢や血液型も、スクワラから伝わっていた。
「AGIが高かったです。ATKも思ったより高くて驚きました! 普通、AGIの高い敵はATKが低いものなのですが……」
「とにかく、落ち着いていましたね。こちらのアクションに対して一切動揺したそぶりがないというか。彼がその、幻影旅団の一員かもしれないのですか?」
「まだ断定はできないが……可能性は高い」
襲撃のあったカフェにも監視カメラはあったが、何者かによって記録データが完全に消去されていた。恐らく単独犯ではない。もしあの男が幻影旅団だった場合、ネオンはA級首に狙われていることになる。その可能性を聞いたライト=ノストラードは生きた心地がしなかった。アリスとケイを強引にでも護衛に加えたのは、そういった背景もある。
クラピカとの通話が切れると同時に、窓の外から、短く乾いた音が何度か聞こえた。
「……銃声ですね」
ケイが顔を上げ、窓から覗き見る。ビルの間には車の灯りが集まり、赤い光が点滅している。
廊下の足音が増え、スクワラが表の扉を叩いた。窓から離れるように言い、競売場の方が騒ぎになっていると伝える。このホテルへ向かう不審者は、今のところ確認されていないらしい。
「ネオンは?」
「寝室だ。寝支度をした後にお前らのところへ遊びに行くって張り切ってたぞ」
「それは、歓迎しないといけませんね」
「そうしてやってくれ。こっちも助かる。どうも今夜は荒れそうだ。できれば朝までお嬢様についてやってほしい」
「はい。ありがとうございます」
スクワラは廊下へ戻った。ケイはカーテンを引き、窓側の照明を落とす。ネオンから『今から行く!』のメッセージが届いたのは、ちょうどその時だった。
####
内扉が二度鳴った。
「お邪魔しまーす!」
「はい! どうぞ!」
アリスが答えるのとほとんど同時に、ネオンはトランプのケースとボードゲーム、白い兎を抱えて入ってきた。エリザが飲み物と菓子を置いてネオンの寝室へ戻ると、礼を言って内扉を閉める。
「二人の部屋、こんな感じなんだ。こっちのソファの方が近くていいわね」
ネオンはテーブルを見て、次に包帯の巻かれたアリスの腕へ目をやった。
「腕は大丈夫? 痛くない?」
「アリスのHPは全快です!」
「そんなわけないじゃん。……でも、本当によかった」
ネオンはテーブルへトランプのケースとボードゲームの箱を置いた。兎を脇へ置いてアリスの横に座ると、早速トランプを箱から取り出す。
「なら、遠慮はいらないわね。今日は朝まで遊びましょ!」
「はい!」
「いや、さすがに寝てください」
ケイは苦笑しながら向かいのソファに座った。
ケイがテーブルの脇にあったリモコンのスイッチを押すと、壁のテレビでニュースが流れ始めた。音量を小さくしている間に、ネオンが三人へ札を配っていく。最初はババ抜きだった。
揃った札を捨て、隣の手札から一枚引く。アリスは引いた札を見るたびに、喜んだり難しい顔をしたりと忙しい。ネオンも似たようなもので、ケイにジョーカーを引かせたときには、相手が札を確かめるより先に笑い出してしまった。
「……何か、楽しそうですね」
「別に? 早く見れば?」
ケイが札を裏返すと、道化師と目が合った。
「……なるほど。そういうことですか」
「ケイ、次はアリスです!」
「ええ。お好きな方をどうぞ」
差し出された二枚のうち、アリスは迷わず右を取った。その途端、ケイの口元が緩む。
「……来るのが早すぎます!」
「アリスが選んだんですよ」
「ケイも実は結構負けず嫌いだよねー」
最初に上がったのはネオンだった。揃った最後の二枚を勢いよく場に置き、空になった両手を見せる。
「いちばん! ねえ、見た?」
「うー、アリスもすぐに続きます!」
そう言ったアリスの手に、最後までジョーカーが残った。ケイが札を集めようとすると、まだ勝負がついていないかのように、その一枚をじっと見つめている。
「もう一回です」
「いいわよ。今度もわたしが勝つけどね」
「私も、まだ一番にはなっていませんから」
ケイもケースには戻さず、札を切り直した。
次の勝負では、アリスが先に手札をなくした。今度はネオンが悔しがり、その次はケイの手にジョーカーが残る。
誰かが勝つたび、負けた二人のどちらかがすぐに次を始めるので、勝負が終わらない。
ようやくトランプを脇へ寄せたのは、ネオンが持ってきたボードゲームをアリスが気にし始めたからだった。
「これもやってみましょう!」
「そうね。ケイ、ジョーカーあんまり引いてくれなくなってきたし」
「統計です。もうネオンがどこにジョーカーを隠すかわかってきました」
「漫画のキャラみたいなこと言うじゃん」
ケイって負けず嫌いだよね、と再びネオンがからかうのを尻目に、アリスは箱から折り畳まれたすごろく盤を取り出した。
赤、青、黄色の駒を一つずつ選び、三人はまた身を寄せた。
初めに大きくリードしたケイは、一回休みの宿屋に何度も捕まり足止めされる。追いついたネオンは、自分の駒をわざとゆっくり動かして、ケイの駒を追い越した。
「お先に!」
「……すぐに追いつきますから」
「ケイ、ゆっくり休んでください! アリスは先にお城で待っています!」
「アリスまで……!」
その後もデッドヒートを繰り広げながらアリスは城の手前まで進み、あと少し、とサイコロを両手で包む。
出た目の先には、八つ戻る。
「うわーん、ひどすぎます!」
「ちゃんと戻って。八つよ、八つ」
「わかっています!」
アリスが駒を一マスずつ戻す横で、ネオンの駒が先へ進んだ。城に着くと、彼女は思わず両手を上げる。
「やったー! わたしの勝ち!」
「……勇者より先に、お姫様がお城に着いてしまいました」
「迎えに行ってあげよっか?」
「次はアリスが先にゴールします!」
ケイは自分の駒をつまみ、出発点へ戻した。
「今度は、宿に寄らずに行きたいですね」
「サイコロにお願いすれば?」
「お願いで変わるなら、先ほどからしています……!」
盤を置き直していたところで、テレビからヨークシンの名が聞こえた。
ネオンが先に顔を上げ、ケイもリモコンへ手を伸ばす。少し音を上げると、画面には見覚えのある街並みが映っていた。道路に規制の柵が並び、その向こうで車の赤い灯りが点滅している。
『現在セメタリービル周辺では、銃声がしたという通報が相次いでいます。マフィア同士の抗争が激化しているとの見方もあり、夜間の外出はお控えください』
『現場付近では厳しい検問により通行が制限されており、詳しい状況は現在も確認中です』
「……さっきのところじゃん」
ネオンはサイコロを置いた。カメラが移ると、自分たちがタクシーで通り過ぎた場所が映される。
「ここ、アリスたちが通ったところです!」
「騒ぎが続いているみたいですね。私たちがホテルに戻ったころには、オークション会場の周辺は完全に立ち入り禁止になったらしいですよ」
「へー、そんなことになってたんだ。……あの男も、まだいるのかな」
ケイは画面を見た。警察やマフィアと人影が遠くから撮られた映像に、知っている顔はない。
ネオンも目を細めて見ていたが、画面は通行を規制している道路案内へ切り替わった。セメタリービルで何が起きているのかは、その映像だけではわからなかった。
アリスは机の端に置いた端末へ一度目をやった。新しい連絡はなく、画面は暗いままだった。
「明日は、もう少し静かだといいですね」
「ほんと。せっかく遊びに来たのに、結局一回もオークションに参加できてないし!」
ネオンは頬杖をつき、しばらくテレビを見ていた。やがて放送が別の話題へ移ると、ケイは音を元の大きさに戻した。部屋の外から聞こえる足音も、窓の向こうの遠いサイレンも、なくなったわけではなかった。
ネオンは自分の駒を指先で転がした。
「……まぁ、紅茶は、おいしかったけど」
「オレンジのですね!」
「そう。あんなことになるなら、先に全部飲んでおけばよかった」
「アリスも、ココアを残しました。ようやく飲める温度になったところだったんです」
「私は、アリスが殴られたのを許していません」
「わかる! 女の子を殴るなんてほんとサイテー! というか何? あのファッション。絶対ナルシストじゃん」
アリスもあのときの動きを思い返し、拳を握る代わりに、少しずつ知覚できるようになり始めた自身のオーラへ意識を向けた。
「次は、ちゃんと当てます」
「その前に、そっちのお城に着いてよね。勇者なんでしょ?」
「任せてください。勇者は諦めません!」
ゲームの回数を重ねるうちに、菓子の皿へ伸びる手が増えた。エリザが置いていったクッキーと小さなチョコレートが減り、ネオンが飲み物を注ぎ足す間は、三人とも盤から離れてソファへもたれた。
「それ、最後の一つ?」
ネオンがアリスの手元を見た。粉砂糖のついた丸いクッキーだった。
「はい。半分にしますか?」
「する」
アリスが割ると、片方が少し大きくなった。むむっと見た後にネオンへ大きい方を渡し、自分は小さい方を口に入れる。
「ケイは、チョコレートを食べますか?」
「私はもういいです。これ以上は明日に差し支えます」
「わたしももういいかなー。二人と話してるとなんか食べ過ぎちゃって。太っちゃいそう」
「明日までまだ時間があります!」
「そんなこと言って。ご飯が食べられなくなっても知りませんよ」
ケイの指摘に、アリスは黙った。
次は、先ほどとは違う遊び方をしようと、トランプをテーブルいっぱいに伏せた。二枚めくって同じ数字を揃える。ネオンがもう一枚の場所を探して手を止めると、アリスが隣でむずむずしている。
「言わないで。ぜったい自分で思い出すから」
「アリスは、まだ何も言っていません!」
「顔が言ってるの!」
ケイは自分の番になると、迷わず二枚の札をめくった。揃った札を手元へ引き寄せる顔は、少し得意げだった。ネオンが札の置き方に文句をつけ、アリスが言い返す。ケイもその横で次の札を狙っているうちに、ゲーム開発部の部室で過ごした夜がふとよみがえった。
机の上にはいつも何かの箱と食べかけの菓子があって、誰も片づけたがらなかった。そろそろ寝ようと言い出した人まで、次の勝負が始まればまた席に着いていた。
アリスも同じことを思い出したらしく、伏せた札を並べ直しながらケイへ顔を寄せた。
「部室みたいですね!」
「ええ。最後の一回が、何度も続くところも」
「何? 学校でもこんな感じだったの?」
「はい! みんなでよく夜遅くまでゲームをしていました!」
「そのまま寝てしまう人も多くて。だらしないので、私はやめてほしかったのですが……」
「いいじゃん。わたしもそういうの、やってみたかったなー」
「今、やってるじゃないですか」
「……確かに!」
ネオンは一枚めくり、今度こそ、と隣の札へ手を伸ばした。
####
伸ばした手が、途中で口元へ移った。
大きなあくびだった。片手では隠しきれず、目の端に涙が浮かぶ。ケイが時計を見るより先に、ネオンは姿勢を正した。
「……今の、眠いんじゃないから」
「まだ何も言っていませんよ」
「でも、もう寝ようって言うでしょ。わたし、まだ起きられるし!」
言いながら札をめくったが、さっき確かめた数字とは違っていた。ネオンは不満そうに戻し、ソファへ座り直す。
「……まだ戻りたくない」
アリスは残った札と、部屋の奥の大きなベッドを見比べた。
「では、今夜は三人で一緒に寝ませんか?」
「え?」
「みんなで寝たら、朝も一緒です!」
ネオンはぱっと顔を上げた。二人の顔を見てからベッドへ目をやり、再び二人へ視線を戻すと、先ほどまでとは打って変わって弾んだ声で言った。
「ここで? 三人とも?」
「はい!」
「それならいいじゃん!」
札をまとめる手が急に速くなった。さっきまでは裏返すのも惜しんでいたのに、今は残っていた組をさっさと重ね、ケースを探している。
「ネオン、まだ勝負が――」
「これは明日の分! 先にベッドの場所を決めよ!」
ケイは二人の間でカードを受け取り、まずはテーブルの上を片づけることにした。ネオンはもう、枕の数を確かめていた。
「わたし、真ん中がいい」
「では、アリスはこちらです!」
「その前に、歯磨きをしてください」
ケイが言うと、ネオンは振り返った。
「来る前に磨いたわよ」
「そのあとも食べたり飲んだりしてましたよね。虫歯になりますよ」
「……そうだった」
二人は素直にベッドから離れ、洗面所へ向かった。
ケイは内扉越しにエリザへ声を掛けた。今夜はネオンもこちらで寝ると伝えると、彼女は少し驚いた様子だったが、すぐに頷いた。
ネオンはエリザの端末に、昨日三人で撮った写真を転送して言った。
「エリザ、これも印刷して。三枚ね」
「かしこまりました。明日、ホテルに確認してみます」
「うん。二人にも渡したいから」
ケイはスクワラにもネオンの居場所と、これから就寝することを知らせた。
アリスは今夜、護衛の任務から完全に外れる予定だった。ケイも睡眠をとって構わないと言われていたが、何かあればすぐに動けるよう備えておくと伝える。
エリザが持ってきた枕を加え、ベッドに三人分を並べた。テレビを消すと、急に部屋が静かになった。
ケイはベッド脇に連絡用の端末を置き、着信音が鳴る設定になっていることを確かめてから、照明を落とした。
エリザがネオンの寝室へ戻り、内扉を閉めると、ネオンは白い兎を枕元に置き、掛け布団を大きく持ち上げた。
「ほら、二人とも!」
アリスが先に入り、ケイも反対側へ腰を下ろす。横になった三人の間では、枕を引き寄せたり、布団を直したりする手がしばらく行き来した。ネオンが勢いよく寝返りを打ちかけると、アリスの腕の包帯が目に入り、慌てて動きを緩める。
「そっち、狭くない?」
「大丈夫です。ネオンも、もう少しこちらへどうぞ」
アリスは腕を掛け布団の上に置き、ネオンの方へ顔を向けた。反対側では、ケイがもぞもぞと頭の位置を調整している。ネオンは二人の間で仰向けになり、ようやく枕に頭を落ち着けた。
「……なんか、変な感じ」
「変ですか?」
「楽しい方。いつものベッドと全然違う」
顔を横へ向ければ、すぐそこにアリスがいる。反対へ向けばケイと目が合う。ネオンは一度ずつ確かめ、笑って布団を顎の下まで引き上げた。
「明日、誰がいちばんに起きると思う?」
「アリスです!」
「朝ご飯の匂いがしたら、そうかもしれませんね」
「そんなに食いしん坊なの?」
「朝食は大事です!」
得意げな声に、ネオンは枕へ頬を押しつけて笑った。ケイもつられて笑い、そろそろ静かにしようと言いかけたが、アリスが明日のゲームの順番を決め始めると、結局自分も希望を口にした。遊ぶ予定ばかりが増えていく。
窓の向こうで、サイレンの音が長く尾を引いた。少し間を置いて、廊下から低い話し声が聞こえる。ネオンは扉の方へ顔を向けたが、すぐ隣でアリスが小さくあくびをすると、また彼女へ視線を戻した。
「ほら、アリスも眠いんじゃん」
「……少しだけです」
ケイには、散々騒いだあとで急に静かになる部室の夜が思い出された。明日も続きをすると言い合いながら、最後には返事が途切れていく。
布団の中は、いつの間にかすっかり温まっていた。アリスの袖に手の甲が触れ、反対側ではケイの腕が肩のすぐそばにあった。ベッドの沈み方も、一人のときとは違う。
誰かとこうして眠るのは、いつ以来だろう。
少し考えてみたが、思い出せなかった。世話をしてくれる人がそばにいるのと、同じ布団の中から声が返ってくるのとでは、ずいぶん違う。
「アリス、ケイ」
「はい」「何ですか?」
二つの返事が重なった。何か言おうと思って呼んだわけではなかったので、ネオンは少し考えてから口を開いた。
「……おやすみ」
「おやすみなさい」
「ふぁい、おやすみぃなさいです」
ケイが答え、アリスも枕の上で頷いた。
朝、目が覚めたときにも二人がいる。別の部屋から来るのを待たなくても、寝ぼけたまま顔を向ければ、それでよかった。
遠くの音はまだ続いていたが、今は耳を澄ますよりも、すぐそばの気配を感じていたかった。ネオンは目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。隣でも布が擦れる音がして、やがてアリスの寝息が聞こえてきた。
ゲームの順番。三枚の写真。まだ途中の勝負。
明日のことを考えると、自然と口元が緩んだ。もう一度今日の出来事を思い返そうとしたが、二人の体温に挟まれているうちに、少しずつ考えがまとまらなくなっていく。
ネオンはかすかに微笑んだまま、眠りに落ちた。
こうした描写は省略されがちですが、この章の主題の一つでもあったので。
ここまでが第一章、物語全体のプロローグとなります。
感想・評価いただいた皆様、ありがとうございました。
返信はできていませんが、楽しく拝見しています。
引き続き、二人の物語をよろしくお願いします。