五月ラーラが橘シェリーの居る孤児院にやって来たのは、橘シェリーが殺人を犯す前だった。
暴力と虐待の蔓延る孤児院へ、ラーラは恐ろしい噂を引き連れてやって来た。
曰く、少年院から来た犯罪者らしい。
曰く、父親から恐れられて捨てられたらしい。
曰く、殺人が好きなシリアルキラーらしい。
どれが真実でどれが虚実なのか、本人以外はわからないが、確かに孤児院の子供たちは五月ラーラを恐れていた。
そしてどこかで、期待をしていた。
この地獄のような日々を、噂のぶっ飛んだ殺人鬼ならどうにかしてくれるのではないか。
しかし、その期待に反して、五月ラーラは想像以上に凡人だった。
下の方で二つ作られた茶髪のお団子はどこか地味な印象を与え、顔立ちとて覚えるのにそこそこ時間がかかるほど地味だ。目の色だって、真っ黒でやはり地味なことは否めない。
「ええと、はじめまして、五月ラーラです。これからよろしくね」
にこり、と穏やかに微笑んだ顔は、どう見ても人殺しの殺人鬼には見えなかった。
子供たちは目に見えて落胆したが、ラーラを囲んで噂の真偽を確かめようとした。
「殺人鬼って本当!?」
「え? いやいや、私は人殺しなんてしたことないよ!」
「少年院に居たのは?」
「それは本当だけど、ほんの少しだけ居ただけだよ。冤罪だったからね」
「じゃあ、親に捨てられたのは?」
「ええっ! 捨てられたなんて、まさか。そんなことないよ」
五月ラーラは、目をぐるぐると回しながら期待違いな返答を返していく。子供たちは顔を見合わせると、一斉にため息を吐いて、一斉にラーラから離れた。
橘シェリーを除いて。
ラーラは、その場に一人残った橘シェリーを見つけると、嬉しそうにシェリーの手を取った。
「君、名前は?」
「私ですか? 私は、橘シェリーです。よろしくお願いします、ラーラさん!」
シェリーはニコニコと笑いながら、ラーラの手を振り回した。ラーラは、さらに笑みを深めた。
「よかったら、孤児院を案内してくれない?」
「もちろんです!」
「ありがとう、シェリーちゃん。ところで、少しだけ気になったことがあるんだけど、いい?」
「なんですか?」
ラーラは、眉を下げながらしばらく黙り、そしてシェリーを含め、他の子どもたちを順番に眺めながら、目を鋭く細めた。
「みんな怪我してるけど、どうしたの?」
その後、五月ラーラにも職員による暴力は容赦なく浴びせられた。
いいや、むしろ彼女は集中的に暴力を受けていた。
ラーラは自分から暴力を受けていた。彼女が職員を煽っただとか、そんなことではなく、彼女は子どもたちを庇い続けたのだ。
最初に子どもたちが考えていた方法とは、全く別の方法でラーラは地獄のような日々を少しだけ改善した。
彼女のおかげで子どもたちの受ける暴力は極端に減ったが、それはすなわち本来受けるはずのほとんどをラーラが受けているということ。
どうしてラーラは庇い続けるのか、シェリーは聞いたことがある。するとラーラは照れくさそうに答えたのだ。
「私は、人に誇れるようないい子でありたいから」
いい子でいる代償として、ラーラは常にボロボロだった。
橘シェリーは、ラーラと過ごすことが多かった。「妖精さん」と皮肉られて学校では友達と呼べる者がいなかったが、ラーラと出会ってからはシェリーは一人ではなくなった。
ラーラはおしゃべりではなかったから、シェリーが話してばかりだったが、いつもシェリーのそばにいた。どんな時でも、無言で寄り添い続けたのである。
ラーラは、友達と言えた。
だからこそ、無意識に許せなかったのかもしれない。彼女に暴力を与え続ける大人が。
「やめてください! ラーラさんがっ!」
シェリーにそんなつもりなんて、なかった。ただ、少しだけ力加減が足らなくて、本当にそれだけだった。
ラーラはその日、本当に死にそうなほどの暴力を浴びていた。それで、シェリーが間に入って止めようとして、職員を押して、本当にそれだけのことだった。
それだけの、つもりだったのに。
シェリーに押された職員は、とんでもない怪力のせいで、ひとたまりもなく死んだ。
元からシェリーには、自分が人並み外れた力を持っている自覚はあった。これまでは、上手く手加減していたつもりだった。
返り血がシェリーの服にかかる。
……私、殺したんですか。
そう認めた瞬間、シェリーはとうとう「何か」を失った。
それのせいで、シェリーは動けなかった。まだ生暖かい死体の前で、ぼんやりと立ち尽くしていた。
驚くほど、何も感じなかった。まるで、感情が消えてしまったようだった。
そして、ラーラと目が合った。ラーラは顔を青白くさせて、死体とシェリーを交互に見ていた。
嫌われた。
当然だ、人を殺したのだ。嫌われるに決まっていた。シェリーはそう覚悟した。
ラーラは、シェリーにゆっくりと近づいてくる。シェリーは、変わらぬニコニコとした顔でラーラを見たが、ラーラはシェリーの下にある死体の横に座り込んだ。
「……どうにかなるね」
「え?」
「シェリーちゃん、手を洗って。ハンカチは持ってる? ないなら、貸すよ。服も着替えようか。私が汚れ落としておくから。……うーん、でもやっぱり、これを子供がやったとは考えられないと思う。上手く他の職員に押し付けられる……かも」
やけに手慣れた様子だった。
人殺しのシェリーに臆することなく、ラーラは話しかけてくる。
シェリーは、ぱちぱちと瞬きをしながらラーラに問いかける。
「私のこと、怖くないんですか?」
「怖くなんかないよ! シェリーちゃんは私を庇ってくれたし、それに——」
ふわり、とまたも穏やかに柔らかく笑った。
殺人現場に相応しくない顔だ。当然だが、死体が得意なわけではないのか青白い顔をしているものの、どこか手慣れた雰囲気。
五月ラーラは、どこかおかしい。
「私、どんなに悪い人でも、みんな平等に助けるから。私は、シェリーちゃんの味方だよ」
優しい……のだろうか。
彼女は、五月ラーラは本当に優しいと言えるのか。優しいだけ、なのか。
それから、偽装工作をした。シェリーは違う服に着替え、どうやってやったのか、ラーラは綺麗に跡形もなく血を洗い、二人は何事もなかったかのように、遊んでいるふりをした。
そうして、子供が大人を素手で、こんなふうに倒すのはあり得ないとして、当然大人が容疑にかけられた。
シェリーは、遠ざかるパトカーの音を聞きながら、ようやくラーラに声をかけた。
「随分と手慣れてましたけど、過去に似たようなことがあったんですか?」
「あった……のかな。今回のとはちょっと違うけど」
ラーラは腕を組んで、しばらく黙り込んだ。
こんなふうに一度ラーラが黙り込めば、また話し出すのに数秒の時間を要する。分かっていたシェリーは、ニコニコと言葉を待った。
「家族が悪いことをしてね。でも捕まるのなんて可哀想だから、代わりに捕まろうって思って、全部自分がやったことにしたんだ」
「だから少年院に居たってことですか?」
「え? 今のは本の中の話だよ」
けろりと言ってのけたラーラの目を見ても、ただ黒々とした瞳ばかりがあるだけで、真相は掴めない。
シェリーは諦めて、ラーラの手を引いた。
「私、お腹空いちゃいました! 今なら大人も見てませんし、勝手に食べてもバレませんよね!」
「そう言われてみれば、私もお腹空いて来たよ」
ラーラとシェリーは、顔を見合わせて笑った。
人を殺したのを隠蔽した後とは思えないほどに、無邪気に。
これが、橘シェリーが見た五月ラーラの姿であり、今思い返してみれば、魔女裁判の前から、彼女は本性を表していたのだ。巧妙に隠しているわけでもなく、ただその本性を見せる隙がなかっただけで。
この時、ラーラが言ったことは本当のことだったのか、まるきり嘘だったのか。シェリーは未だ分からないままだ。